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2010年7月29日木曜日

「死刑」「人権」等々

 現法務大臣が、就任後初めて死刑を執行したことがニュースになっています。
その千葉恵子なる女史は、先の参院選で落選したまま大臣にとどまっており、その事について批判が多く出ています。閣僚は議員でなくても務めることができるので、それについてとやかく言うつもりはありませんが、彼女は名うての「死刑廃止論者」らしいですね。この時期に死刑を執行したことについては、痛くもない腹をさくぐられても致し方のないことだと思います。


 さて、新聞によれば世論調査で国民の85%は「死刑」に賛成しているそうですね。世の中の論調は何でもかんでも「民意民意」と騒ぎ立てていますが、それならばこの「民意」の結果を尊重すべきでしょう。しかしながら、僅か15%に過ぎない小数意見をなぜクローズアップするのか、僕にはよくわかりません。しかも、死刑廃止を叫ぶ人々は「人権運動家」とか言われています。「人権」って何だ?


 ニュースでもアムネスティの日本支部長とかいう女性が、「人間の命に関わる重要な決断」云々と、死刑の執行に関して落胆したとか言っていましたが、その支部長は罪なく殺された被害者の命に関しては、どう考えているのでしょうか?同じセリフを被害者の遺族に、面と向かって言えるのでしょうか?その彼女だけでなく、死刑廃止論者は必ず「国家が命を奪う」ということに対して、一様に疑義の念を差しはさんでいるようです。


 たとえ自分の家族が殺されても、その加害者を許すという、寛容で愛に満ちた人もいるにはいるでしょう。僕もそういう人を尊敬するにやぶさかではありませんが、それを万人に強制しようとするのは大きな間違いでしょう。仮に、死刑廃止論者が被害者の遺族に「死刑よりももっと辛い刑を与えるために」と、現行の「無期懲役」ではなく、「終身刑」を課そうと説得するのなら、僕もわかるのですよ。僕ならその説得には耳を貸しませんがね。でも、そうではないですよね、必ず命を国家が奪うのはよくないというのが、彼らの主張ですから。もちろん、無実の罪で死刑になる可能性は0にはなりません。裁判の錯誤は必ずあります。しかし、そうはいっても裁判というものを信用せざるを得ないのが、この社会に生きる人間の定め、悲しいかもしれませんが宿命です。近代というものは、個人から復讐権を取り上げ、国家にそれを与えました。世にはびこる「人権論者」は、その復讐権は「人権」の中には含まれないという理解なのでしょうか。僕には理解できません。


 毎週欠かさず見ていいた「クリミナルマインド」というアメリカのテレビドラマがあります。先日シーズン4の最終回でした。
89人ものホームレスやジャンキーをさらってきて、知的障害である自分の弟を利用して人体実験していた四肢麻痺で寝たきりの兄が、こう言うのです。「たとえ、陪審員が僕を有罪と認めて、僕が罪を負ったとして今の僕の境遇以上の罪があるのか?」と。米国は衆によっては死刑がありません。結局、その兄は妹を殺された遺族に撃ち殺されてしまいます。後味の悪いエンディングで、罪と罰についての根元的な問いを発している内容でした。


 
 根元的な内容といえば、この本です。




かなり売れていますね。この社会の様々な矛盾や対立をあげています。まだ全部読んでいませんが、これまでのところ、非常に面白い本ですよ。いつかこれを題材に議論できたらいいとは思いますね。


 この世の中に解ける矛盾や対立は非常に少ないのだなとわかります。

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