人気の投稿

2010年6月29日火曜日

懺悔

蒸し暑い日が続きますが、みなさん御機嫌いかがでしょうか?

今日はサッカーの話題です。
日本人の一人として、本日の日本代表の健闘と勝利を望みます!
何としても勝ってくれ!!!

かつて一度仕事を一緒にした造園コンサルタントの方に筋金入りのサッカーファンがいました。1978年のアルゼンチンでのワールドカップから、かかさず観戦に行っているとのこと。
彼は日本中のサッカー場を芝生にしたいとの夢をもち、造園コンサルタントの道に進んだそうです。
オフィスも国立競技場の近くにあるほどです。
午前中の打合せにもかかわらず、U17の国際大会をを朝方まで観ていたと、眠そうな目をこすっていたのを思い出します。

僕は、1990年代初めのオフト監督時代から日本代表を意識するようになりました。オフトが監督になるまでは、ワールドカップに日本が出場できるなど、大方の人は想像すらできなかったと思います。僕もそうでした。有名な話ですが、オフトが日本代表監督に就任する前、確か、マツダのサッカー部のコーチとして招かれた時、サッカー部メンバーの顔写真をみただけで、8割くらいのポジションを言い当てたそうです。日本代表(日本のサッカー)の躍進は彼によって始まったと思います。

1998年のフランスワールドカップ。臨時に監督となった岡田監督は、「1勝1敗1分けでグループリーグを突破する」と公言してました。戦う相手はクロアチア、アルゼンチン、ジャマイカでした。すぐに推測出来るとおり、ジャマイカに1勝、アルゼンチンに1敗、クロアチアに1分けと、星を読んだのでしょう。僕は、監督が言ってはいけない言葉だと思いましたね。選手のどこかに「一つは負けてもいいんだ」という気持ちが芽生えるのは当然ですから・・・。結果は3敗でした。

2002のトルシェジャパンの時もそうです。決勝Tに進出してすでに満足していましたね、トルシェは。
「ここからはボーナスだ」と言った彼の言葉にそれがよく現れています。
岡田監督は、それを戒めとしているようです。だから最初からベスト4と公言したのかも知れません。

大会直前の日本代表の戦いぶり、試合結果をみて「岡田監督では駄目だ」と多くの人が思ったのではないでしょうか?それが今では、それに口をぬぐっています。僕もその一人でしたから、「懺悔」です。今になって岡田監督を褒めるなら、それまでの自分の物言いを撤回して謝るべきでしょうね。
サッカージャーナリストの人々は・・・。

日露戦争が終り、史上空前の勝利を成し遂げた聯合艦隊を解散するとき、東郷平八郎は次の言葉でその解散の辞を締めくくりました。

「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」

日露戦争中、日本のファンであった時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは、それに非常に感銘を受け、英訳したものを彼のスタッフに配ったと言われています。

パラグアイに勝ち、次の試合、日本対スペインかポルトガルとの試合を何としても観たいですね。








0 件のコメント:

コメントを投稿