人気の投稿

2011年5月24日火曜日

領域

今年四歳になる娘には「ちちうえ」と呼ばせている。特に理由はないが、「パパ」より「おとうさん」より、僕にはその方がいいと思ったまで。

世にたったひとりの僕を呼ぶ声が、昔読んだ寺田寅彦の随筆を突然思い出させた。
大学の構内を歩いていた。病院の方から、子供をおぶった男が出てきた。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄くらいの大きさの疣が一面に簇生していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
(大正十二年三月)

余計な講釈はいるまい。



2005年の僕の年賀状の文章からとりました。

この時4歳だった娘は早10歳になろうとしつつあり、幼女から少女へと成長しています。男親だからなのか、その成長が少々複雑です。ずっと幼女のままでいればいいのにと思ってしまう気持ちがあるからです。その気持ちは何ともいえぬものです・・・。

さて、寺田寅彦。
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年明治11年)11月28日 - 1935年昭和10年)12月31日)は、戦前日本物理学者随筆家俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京市)。(出典:Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6)

物理学者でありながら、彼の随筆は非常に豊かな文才が溢れています。「柿の種」という随筆集が出ており、僕はそれを読んだわけですが、「寺田寅彦全集」も出ていることから考えても、彼の本職が物理学だとは到底思えないほどです。


天災は忘れたころにやってくる

と言ったのは、確か彼だったと思います。記憶が不確かですけど・・・。

かつての帝国に住んだ日本人は、学者とはいえ専門バカになることなく、実に深い教養というか、文学的素養を身に着けていたのですね。領域が非常に広くかつ深い・・・。そして、その感性もこの短い文章を読むだけで素晴らしいものだとお分かりになるはず。
それと比べると今の時代の人たちは実に狭量な知識の上でしか物事を書いていないことがよくわかります。もちろん僕自身も含めてです。

今日はこれまで。 



0 件のコメント:

コメントを投稿