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2011年6月15日水曜日

田中美知太郎

「五郎さん」の愛称で親しまれる橋本五郎氏
かつて「ズームイン朝」に出ていた読売新聞の論説委員の人。僕は神田の古本屋で見かけたことがある。彼は秋田の出身だそうで、自民党から衆院選?だったかの候補に取りざたされることもあった。郷里には、彼が寄贈した2万冊にもおよぶコーナーが図書館に設けられていると聞いた。

たまに読売新聞で記事を書いている。

その彼の記事の中で「田中美知太郎」という名前が出てきて、懐かしく思えて蔵書を引っ張り出してきた。

田中美知太郎。西洋古典研究の第一人者である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%8E%E7%9F%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

彼が多くの碩学たちと対話したものをまとめた「プラトンに学ぶ」は、一行一行がゆるがせにできないほど、深いものに満ち溢れている。圧巻である。特に、その中で小林秀雄と対談した章では、すべての行に線が引いてあるほど僕にとっては印象深いものだ。いずれそれは紹介するとして、今日は、田中美知太郎とググって出てきた姫路市市長のブログをご紹介したい。

政治家から田中美知太郎という名前が出てきたのは驚きであったし、しかもその内容がとてもよかった。全文は以下から市長(石見利勝)のブログに飛んでもらいたい。

http://hmayor.exblog.jp/13050528/

簡単にそこで描かれた田中美知太郎を紹介する。

私が学生時代(昭和35年~40年)に、通学で市電に乗っていると、銀閣寺か錦林車庫駅から顔に大変なやけどをされた恐ろしい形相の人が、よく乗って来ら れました。正視するのも失礼な気がして、お気の毒な気がして、私はじっと下を向いていました。

この姫路市長は、京都大学理学部出身であり、後に東京工業大学大学院へ進むが、大学院在学中に「真善美」という本を読み、大きな感銘を受けたと書いていあります。そして、その著者が田中美知太郎でした。

そして、次のように続く。


ところが、その後間もなく、ある機会に田中美知太郎先生の写真を見ることがあり、田中美知太郎先生が、学生時代に市電に乗り合わせていた大やけどの、あの方であると分かりました。大変驚きました。

田中美知太郎は、昭和20年の東京の大空襲で全身に大やけどを負い、瀕死の重傷から辛うじて一命を取り留めた。そのため、顔は火傷のあとでひきつれたようになっていた。この市長が言う「恐ろしい形相」、その通り。

この市長は以下のように文章を締めくくる。

そしてしみじみ思いました。「あれだけのひどいやけどを顔に負っていながら、偏りも、こだわりもなく、ごく自然に、そして堂々と、やさしく、我が道を生きておられる、そして自然体で我々に説いておられる、なんてすばらしい先生だろう」と涙が出るほど感動しました。
おそらく自分なら、やけどを負った不運をなげき、世の中を呪い、恨み言を云い、人の不幸を喜び、幸せに対して、けちをつけるというような偏狭な人間になっただろうと思うにつけ、田中先生の堂々たる自然体の人生、真実をやさしく、分かり易く説かれる包容力、心の豊かさ、自分の人生に関する構えなど、(直接お会いしてお話をしたことはありませんが)心から尊敬しています。


この市長の感受性に僕は大きな共感を覚える。そして、田中美知太郎。学問を成す一流の人はやはり違うのだなとつくづく思う。いや、そうならなければ一流とは言えないとも思う。

今日は、学問が作り上げた人間というものをご紹介したくて、とはいえきっかけは「五郎さん」でしたが、これを書きました。

今日はこれまで。

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