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2009年6月12日金曜日

かくも救いなき・・・

 農民文学の記念碑的名作である。しかも漱石をして「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になたら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている」と言わしめた作品。救いのような貧しさに、気が滅入りそうになりながらも、読み進めてしまう不思議な作品でした。

 夏目漱石は、こんな文章でこの本を説明しています。

「『土』の中に出て来る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活である。先祖以来茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼らの獣類に近き、恐るべく困憊を極めた瀬克つ状態を、一から十まで誠実にこの『土』の中に収め尽くしたのである。彼等の下卑で、浅薄で、迷信が強くて、無邪気で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆ど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上がりがたいところを、ありありと眼に映るように描写したのが『土』である。そうして『土』は長塚君以外に何人も手を着けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獣類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云うのである。」

 これで十分でしょう。何とも言いようのない百姓の生活が、綿々と綴られ、しかもその歩みは亀のように遅いのです。そして、全編にわたって、自然の描写が恐ろしいほど細かく、美しいのが非常に印象的です。たとえば、この本の冒頭は、以下のように始まります。

「烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうっと打ちつけては又ごうっと打ちつけて皆痩こけた落葉木の林を一日苛め通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲痛の響きを立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつつ目叩いた。そうして西風がどうかするとぱったり止んで終ったかと思う程静かになった。泥を拗切って投げたような雲が不規則に林の上に凝然とひっついて空はまだ騒がしいことを示している。それで時々は思い出したように、木の枝はざわざわと鳴る。世間が俄かに心ぼそくなった。」

と、こんな調子です。自然(時に煌びやかな彩り)は彼らの生活を形づくりますが、彼らの生活に色彩はなく、地を這いつくばるような、まさに「土」色そのものなのです。

この本を読んだからでは決してないですが、最近は、日々の決まり切った日常、型にはまった日常の中にこそ真の歓びと真の美しさがあるような気がしています。冒険は飽きる・・・。ただそれだけなんだけどね・・・。

5 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  2. 田村です。

    「土」は丸善ホームページのカートに入れ、来月小遣い分で購入予定です。
    (来月のメインターゲットは「太平洋戦争 喪われた日本船舶の記録」6,300円ですが...)

    夏目漱石、何度も読んだのは「我が輩は猫である」「こころ」
    だけなんですが、読むたびに新たな発見があり実に奥深いです。

    夏目漱石と云えば、寺田寅彦もいいですねぇ...
    今度、「我が輩は猫である」に出てきた「首くくりの力学」について分かりやすくまとめてみたいと思っています。

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  3. 「喪われた船舶の記録」とは、戦闘艦に限らない、輸送船舶も含めたものですか?軍に徴用された輸送船の船員も海軍軍人に劣らず、多く命を失ってますね・・・。国の為に命を落とした一般船員に対しては、あまり眼が向けられてませんね。大変悲しい事だと思います。「滅私奉公」はもはや死語となりつつありますが、それによってこの国の平和が贖われたことを忘れてはならないと僕は思っています。

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  4. 田村です。

    >「喪われた船舶の記録」とは〜 輸送船舶も含めたものですか?

    その通りです。民間船(徴用)中心の筈です。
    日本商船団の資料は私のコレクションみたいなもので...

    手に入れやすいお薦めは、
     NHK取材班  「太平洋戦争 大日本帝国のアキレス腱」
     池川 信次郎 「戦時艦船喪失史」
    三好 誠
     大井篤   「海上護衛戦」
     大内建二  「戦時商船隊」
     大内建二  「戦う民間船」
     大内建二  「悲劇の輸送船」
     土井全二郎 「ダンピールの海」
     土井 全二郎 「撃沈された船員たちの記録」
     土井 全二郎 「戦時船員たちの墓場」
    などです。

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  5. 田村さん、今度は是非このあたりの深~い話をしましょう!
    Ryo

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