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2010年1月7日木曜日

新春 2010

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、2010最初のアップですが、昨年末に読んだ本のご紹介をしたいと思います。
最近、やけにいろんな事で怒りっぽくなったなと感じていて、何とかならんもんかと
考えていたときに、本屋で見つけたものです。

「怒らないこと―役立つ初期仏教法話1」  
 スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ著

初期仏教というのは、まだいわゆるお経ができる前ですね。釈尊の言葉がそのまま弟子に口伝された頃です。この本がですねぇ、実にいいのですよ。
例えば、こんなくだりがあります。

 私はよく「怒りたくないのに怒ってしまうのです」といった相談を受けるのです。
 答えは明白です。簡単で、完全な方法をお教えします。
 それは「怒らないこと」です。

これ、どうですか?
この人をくったような、文章の後には次のように続きます。

 けれど私が「怒らなければよいのでは」と言ったら、 
 ほとんどすべての人が「それができないから聞いているのだ」と
 ムッとするでしょう。みなさんは、実のところ、「私は怒りたい放題、
 思う存分、勝手に怒ります。でも怒ってはいけないから、何かいい方法を教えてください」と
 思っているのです。誰もかれもが、怒りたくて仕方がない。けれども心のどこかで
 「怒らないほうがいいのでは」と思ったりもしている。自分の気持ちにこうした矛盾が
 あるのですが、そのことに気づいていない。それで「私は怒りたくない」などと嘘をつく
 羽目になるのです。
 そうでしょう?あなたが怒ったのは、怒りたかったからでしょう?「怒りたくない」などと
 いうのは嘘ですよ。本当に怒りたくないと思っている人は、自らを戒めて注意深く過ごすので、
 滅多なことでは怒りませんし、怒ってしまったら恥ずかしくてシュンとしています。
 
 仏教は、怒りを上手にごまかす方法などに、関心はありません。人生はあまりに短いのです。
 生きている間に、なんとかして少しでもまともな人間になりたいのです。
 あなたは本当に幸福になりたいですか?
 もし、本当にそう望むなら、まず「私は怒りたいのだ。ロクなものではないのだ」と
 認めることです。それから「怒りとは何か」「我々はなぜ怒るのか?」を理解しましょう。
 問題の解決は、問題の理解から始まります。

と、こんな風に続いていきます。僕は、この本を読んでかなり気分が楽になりました。
まだまだ「怒ること」をなくすことはできませんが、少なくとも「あっ、怒っている」と
すぐに認識できるようになりました。
女房にも「最近怒らなくなったね」と言われてます。

 人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っています。
 それで怒るのです。「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。
 それを覚えておいてください。
 「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。相手の方が悪いんだ」と思うから、怒るのです。

僕は「人間は不完全なものである」ということは理解していたつもりですし、
「自分はロクでもない奴だ」とは常々公言もしているのですが、心の奥底では「自分は
正しい」と思っているわけですね。この本によると、だから「怒る」のだと・・・。
そう書いてありました。

この続きは、興味のある人はお読みください。

今年は、「怒る」ことをやめようと考えています。
ただ、「怒り」にも「私憤」と「義憤」がありますので、
やめるのは「私憤」、「義憤」は大いに結構とは思っています。
「義憤」こそが、歴史を変えてきたエネルギーですしね。

混濁の世に我立てば
義憤に燃えて血潮湧く

それでは、新年会でお会いしましょう。




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