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2011年6月9日木曜日

ダイヤモンドオンラインの記事から

この国の政治はなぜかくも劣化したのか――
被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった
「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労

と題した記事をダイヤモンドオンラインで読んだ。 

http://diamond.jp/articles/-/12568

「なぜかくも劣化したのか」という問いには僕ならこう答えたい。それは日本人の質、ひいては社会のありようが劣化したからだと。

この記事を書いた人は、その政治家を選んだ有権者の問題を等閑視している。 劣化した社会だからこそ、劣化した政治しかなせないのだし、「厚顔無恥」な「選良」しか選べないのだ。極めて当然なことではないか。そこを問わずして今さら何を言おうが、そんなものは一切無意味だ。読者を失うのがこわいのか?現首相がいかに無能であるかをいちいち挙げつらったって、この著者の疑問は解けない。

この著者、最後にこんなことを書いている。

方法としては、大統領型に近い首相公選制、あるいは各党の代表を首相候補として選挙を戦う(与党首が変わる場合は選挙を行う)といった仕組みが考えられる。

もう、何をかいわんや・・・情けなくて悲しくなる。 というか、選ぶ側の責任を考えない以上、こういう結論になるのは目に見えている。アホか!

一昨年、政権交代した直後の目の虚ろな御仁の支持率の高さををお忘れか?あれは国民が望んだ結果が実現したからではないのか。僕には「異常」な高さとしか思えなかったが、それを手放しに喜んだ多くの国民がいて、その結果があの支持率になったのではないか。首相公選制?そんなものを導入したって、結末は同じことになる。制度ばかりいじくりまわすのはある種の「病」だ。

ところが、その結末はどうなった?もう書くのもおぞましい・・・。

民主主義なんてのは、要するに多数決で物事を決めるだけであって、そんなものは「価値」でもなんでもなく単なる手段だろう。 それは大多数の意見ならばおおよそ正しいと仮定するから成り立つ仕組みに他ならない。これまでに明らかになったことは、明瞭である。

 それは、大多数の意見は間違うことが多いということ。

今日はこれまで。 

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