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2010年7月3日土曜日

指揮官たるもの・・・

 1998年のフランスワールドカップ直前に、当時の岡田監督は遠征先の土壇場で「カズ」を外しました。これまで、どんなに調子が悪くても不動のフォワードとして、オフト、加茂時代の代表から定位置を約束されていた彼を外したのです。「自らの戦術に合わないから」と・・・。日本国中は大騒ぎしました。血も涙もない監督だと。これまでのカズの功績を考えたら、誰もが驚愕する事件でした。僕は今でも残念でなりません。

今回のワールドカップでも、岡田監督は不動の10番中村俊介をレギュラーから外しました。これもすごい決断だったと思います。どうも岡田監督は、そういう決断をせざるを得ない星の下にあるような人ですね。血も涙もある人間でしょうから、岡田監督の胸中は察するにあまりあります。

組織には機能体(ゲゼルシャフト:例えば企業、軍隊)と共同体(ゲマインシャフト:例えば家族、地域社会、趣味の会)があります。このふたつは構造も目的も違うわけですから、その運営にあたってはその違いを明確に認識する必要がありますが、日本人は、どうも情に弱く、機能体でありながら共同体に流れやすいように思います。この二つの組織の明確な違いを一つあげると、人材評価の尺度があります。機能体では「外的評価による能力と実績」、即ち目的への効率性とでも言えましょうか。一方の共同体は「内的評価による人格」、即ち情であり、波風立てるなといった世界です。これまで何度か述べてきた帝国陸海軍は、機能体でありながらその人事評価は共同体のそれでした。最後までブレイクスルーができませんでした。これも敗戦の原因の一つです。つまり、適材適所ができなかったのです。

さて、日本代表を二度に渡って率いた岡田監督は、明確にその人事評価を貫いた名指揮官といえるでしょう。言うまでもなく日本代表チームは機能体組織であるべきで、そうであるならばその人事原則が最優先されるべきです。カズを外したのも、岡田監督の考える勝つための戦術に彼が不要だったからで、今回中村俊介を外したのも同様の理由でしょう。これはすごい決断だったと思います。考えてほしいのは、今回ベスト16まで進めたからいいようなものの、1次リーグで敗退していたら、多くの非難を浴びたのは間違いありません。どちらにせよ、指揮官の相当な勇気と覚悟がいります。それを見事に成し遂げた岡田監督は本当に勇気ある指揮官だったと思います。

ところで、企業経営にせよ戦争にせよ、純粋な機能体組織こそがベストなのか?といえば、歴史はそうは教えていません。織田信長のつくりあげた軍事組織は、純粋な機能体組織でしたがその末路と、その後の歴史はどうだったか。次いで登場した豊臣秀吉は共同体組織から機能体組織への転換がうまくいかなったことを教えてくれています。

ここから先はまたいずれ。

話は変わりますが、岡田監督が帰国会見の席で「日本人の中に脈々と受け継がれているものをもって」戦ったといいましたが、果たしてそれは一体何を意味するのでしょうかね?惜しくも負けてしまったブラジルですが、代表監督ドゥンガはかつてジュビロ磐田でプレーしてましたが、当時からブラジル代表でもあった彼が、なぜサッカー後進国のJリーグでプレーすることを決断したかを問われて、「日本はサムライとカミカゼの国だから」と言ったことはご存じでしょうか?この国が教えもせず、忘れ去られている「神風特別攻撃隊」は、今なお海外で脈々と語り継がれているているのですよ。

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