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2009年11月14日土曜日

さて、本日はある作家の話

豊田穣という直木賞作家はご存知だろうか?

海軍兵学校第68期生で※艦爆乗りのパイロット。昭和18年4月、作戦飛行中、南太平洋ソロモン海で撃墜されて捕虜になった人物である。 彼の乗機は2人乗り、漂流する二人をニュージーランド海軍の哨戒艇が発見し引き上げようとした時、部下は彼にこう言う
「※分隊士、まだ死なんでもいいですか?」
彼はただこう答えた
「待て」と。
彼等2人は戦後昭和21年に帰国する。

その後、豊田は新聞記者から作家へ、その部下は航空自衛隊に勤務し、三等空佐で退官。
その間、幾度となくかつての上官であった豊田を訪ねていた。
独身を通したその部下は、退官後温泉地でマッサージ師として暮らしていたが、
警官をして「実に見事な割腹自殺です」と言わしめる程の自決を遂げる。
しばらくして豊田は、その部下が生前「多くの戦友が戦死しているのに、捕虜になって生き残って申し訳ない。
今度事があったら立派に死んでみせる」と語っていたのを知り言葉を失う。
独身を通したのも、戦地へ出る前に結核で死のうとしている婚約者に「生涯結婚はしない」を約束した事、それに「捕虜になって生き残った人間が人並みな生活を送っちゃあいけない」と思ったからだという。
豊田は、その事を書いた「割腹」という本の中で次のように述べている。

「世間の大部分の人は、幸せに生きる事に専念している。しかし、中には不幸になろうと希って生きてきた人間もいたのである・・・。
私は孤独を味わっていた。海上に漂流する浮舟の上の二人のうち、一人が突然別れのあいさつもかけずに消滅し、自分だけが浮舟の上に取り残されたのを意識した。」

その豊田については、「捕虜だったくせに大きな顔するな」などの投書も多く、彼の作家としての生涯は旧海軍の中でも賛否両論があったと聞く。死の前年に著わした「戦争と虜囚のわが半世紀」の中で、心臓肥大の病気に苦しむ毎日を送りながら次のように書き記す。

「そのように苦難のとき、私は自分の捕虜経験にぶち当る。戦死すべきところを生き残った自分は、もっとも惨めに死んでゆくであろう・・・。(中略)そのようなとき。私は天を仰ぐ。南緯十度、ソロモンの海面で仰いだ南十字星がそこにあった。私の生涯でもっとも印象的な星がそこにあった。あの星の下で今も多くの同期生が、自分を待っているのだ・・・そう考えると私は平安を取り戻した。」

1994年、豊田は74年の生涯を閉じる。最後の瞬間、南十字星は希望の星の如く彼を導いたに違いない・・・。

※艦爆:艦上爆撃機(空母からの離着陸ができるような爆撃機)2~3名乗りが普通
※分隊士:分隊の一番上が分隊長、その下が分隊士

2 件のコメント:

  1. どこかで見たと思ったら「雪風は沈マズ」の著者ですね。
    他には「空母信濃の生涯」とか...

    すいません、両方とも持っていないのですが...

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  2. そうです。彼はかなりの戦記を書いています。僕はあまり好きな文体ではありませんがね。

    自分で言うのも変ですが、僕はこの文章を非常に気に行っているのです。書いたのはかなり前ですが。

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