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2010年6月18日金曜日

やはり名著だ・・・

早いもので、3と1の会も来月の開催が第29回の開催となる。その第1回は、私が講師を務めて左記の「経営戦略を問い直す」を皆さんにご紹介した。僕自身は、この本で著者三品和弘を知り、その後彼の全著作をそろえた。そのすべてが非常に面白かった。「戦略」という言葉を使いさえすれば、なにかしら高尚な感がする、頭を使った感がする。ただそういう空気に流されてその言葉を多用しているだけなのが現実の姿だと、著者は言いきっている。単なる「戦術」にしかすぎないものまで、「戦略」という言葉を使っているため、真に「戦略」といった言葉でしか定義できない「なにものか」を伝える術を失ってしまっていると。

著者は、経営戦略とは「長期利益の極大化」を目的としたものに他ならないと断言する。10年単位での長期利益の極大化こそが目的だとしている。


著者は「戦略」という言葉の誤用の例として、2001年の日経ビジネスの記事から、当時のアサヒビールでの例を挙げている。アサヒビールでは、本社のスタッフ部門に人事戦略部、経営戦略部、IT戦略部と、その語を用いた。それは「スタッフは戦略を考えてほしい」という経営トップの思いが反映されているからだそうだ。

著者いわく、「ここにあるのは『頭を使って仕事をしてほしい』という願望であって、その願望を表すために戦略という言葉を流用するのは拡張解釈の域すら超えている」と・・・。

もうひとつ。ソニーのサイバーショットP3の成功についての日経ビジネスの以下の、
「鈍化しているデジタルカメラの伸び率を復活させるべく選んだ戦略の結果だった。同社のデジタルカメラ事業を再離陸させるためには、女性のデジタルカメラ初心者をいかに獲得するかが課題だった。同社は20~30代の女性新規ユーザーを獲得する案を練った」
という記事を、「これはクラウゼヴィッツが定義した『戦術』そのものである。」とばっさり斬っている。商品個々の競り合いは、軍事用語でいう交戦に相当する。いかに勝つかという関心は、時間の流れの下流でしなかく、戦略は同じ時間のもっと上流に位置する。すなわち「戦うか否か、または今か後か」である。それこそが戦略の領域であるとしている。

著者は誰でもいつでもつくれるようなものは戦略の領域には属さないとし、長期利益の極大化を成し遂げた日本企業の中からいくつかの重要な事項を指摘している。それは、「長期利益の極大化を成し遂げている企業の社長の任期は全て10年以上である」ということである。社長の長期任期が成功を約束はしないが、成功企業の全てで経営のかじをとるトップは10年以上の任期を務めているというデータを紹介している。同じ業界に属し、創業も同じころの「キヤノン」と「ニコン」、「花王」と「ライオン」の企業収益の差、どちらも前者の成功は長期にわたって舵取りをおこなってきた経営者の心眼にこそあったとし、「戦略は為すのではなく、むしろ読むことにある」と断言している。


以上の論を敷衍、さらに掘り下げたのが左記の本で、こちらは冒頭に、日本の三大ハムメーカー、日本ハム、伊藤ハム、丸大ハムの企業業績の比較から始まっている。いずれも創業は同時期で、であったこの3社の業績の推移を載せ、今では比較にならないほどの差を残り2社につけて業界首位にたった日本ハムの成功の原因は、20年以上社長に君臨した創業者であったということを推測させている。他2社ともに、創業社長が亡くなり二代目社長になった時から凋落が始まっている事実があるのだ。

この本は日本の上場企業1千社超の、約50年にわたる長期の業績から、利益の極大化を成し遂げ続けている企業が僅か数10社しかないことを明らかにしている。

1970年代だった思うが、エズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーになり、日本的経営の良さが、アメリカから発信された書籍によって再確認された時期があった。当時の日本企業は世界市場をまさしく席捲し、米国企業の凋落が騒がれた時期であった。これも、著者の示したデータから考えると、当時の日本企業の経営者は創業者が多く、一方の米国企業は2代目、3代目経営者が多かったからと言えなくもないし、事実その通りでもあった。

翻って、現在はどうか?元気な日本企業は、やはり創業者が経営のかじ取りをおこなっている企業ばかりである。「日本電産」しかり、「ユニクロ」しかり、「ソフトバンク」しかり・・・。ソニーの凋落は盛田氏が亡くなってから始まり、今では韓国サムスンに売上を抜かれてしまっている。サムスンは創業者が率いている。

創業者と2代目、3代目社長の差は何なのでしょうか。僕にはよくわかりませんが、ひとつは「勇気」があるか否やではないかなと思います。

「西郷南洲遺訓」にこうあります。

「事に当たり思慮の乏しきを憂うることなかれ。およそ思慮は平生黙坐静思の際に於いてすべし。
有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当たり率爾に思慮することは、例えば臥床夢寐(むび)の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し」

「戦略」は誰もが「バカな」と思うことをやり遂げるからこそ成功し、その真意をきけば「なるほど」と納得するもの。思慮がすぎれば「バカ」なことをやりとおすことができなくなってしまうからではないでしょうか。勇気の問題かなと思う所以です。

「創業」の成功が次世代の成功を約束しないのは歴史をみれば明らかですね。鎌倉幕府の源氏政権は3代で終り、豊臣政権は僅か1代で亡びました。秀吉は仕組みを残して自らの政権を存続させようとしましたが、失敗しました。この話はいずれまた。


著者三品和弘先生(神戸大学の教授)は、最近新刊を出しました。左記の本です。多分、奥田さんが買ってくれることになっています。


それではまた。

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