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2011年6月19日日曜日

「ギリシャ」で思うこと その1

今日は年が明けて170日目です。

どのくらい前でしょうか、ギリシャが債務危機に陥ってEUの支援だとかいろいろと新聞を賑わしましたね。その危機は未だ収束せずのようですが、直接的に日本にあまり影響を与えるわけではなさそうなので、僕にとってはそのこと自体に興味の対象がいくわけではない。

イギリス滞在中にギリシャへ行ったことがある。2週間ばかりの一人旅。往復の飛行機代は確か
4万円くらいだったような気がするが、正確には覚えていない。とにかく「安い」というのは覚えている。25歳のとき。

この一人旅は実にいろいろな経験ができた。面白かった。

まずは往路の飛行機の機中。機内食で「kiddny pie」が出た。あれは今まで食べた料理の中のまずいものの五指に間違いなく入る。一口食べただけでそれ以上は口にできなかった。すると、突然隣の席のおじさんが、「お前が食べないのなら俺にくれ」といって、それを食べてしまった。

これには驚きました。まず第一に赤の他人が口をつけた料理をもらって食べてしまうということ。第二にそのまずい料理をうまそうに食べていること。実にいろいろな人種がいるものです。

そうそう、その前にこんなことがありました。

イギリスにはThomas cookという旅行社があります。日本でいえばかつてのJTBみたいなものかな。チケットを買いにそこへ行き、「ギリシャ」(英語ではGreece)へ行きたいというと、「ギリシャのどこ?」と尋ねられ、「アテネ」というと全く通じず、いろいろアクセントを変えたりしても全くだめ。最後には地図をもちだされて指を指せという始末。そして初めて意思疎通ができ、「アテネ」は「Athen」。カタカナで書くと「アセン」だった・・・。(恥)

そういえば、父親の時代は「ゲーテ」を「ギョエテ」と呼んでいたらしい・・・。

ちなみに、その「Thomas cook」。関東大震災の復興に多額の義捐金を日本に送りました。それを知った日本の政府だったか、宮中のひとだったかは「イギリスはコック(COOK)でもこんなに金持ちなのか」と驚いたそうです。当時の日本はそんなレベルの国際認識だったのです。今から思えばかわいらしい・・・。


早朝の「アテネ」に着き、まだ柔らかく、それでいて棘のようにとがった朝日に映し出されるパルテノン神殿を見たときの感動は何と表現したらいいのだろう。ソクラテスやプラトンがここにいたのだという、その場に立ったことの時間的な感動と、建築様式の美しさと、それらがごっちゃになって襲ってきたようなものでした。

アテネ市内の雑踏は、アメ横みたいなものです。無秩序で雑多でごちゃごちゃしていて・・・。人々はいたるところで立ち話をしている。日本でいえばお母さん連中の井戸端会議みたいなもの。でもそれがおじさん連中なのです。僕は「きっと政治や哲学の話をしているに違いない」と勝手に思ってましたが、どうなんでしょうか。

無秩序といえば、ギリシャから帰国後(イギリスに)、すぐに今度はスイスへったとき、非常にほっとしたことを覚えている。ただ、そこも長く滞在していると今度はその「秩序」と「整然さ」が病院のような、薬品くさいものに感じられて、息がつまった。

閑話休題。

さて、そのギリシャ。アテネ市内を拠点に、オリンポス宮殿やら、デルフォイの神殿やら、いろいろな観光スポットへ出かけた。その多くはバスでだ。車中から眺める風景は、まさに地中海。丘陵に広がるオリーブ畑、ブドウ畑。一切の緑が消えた荒ぶれた地形など。日本とは全く異なるし、イギリスとも異なる。その乾いた土地でなぜ世界に冠たるギリシャ文化が生まれたのだろうか、ということを当時も不思議に思っていました。

続きはまた明日書きましょう。決して旅行記を書くわけではないのです。

今日はこれまで。

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