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2011年6月20日月曜日

「ギリシャ」で思うこと その2

大雑把にいうと、「哲学」を学ぼうとする人は、フランスやドイツ、最近はアメリカへ行くのが王道らしいです。「ギリシャ哲学」を学ぼうとする人が、その発祥の地へ行くことはまずありません。

ギリシャ。

その文化・文明が世界を席捲していた時期は僅か300年ほどです。しかし、その後の西洋文明、ひいては近代というものまでもその萌芽はそこにあったと考えることができます。しかしながら、現代ギリシャには、かつての面影は全くなくなってしまっています。

ギリシャを負かした新興国ローマを考えてみましょう。ギリシャ人は国家としてはローマに敗れましたが、逆にその文化によってはローマを打ち負かしているのです。有名なシーザーにしても、アウレリウスにしても、彼らはラテン語をしゃべりながらも、同時に第二外国語としてギリシャ語をしゃべり、読み書きをしていました。

ローマ人はこう告白しています。

戦には勝ったけれど、結局ギリシャに征服されたのは我々だ・・・。

ギリシャは、哲学発祥の地としてだけでなく、世界で最も早く民主主義の功罪を味わった国でもあります。その文化・文明はギリシャが死してなおいき続け、そしてそれは今も西洋文明の地下水脈にとうとうと流れています。

おそらく、文化・文明というのは、その担い手が滅んだ後にも生き残り、伝播していくか否かでそれが真のものか否かがわかるような気がします。ギリシャがよい例です。

西洋人というのは、帰るべき精神的・思想的な故郷としてギリシャ・ローマ文明がありますが、翻って僕らの国はどうなのでしょう?


なんていうことを、新聞でギリシャの記事を読むたびにつらつらと考えています。

今日はこれまで。

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