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2011年7月30日土曜日

世の迷妄・・・その1

先日、「へえ~っ」と、意外に思ったことがあった。意外というより、僕自身がその人に関して通り一遍の知識しかなかったことが原因。

朝日新聞を初めとする戦後民主主義の信奉者たちが、よく取り上げる大日本帝国時代の日本人、例えば石橋湛山など・・・。取り上げられる人間の特徴は、彼らが時の政府やらいわゆる「軍国主義」に反対したということになっているらしい。

さて、吉野作造という政治学者がいる。大正年間に活躍した人で「民本主義」(democracyの訳語)を唱えた事で、明治憲法下にあって、それを唱えたことがきわめて朝日系の人々に評判がよい。とはいえ、中央公論社が創設した吉野作造賞の受賞者は、保守系の人々も多くいるから、左右問わない人気がある。詳しくは下記、Wikiを参照してほしい。



今日は、その吉野作造についてである。


朝日平吾。

この名前を知っている人は日本の近代史にかなり詳しい人だ。彼は安田善次郎を暗殺した人間である。大正10年(1921)のこと。今から振返れば、この後の日本の中に一大政治・思想潮流となって出てくる「昭和維新」「超国家主義」の萌芽となった事件である。

暗殺された安田善次郎は、今なお残る東大安田講堂の寄付者と知られる、安田財閥の総裁。その当時83歳。いくつもの銀行を持つ大金持ちであった。

しかし、世上彼の評判は頗る悪い・・・。「ケチ」だったらしいのだ。渋沢栄一ですら

彼ほどの財力を少しは国家のために使ってくれたら・・・

と語り、大倉財閥の創始者大倉喜八郎も

慈善事業への出資はなく、金を握ったら話さない男だ・・・

と安田を語っていた。庶民の安田評も「大金持ちのくせにケチ」というものだった。

そんな安田が殺害されたのだから、犯人朝日平吾は一夜にして「国士」となった。非支配層、それも下層の人々の恨みツラミ、社会的格差の増大による社会不安などなど・・・。多くの人々のそれが大金持ちのくせに少しの施しもしない安田に向けられ、その彼が殺されたことに溜飲を下げたのだと思う。

続きはまた明日。

今日はこれまで。



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