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2011年6月28日火曜日

誄詞

誄詞。

「るいし」と読みます。

死者の生前の功徳を讃えてその死を悲しむといった意味です。かつて、三島由紀夫は「尊敬する歴史上の人物は?」と尋ねられると、「二二六事件の将校たちと特攻隊員」と答えていました。

その顰に倣っていえば、僕は日本人の、民族としてと日本の国家としてそれ(誄詞)を手向けるべきは、まさしく特攻隊員たちもその中の一群だろうと思っています。

6月23日。沖縄戦終結の日として慰霊祭が毎年行われています。そこでいわれることは、「戦争の惨禍を繰り返さない」「戦争は絶対反対」ということのみで、さらにいえば慰霊の相手も「沖縄県民」が主であり、沖縄を守備した軍人たちは従のような気がしています。僕の勝手な思い込みかもしれませんが、もしかしたら、「軍人」たちは慰霊の対象になっていないのかも・・・。

陸海軍併せてのいわゆる「特別攻撃隊」は、沖縄を守るための戦いがそのピークでした。鹿屋、知覧などを代表とするの九各地の飛行行場から沖縄周辺海域にいた米海軍機動部隊を撃滅するための捨て身の策だったのです。

沖縄では「ひめゆり部隊」の献身があります。まだ15歳前後の彼女たちの命がけの献身も、日本人が語り継ぐ歴史であり、誄詞を手向けるものでもあると思います。

しかしながら、その勇気と義務と献身を讃える言葉は皆無といえます。語られる彼女たちは決まって「戦争の犠牲者」でしかないのです。

こんなおかしなことがあっていいのか!

確かに悲劇は悲劇である。しかし、悲劇は何も彼女たちだけを襲ったものではない。当時の日本人全員を等しく襲った悲劇であり、もっというなら日本の国家こそがそれに見舞われたのです。

そこで、繰り広げられた様々な人間模様。卑怯卑劣な振る舞いも多くあったでしょう。それとは逆に文字通り命がけの勇気と義務と献身が多くの人を救おうとしたことも多くあったのです。

僕は思います。そういった人間の美徳を教えずに、「道徳」教育など可能なことなのかと。

そんな題材は五万とあるにもかかわらず、「戦争」というと「不戦の誓い」だとか「平和」だとか、それしか言うべき言葉がないというのも、「思考停止」そのもの・・・。

今日はこれまで。


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