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2011年6月1日水曜日

功利主義


「伊豆の踊子」を初めて読んだ。

小学生の時三浦友一・山口百恵主演の同名映画を観に行ったことがあるが、よくわからなかった。湯船から上半身を出して手を振る百恵ちゃんのシーンだけを覚えているだけで、それ以外は何にも覚えていない。5月のGWから「雪国」を読み、そのまま川端康成にハマった延長である。

驚いたことに、それは僅か40ページ前後の短編小説であった。

川端康成の文体は、非常に美しい。ただ、それは太陽の下で輝く文体ではなく、どちらかといえば闇夜を照らす、ろうそくのか細い炎のような美しさである。そのか細さが、かつての僕はどうも好きではなかった。

「微熱のあるような文章」と彼の文体を表現したのは誰だったか・・・思い出す事ができない。もしかしたらそう表現したのも彼の文章ではなかったかもしれない。でも、少なくとも僕は、彼の文章に対してそう表現することに違和感はない。


「処世」。

おそらく、川端康成だの夏目漱石だの、純文学というものははその言葉とは正反対にある。読んで「ため」になるものではないし、流行りの「自己実現」に資するものでもない。ただ、よく考えてほしいのは、そう考えることが功利主義的であり、「功利主義」というのは「近代」というものが生んだ「病」の一つかもしれないということ・・・。

そして「近代」とは、「自然」の前にもろくも崩れ去るということ・・・。

今日はこれまで。

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