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2010年6月11日金曜日

組織の不条理 最終回

 3回に渡って無謀な白兵突撃を繰り返した日本軍の行動の裏には、一般的に日本軍に内在した非合理性が指摘されています。「失敗の本質」(中公文庫)がそうです。グランドストラテジーの欠如、情陸海軍で情報を共有しない、情報を軽視した作戦立案等々・・・です。
 なぜ、日本軍は白兵突撃戦術を変更できなかったのでしょうか?問題はそこにつきます。日本陸軍には日露戦争の戦勝後に策定された「歩兵操典」というのがありました。そこには兵器、兵力の劣勢を補う精神力が強調され、その強靭な精神力に支えられた攻撃精神に基づく歩兵の銃剣突撃こそが戦いを決するとされていました。そしてそのように歩兵の装備と、それを中心とする戦闘集団の装備、日々の訓練が決められていたのです。
 米国の圧倒的な火力を前にするまで、その戦術で日本陸軍は成功を収めてきました。満州事変、支那事変での中華民国との戦い、大東亜戦争勃発後のマレー、シンガポール、フィリピン攻略戦、すべてこの白兵突撃で作戦を成功させてきました。多くの成功体験と自信があったのです。この戦術がデファクトスタンダードとして成立していたのです。したがって、これを放棄してより効率的な戦術へと作戦を変更すれば、日本陸軍は巨額のコストを負担しなければならなかったわけです。仮にそれを変更することは、これまで数十年に渡って積み上げてきた白兵突撃を勇猛に指揮する事のできる指揮官や兵の育成、ひいてはその戦術をもとにした戦闘組織など、すべてが埋没コストとなってしまいます。しかも新たな戦術を採用するにはその調整コストも膨大になります。
 
 同書では次のようにまとめています。
「もし日本陸軍が戦闘を中止し、撤退し、そして白兵突撃戦術を放棄すれば、日本陸軍は膨大な埋没コストと取引コストを生みだす様な状況に置かれていたのであす。とくに、ガダルカナル戦では、白兵突撃戦術を放棄し、より効率的な戦術に変更することによって得られるベネフィットよりも、それを変更するために必要な埋没コストと取引コストがあまりにも大きい状況にあったといえる。(中略)換言すれば、日本陸軍によって白兵突撃戦術を放棄し、膨大なコストを発生させ、そのコストを確実に負担するよりも、未来に向かって白兵突撃戦術のもとにわずかな勝利の可能性を追求したほうが、合理的だったのである。」

 合理的な選択をしたがゆえに、ガダルカナル島の悲劇を生んだというわけですね。


 同書は「合理的な選択をしたゆえに非効率と悲劇を生みだした」という新しい見方を示しています。他にも「インパール作戦」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6)について、なぜ反対者の多かった無謀な作戦が実行されたのかという問題を、そして不条理を回避した事例として「硫黄島の戦い」「沖縄の戦い」などを紹介しています。しかし、なぜ不条理を回避したかについては、すべて後知恵で理屈を付けているように僕は思います。不条理を回避した原因は、組織ではなく「人」そのものにあったと僕は思うのです。映画にもなった「硫黄島の戦い」では、結果的に島を奪われましたが、守る日本軍よりも攻める米国海兵隊の戦死傷者の方が上回った最初で最後の戦いになりました。これはこれまでの水際撃滅作戦を回避して地下陣地に潜って執拗にゲリラ戦に徹した戦術をとった司令官栗林忠道の力によるものでしょう。同書は「沖縄の戦い」も不条理を回避した事例として挙げていますが、僕はこれには疑問です。沖縄も当初は白兵突撃を固く戒め、兵力を温存して本土決戦準備の時間を稼ぐという目的に徹していました。これは八原博通という作戦参謀の立案した戦術です。しかし、陸海軍中央の執拗な作戦変更指示に結局は従ってしまうのです。情に負けたのです。戦艦大和は特攻出撃した。毎日陸海軍の特攻機は沖縄海上の米国艦船攻撃をおこなっている。なのになぜ沖縄地上軍は外に出て華々しく戦わないのか!という感情論に屈したのです。結果的に、その華々しい戦いは、守る沖縄地上軍の壊滅の時期を早めただけです。この八原参謀は、珍しいケースですが自ら投稿して米国の捕虜になっています。そして沖縄戦の実相が今に知られたわけです。

 同書の帯には「破綻に突き進む組織にしないために」とあります。それは制度の問題ではなく、組織を構成する「人」そのものに焦点をあてる必要があると思います。

 3年8カ月に及んだ大東亜戦争の実相を学ぶことは、戦略、組織、制度、人材、そのすべてにおいて最高の教科書となると僕は思います。


 

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