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2011年1月11日火曜日

司馬史観なるもの

 昨年の7月半ばからの、このブログのアクセス解析を信じるならば(今一つ僕にはよくわからないことがある)、昨日までの約6か月間でアクセスの多かった記事を3つあげると、以下の3つになります。


1.ある逸話 日本人 小日向白郎(こひなたはくろう)
2.再び「坂の上の雲」 その功罪 乃木希典という人間
3.65年前の終戦記念日を思う その1

1は、現中国の国歌の元である「東北抗日義勇軍行進曲」、その「東北抗日義勇軍」のトップは、日本人馬賊小日向白郎であったことを簡単に紹介したもの。

2は、そのとおり、「坂の上の雲」で描かれる乃木希典の人物評価についての、僕なりの違和感を綴ったもの。

3は、1957年上期の芥川賞受賞作「硫黄島」から、主人公山蔭光福元海軍二等兵曹の「太平洋へ死の飛躍」の顛末を紹介したもの。


なにが、未見の読者の興味に触れるのかわからないものです。



世に「司馬史観」なる言葉があります。司馬遼太郎の描く歴史ものから透かされるものを「史観」と呼び、つまりは、近代日本の歩みの全てを帝国主義的な侵略戦争と称する左翼の歴史学者のそれに対抗するために、「反」左翼の人々が言いだした言葉だろうと思います(「新しい歴史教科書をつくる会」など)。要するに、ここで述べた「史観」は日本の近代をどう捉えるかと言う事に過ぎない。

司馬遼太郎は、自身の戦争体験(彼は戦車兵だった)から、「昭和」という国家はある種の魔法にかけられたかのようなものだったと言います。国土を焦土にし、その一切を灰燼にせしめた戦争の結末を思えば、昭和20年までの日本をそう思いたくなるのは当然のことかも知れません。しかし、それと比較したいがために、殊更に「明治」を持ち上げすぎるきらいがあると僕は思います。ここで何度も書いていますが、「明治」ほど歴史と伝統を破壊した時代はありません。司馬が愛した「江戸の多様性」は、明治になってほとんど喪われます。それについて、司馬はほとんど語りません(管見の限りでは)。「昭和」の特殊性を強調したいがために「明治」を美化しすぎていると僕には思われます。

今日はこれまで。









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