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2011年8月31日水曜日

何故事実をみないのか

先日、本を処分したことは書きました。

今日は処分できなかった本について書きます。

司馬遼太郎の小説は、また読むことがくるかも知れないのでほとんど残しました。同時に、彼のエッセイというのか、雑記みたいなものがまとめられた本も残しました。

日曜日は終日、それらを読みふけっていました。読むたびに本当に彼の該博な知識には舌を巻いてしまう。彼がドナルド・キーンと対談したものをまとめた本など、最高に面白い・・・。そして、ドナルド・キーンの知識と日本に対する愛情の深さに心打たれる・・・。


さて、巷間「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪過の汚名をうくること勿れ」という悪名高い「戦陣訓」は知っていると思います。要するに、それが軍人だけでなく民間人までをも拘束していて、沖縄をはじめとする孤島で、無用な命を散らすこととなったというのが、今の世の中の理解ですが・・・。

池上章とかがテレビでもこう言っているんですよね。一緒にでていたのは、おばかなコメンテータばかりなので、いちいちそれに納得してましたが、、彼はサイパン島の「バンザイクリフ」と名づけられた断崖から多くの民間人の婦女子が身を投げたのも、それが民間人をも拘束していたからだと・・・。

そんなのは嘘っぱちです!

僕がこういう言説は「嘘」だと確信したのは、山本七平の著作「ある異常体験者の体験」を読んでからだ。彼はその中で「戦陣訓など私の軍隊経験の中で見たことも聞いたこともない。ましてや初年兵教育に使われたことなど絶対にない」と断言していたからだ。

そして、その数年前に司馬遼太郎も確か同じことを言っていたのを思い出したからだ。

!!!!!

そして日曜日にとうとう、僕は司馬遼太郎のそのタネ本を見つけたというわけ。



この本はおそらく高校生の頃に買った本だと思う。司馬は、この中でこう書いている。


なるほど、そういうチャチな小冊子があったことを久しぶりで思い出した。しかしそういう陸軍大臣の名前による刊行物が、兵士たちのモラルや意識を拘束してついに横井氏のようなひとを出してしまったというほど重いものだったかどうかは、疑問である。(中略)


私は関東軍で教育を受け、そのあと現役兵のみの連隊に属してほんの一時期初年兵教育もさせられたが、「戦陣訓」というものが教材につかわれている現場を見たことがないのである。


「生きて虜囚の辱めを受けず」


というあの美文調の刊行物が、現実の軍隊社会でどれほどの影響力や拘束力をもっていたかということになると、そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していたと証言せざるを得ない。(中略)


戦陣訓」が発行されたときそれをニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞であって、それを新聞紙上で読まされた民衆が兵隊としてとられるとき、ああ、ああいうものがあったな、という程度の影響として存在したものであろう。要するにマスコミのから騒ぎである。

戦後28年経ってグアム島の密林から横井庄一氏が現われ出てくるという異常な事件にぶつかったとき、この事件の理解にくるしんだあげく、「つまりは戦陣訓の重みである」というごく簡単な整理法による解釈に落ちつかせてしまおうとしているらしいのは、ずいぶん手前勝手な観がある。


そういえば、山本七平が戦陣訓に触れた文章を書いたのは、この横井さんより数年後のルパング島の小野田寛郎氏の出現によってであり、やはり新聞記者からコメントを求められた際の、記者の「やはり戦陣訓ですか・・・」という勝手な感想に反発してのことで、司馬と同様の思いだった。

池上彰にしても、その発言を許す新聞なりテレビなりは、この司馬や山本の発言を知らないのだろうか?それとも知っていて無視しているのだろうか・・・不思議でならない。

司馬が同じ本で書いている「轢き殺して行け」という言葉はよく他のところでも、旧日本軍の残虐性やらでたらめ振りを表すものとして引用されていることを思えば、おそらく都合の悪いことは無視しているに違いない。

まったく、マスコミというのはまさにゴミとしかいいようがない。少なくとも僕のブログを読むひとはホントにだまされないでほしいと思う。


ちなみに、「轢き殺して行け」というのは、司馬が自身の部隊(戦車連隊)が出動する際に、対向してくるであろう避難民の扱いをどうするかと上官に質問したときの回答である。

今日はこれまで。

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