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2009年11月22日日曜日

憂国忌



我々は4年待った。最後の1年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと30分、最後の30分まとう。共に起って義の為に共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない、日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち共に死のう。我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

昭和45年 11月25日 檄


3 件のコメント:

  1. 市谷ですよね、ここは。
    毎日となりの工場へ通っています。
    当時は1歳です。

    意外と皆、知らないですよ。
    今の市谷に居る自衛官でも知って勤めている方が何人いるか...?

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  2. 二、三の覚え書き

    壱)高校生の頃に「金閣寺」を読んだが面白くなかった。
      30後半で読んだら凄く面白かった。
    弐)「葉隠入門」を読んだ。この人の解釈は実に面白い。
    参)三島由紀夫・美輪明宏の「黒蜥蜴」を観に、
      大井町武蔵野館に行ったら、週を間違えて
      京唄子の「黒蜥蜴」だった...

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  3. 田村さんの勤務先の隣でしたね、ここは。

    彼の絶叫は多くの自衛官の野次や罵倒にかき消されて、実際何を言っているのかわからなかったですね、映像を見る限りでは。

    時の総理は佐藤栄作、防衛庁長官は中曽根康弘でしたが、「この民主主義の時代に」「狂気の沙汰」というようなコメントでした。

    政治家ですから仕方ありませんが、その民主主義を唾棄して、終にはそれに体をぶつけて自栽した人間に対して、そのコメントはあまりにも貧しすぎような気がしています。

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