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2011年1月22日土曜日

江戸の習俗(混浴)

江戸時代までの日本の風俗として、男女混浴であったことをご存じの方も多いと思います。これは事実で、多くの外国人がその驚きを書き記しています。

以前紹介した「逝きし世の面影」は、外国人の目から見たこの風俗を紹介しています。

それによると、日本での入浴が男女混浴であるということは、外国人同士の間ではかなり有名な好奇の(男からして当たり前)事象で、公衆浴場の場所がどこそこにあるという情報が伝わっていたらしい。

この風俗を目の当たりにしたある外国人の感想はというと、当初は皆驚きかつ当惑するのです。驚くのは、日本は自ら(西洋)と同じような文明を持った国であるのに、その風俗だけは未開の国のようなふるまいであるからです。これが、彼らからみて日本も未開の国であったら、何等驚く事はないでしょう。それが、日常のそれ以外のふるまい、礼儀正しさ等からはとても想像のつかない「野蛮」なことと感じられたからです。特に宣教師からみたそれは「日本ほどみだらな国はない」とまで憤激にも似た感情を日記に書かしめるほどです。

「老いも若きも男も女も、慎しみとか、道徳的に許されぬことだというはっきりした分別をそなえている様子をまるで示さず、恥もなくいっしょに混じりあって入浴している。人前で見境もなく入浴するこうした慣習を、原始的習慣の無邪気な素朴さとみなし、国によって道徳的によいことと悪いことには非情な差異があると説くことによって、弁護しようとする人がいる。こういった寛大な理屈に対する明白な答えは、日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ」


ピューリタン的な倫理観とは相容れない風俗だとは思いますが、この傲慢な言い方はどうでしょう。かといえば、ハリスのように

「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる

と、正直に戸惑いを記す人もいます。一方、次の様にそれを弁護する人もいます。

「風俗の退廃と羞恥心の欠如との間には大きな違いがある。子供は恥を知らない。だからといて恥知らずではない。羞恥心とはルソーが正当に言っているように『社会制度』なのである。・・・各々の人種はその道徳教育において、そしてその習慣において、自分達の礼儀に適っている、あるいはそうではないと思われることで、基準を作ってきているのである。率直に言って、自分の祖国において、自分がその中で育てられた社会的約束を何一つ犯していない個人を、恥知らず者呼ばわりすべきではなかろう。この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集るどんな年齢の男女も、恥ずかしい行為をしているとはいまだ思ったことがないのである。」


 僕らの文化的コードが完全に変わっていまった過程に興味が出てきました。

今日はこれまで。

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