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2010年7月8日木曜日

救国論

 今月号の文藝春秋の巻頭は藤原正彦の「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」でかざられています。僕は、彼のベストセラー「国家の品格」を読んだ事がないので、初めて彼の論を読みました。彼の主張はこの国の混乱の原因は、GHQと日教組にあるとし、「東京裁判史観からの脱却」によって、「誇りある国家を取り戻せ」ということで、まさに我が意を得たりといったところでした。

「東京裁判史観」なるもの。いつか皆さんにご紹介したいと思いますが、このめちゃくちゃな政治劇を金科玉条のように崇め奉っているこの国の姿は奇怪であるといいようがないと思っています。昭和16年11月26日に米国から突き付けられた最後通牒、通称「ハルノート」をご存じでしょうか?それまでの十カ月に及ぶ交渉の経過を完全に無視して「日本は明治維新前の四島に戻れ」と言ったに等しいこの文章によって、日本国政府は絶望するのです。「最早戦争しかない」と・・・。米国との戦争を欲していた政府高官、陸海軍人の高官はほとんどいませんでした。もちろん、中には勇ましい言を吐く軍人もいましたが、それが軍の総意ではありませんでした。勝てる見込みがないのは皆わかっていたからです。

もう少し敷衍しますと、交渉の重要案件は日本が中国本土からの撤兵に応じるか否かでした。日本国は満州国さえのこれば、中国本土からの撤兵も止むなしとさえ考えていたのです。それで米国が禁輸を解消するなら・・・。当時の米国世論は8割が戦争反対、ルーズベルト大統領も「皆さんの息子を戦場には送りません」といって大統領になったのです。欧州ではドイツが全土を席捲するような破竹の快進撃を続けていた時です。既にフランスは降伏し、英国は虫の息、ソ連も危ないという中で、米国民はそれでも対岸の火事であると見なし、戦争に反対していたのです。議会も反対でした。それをなんとしても打破して、欧州戦線に介入したいのが米国政府の意向、そのための生贄になったのが日本でした。

東京裁判において、日本の弁護団の一員だった弁護士米国人ブレークニーは、法廷で次のようにいいます。

「このような通牒を突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも米国に対して銃を持って戦うだろう」

彼は、「広島、長崎に原爆を落とした国が『平和に対する罪』で被告を裁こうとしている」と米国にとって痛い事を平気で裁判で述べるなどの正義の人でした。

東京裁判の判決で有名なのはインドの判事として臨席したパール博士(法学)でしょうね。彼は「日本無罪論」をかなりのボリュームでまとめて判事団に提出しました。

後日談ですが、朝鮮戦争で中国本土の爆撃を具申して解任されたマッカーサーは、その直後の米国上院の公聴会において、かつての日本の戦争を「自存自衛の防衛戦争であったと思う」と証言してます。

安倍総理の時でしたか、インドの大統領が国会で演説しましたが、その内容が日本のマスコミによって発信されることはありませんでした。その演説内容は、かつての大東亜戦争の意義を掘り起こし、日本に感謝の意を表す内容だったのです。

市井の庶民が切歯扼腕しても致し方のないことで、そういうことが煩わしいので僕はあえて目を閉じ耳を塞いでいますが、
かつて三島由紀夫が「絶対の青空」と言った夏の青空が広がる季節になると、つらつらそういことを考えざるにはいられないのです。

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