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2011年1月14日金曜日

日本史と世界史を比べると その2

前回の続きです。

同じような歴史を歩んできたその両者の違い、「合理的」の差は一体なぜ生じたのでしょうか。

これについては様々ことが考えられますが、「風土」について考えてみます。風土がもたらす「農業」の違い、日本の「米」と西ヨーロッパの「麦」ということになります。この二つは、その栽培過程からして全く異なるものです。米作は非常に手間のかかるものなのに対し、麦作は種をまけばあとは収穫まですることがありません。また、その収穫率も大きく異なっています。近世で考えると、米作は、蒔いた種の30~40倍の収穫量があるのに対し、麦作は5~6倍前後でしかありません。人間の生存に必要なカロリー量を生産するのに、米作は麦作の10分の1程度の面積ですみます。この差がどのような違いをもたらしたかについていえば、

1.米作

きめ細かい作業が必要となる米作は必然的に家族の力を必要として、その絆が強くなる。また収穫率が高く、高率の収穫を可能とし、小面積から多くのカロリー収穫量があるので、人口密度が大きくなる。即ち、面としての農民支配も容易になり、政治的な安定度が増す。農民層にとっては、余計に働けば、それだけ利潤になることもあり、支配者が何を言っても黙って耐えるという盲従的になっていく。

2.麦作
収穫率が低いため、高率の収穫は不可能となり、かつ広大な面積を必要とするため、人口密度は小さくなり、政治的な支配も難しくなる。収穫を求めて戦争に訴えるということが日常茶飯となる。農民層は、頑張って働いてもそれに見合う収穫は望めないのだから、無理難題に盲従することは即「死」を意味することになり、自然と「抵抗」の気持が芽生えてくる。

と、ざっとこんな風にまとめることができるでしょう。日本にあっては「米」が万能の主食であり、かつ収穫量も多かったので、「農本主義」でも十分にやっていけたのに対し、西ヨーロッパでは「農本主義」だけではやっていけず、それ以外に活路を求めざるを得ませんでした。そうして早くから「商本主義」的なものが芽生えるのです。


また、ヨーロッパでは農業に必ず家畜が使用されていましたが、日本ではそのようなことはなく、さらにいえば、家畜を食用にするなどという発想はありませんでした。ヨーロッパでは違います。家畜は屠殺され、食用にされることが普通です。そして、さらには前者では戦争が頻繁に起こっていましたが、日本の近世には戦争はほぼ皆無といえます。

争いが頻繁におこり、敵にいかに勝つかということを考える以上、それには合理的なものを求めざるを得ません。そうやって発展していった歴史が日本にはなかったわけです。あくまでも比較してのことです。


そんな、「争い」に関してはまるで処女であるかのような日本が、大男である西洋と向き合わざるを得なかったのが、「開国」ということといえるでしょうね。しかし、その大男どもは、この日本という国が他のアジアの諸国、中でも中国とは全く異なる国であり、どちらかといえば「我々に似ている」と感じたのは、似通った歴史の段階をもっていたからかも知れません。アジアで封建の世を経験しているのは日本だけですしね。


ちなみに、宗教からの自由で始まった西ヨーロッパの近世ですが、、カトリックがダーウィンの「進化論」を正式に認めたのは1950年のこと。今でも一部の宗派ではそれを認めていないところがあると聞きます。これは「いい悪い」でありませんね。宗教とは元来そういうものだと思います。


今日はこれまで。





今日はこれまで。

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