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2011年1月28日金曜日

正義の話をしよう

 検索ワードを意識したようなタイトルですが、昨日書いた「ヒーローものの主題歌」で述べた「正義の味方」ということについてです。

僕は昔のそれには「『型』があった」と書きました。正義の味方というのは、よく考えると不思議な言葉で、「正義」そのものではなく、その「味方」というのですから、つまり「正義」というのは外部に、厳としてあることを表します。「ない」ものの味方などできませんからね。

「正義」といえば、「これからの正義の話をしよう」でも取り上げられているジョン・ロールズですが、ここでいうそれは、「社会正義」とか「社会的公正」という意味ですので、ヒーローものの体現する「正義」とは異なりますね。ヒーローの正義とは「勧善懲悪」「破邪顕正」、その行動を意味します。これはアメリカの「スーパーマン」や「スパイダーマン」でも同じですね。

そう、今の時代のヒーローにはその四字熟語が欠けているような気がする。確かに「悪」を「懲」らしめるのだが、それを昇華させてこの世の理想を追い求めるような、そういう求道的(?)なもの「勧善」や「顕正」がないのだ。僕にはそう感じられる。だから、変身して悪をやっつけても、人間に戻ると普通の青年になったりして、「正義の味方」らしくないのだ。

おそらく「正義」というのが相対的になり、人の数だけその定義があるような風潮では、それは「ない」も同然で、したがってその「味方」などできようもない・・・。そんなところかな。

今日はこれまで



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