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2011年5月7日土曜日

怨望の人間に害あるを論ず

福沢諭吉によれば、タイトルのごとく、
およそ人間に不徳の箇条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし
だそうで、
貪吝、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きに素質において不善なるあらず。
らしいです。なるほどそうかとうなづくことしきりですが、幸いにして僕はそれが「不徳」となるほど強いものではないことに救われていると思います。ことさら僕が特別だとは思いませんが、世の中の多くはこの「怨望」についてあまり考えることがないのではないかと思えます。
怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。
さらに、次のように続けます。
譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足の法を求めずして、かえって他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。

東電は、巨額の賠償金を支払うために役員報酬の半減を決めたそうですが、それでもなお役員報酬が多いとマスコミは言っています。したり顔で報酬は「0」でもいい等という人たちもいますが、僕にはどうもこういうことを言わしめる心性には、「怨望」が働いているのでは?と考えてしまいます。
他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。
と福沢が言っているようにです。あまり美しい振舞ではありませんね。

今日はこれまで。

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