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2010年6月15日火曜日

いろいろ思う事

20年ほど前になりますが、イギリスにいた時のイギリス人の友人が日本に職を得て初めて来日した夏に、日本の蒸し暑い夏にやっつけられ、1カ月で体重が7キロも落ちたそうです。アジアの蒸し暑い夏は、欧州のカラッとした暑さとは別物ですからね。毎年、夏になるといつもそれを思い出します。もう一つ彼の事で印象的なのは、僕らが夏の風物詩として感じる蝉の鳴き声を非常に不快な顔をして、「あれは何の音だ?」と僕に尋ねたこと・・・。かなり広く知られていますが、日本人は虫の鳴き声まで言語を司る左脳で処理するのに対し、日本人以外は虫の声はあくまでも雑音でしかなく「右脳」で処理するということ。日本人が第二外国語を学ぶのに苦労するのは、そのためでもあるらしいですね。

本を書き上げて以来、1ヶ月半ほど「活字」に食傷してまして、一切の読書はしていなかったのですが、その反動でしょうか、ここんところ、毎日1~2冊のペースで蔵書をひっくり返して本を読みまくってます。何回目の読みなおしかはわかりませんが、「八甲田山死の彷徨(新田次郎)」で、再びリーダーシップについて考える事がありました。今でも明確に覚えていますが、僕の中2の夏ごろ、13歳のことですが映画で「八甲田山」を観て、非常に感動しました。芥川也寸志(芥川龍之介の子供)作曲の同映画のサントラ盤まで買ったことを憶えています。映画を観たあとに、買ったのが同書です。今から思えば何と早熟な子供だったのかと思います・・・。今でもリーダーシップ研修の題材に使われるらしいですよ、その映画は。

この話、御存じでしょうか?

主人公北大路欣也演ずる青森歩兵第五連隊の神田大尉は、高倉健演ずる弘前歩兵第31連隊の徳島大尉とともに、日露が開戦し、津軽海峡がロシアに占拠された場合の日本列島の東西の連絡が可能か否かそれも冬季の。それを課題として与えられるのです。命令ではありません。徳島大尉は約30名の小数精鋭を以て冬の八甲田山を踏破する計画を立て、神田大尉も同様に小数精鋭をもってそれにあたろうとします。ところが、神田大尉の方は、直属の上官である山田少佐がそれに異を唱えます。「31連隊と同じような編成では5連隊らしさがでない」と。そのため、5連隊は結局約200名にも及ぶ大部隊での計画となり、しかもそこに山田少佐も参加するということになります。これを知った5連隊の連隊長は、指揮権の不明確になることの危惧を表明しますが、山田少佐の「指揮官はあくまでも神田大尉であり、私は単なる附き添い」の弁明に、最終的に許可を与えます。

徳島大尉の計画は、「無謀すぎる」と再考を求められたほどでした。それは10泊11日にも及ぶ大遠征だったからです。八甲田山に入る前に、充分に冬の寒さに慣れさせようとした徳島大尉の綿密で周到な計画でした。行程にはすべて地元猟師等の道案内を付け、民家に宿泊するという計画でした。
神田大尉も、道案内なしで冬山へ入ることの危険性を十分過ぎるほど知っており、道案内を確保していましたが、指揮権のないはずの山田少佐に「そんなものは無用である」と言われ、地図とコンパスだよりに八甲田山に向かわざるを得なくなります。5連隊の計画は2泊3日の行程でした。地理的に徳島大尉とは違い、冬の雪山に馴れることなく入っていきます。

5連隊の行程初日から、今までに例をみないほどの低気圧が八甲田山を蔽い、案内人を持たない200名は雪の嵐に翻弄されます。随行軍医から「雪中行軍の中止」を進言された神田大尉は、行軍の中止を決断しますがそれが声になるより前に山田少佐の「出発!」の声に空しく消されてしまいます。指揮権はいつの間にか山田少佐に完全に移ってしまっていました。

猛吹雪と胸までつかる積雪にあえぎながらも先頭に立つ続けた神田大尉ですが、途中ある下士官の進言を不用意に受け入れた山田少佐の命令に、完全に道を見失ってしまいます。地図とコンパスから導き出したルートは違うルートへ導かれてしまうのです。そこから、200名の遭難が始まります。

この映画のキャッチコピーが「天は我々を見放した」でした。これは、帰路を見失ってどうにも動きがとれなくなってしまったときに神田大尉が絞り出すような声で叫び、立ちつくすシーンから採られた言葉です。人事不省に陥ってしまった山田少佐にかわり、最後まで指揮統率に努めてきた指揮官のこの絶望に、回りにいた兵士たちは次々と斃れていきます。

全隊員が無事に踏破した31連隊に対し、5連隊は生存者僅かに10名でした。生存者はほとんどが凍傷にかかり、手足の切断を余儀なくされ、五体満足で生還したのは2~3名程度だったと思います。世界の山岳史上最大の遭難事件でした。

この事件から何を読み取るか、みなさんにまかせましょう。

もう10年以上前になりますが、女房と700キロ向うの八甲田山へ出かけたことがあります。テントを積んで3泊4日の旅行でした。八甲田山を目前に控えた僕は感慨無量でした。あの時の感動は何ともたとえようがありません。

御存じかと思いますが、作者新田次郎は「国家の品格」の作者藤原正彦の父上です。

それではまた。

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