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2010年7月23日金曜日

65年前の終戦記念日を思う その5

 昭和20年8月に日本国軍隊が降伏をしなかったら、連合軍は秋に南九州へ上陸するオリンピック作戦、翌年の3月には関東地方に上陸するコロネット作戦を遂行する予定でした。後者の作戦においては「史上最大の作戦」として名高いノルマンディ上陸作戦をはるかに上回る規模の上陸作戦となる予定でした。


 一方それを迎え撃つ日本軍は、15歳から65歳までの成年男子を根こそぎ動員し、2800万人を組織化して最後の戦いを行う算段でした。全員に行きわたる兵器もあるわけでなく、もうほとんど自殺攻撃だけが残された戦い方でした。まさに一億総特攻です。これは戦術とか、作戦の名に値しませんね。もはや精神の戦い、いわば「心法」です。


 幸いなことに、そのような事態は避けられたわけですが、連合国は、九州への上陸作戦だけで約25万人の戦死者数を予想していました。特に、沖縄での軍民一体となった戦いに衝撃を受け、本土へ上陸したことを考えれば、そのくらいの戦死者数を予想し、かつ恐れたのです。


 日本が米国と戦ったあの戦争をよく言う人はまずいません。いわく、「無謀な戦争」「勝ち目のない戦争」「無計画な戦争」・・・。しかし、僕はこう思います。「今に生きる『合理的』な日本人は、あのようなことを二度としないと断言できるのか」と。
対米英戦は、技術水準、物量の差からみて到底勝算などないことは、皆わかっていました。論理的に結論を求めれば「敗戦」となることは自明の理でした。何でもかんでも合理的、論理的に考えようとするなら、当時の日本人は皆狂っていたことになります。


 ただ、こうも言えるのではないでしょうか。


「個人の人生において、合理的、論理的な説明が不可能なことを為す場合もあるのだから、国家や民族においても、仮に負けるとわかっている戦いに、あえて身を投じなければならないこともある」


 僕は、日米の戦いは太平洋を挟んで向かい合ったこの両国の宿命であったと思っています。




さて、「東京裁判」正しくは「極東軍事裁判」について、皆さんがどれほど知っているのかはわかりません。毎年8月15日になれば靖国参拝で「A級戦犯」云々と、マスコミをにぎわしますが、あの裁判の「振り」をした復讐劇の茶番は、今でもこの国の矜持を汚すことに一役買っているようにも思えます。


次回の3と1は、その「東京裁判」について皆さんの理解を深めてもらうために、僕が講師を勤めようと思っています。第30回の開催。8月26日に行います。場所は未定です。



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