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2011年7月31日日曜日

世の迷妄・・・その2

さて、その事件当時はおそらく東京帝国大学の教授であった吉野作造は、それをどうみていたのだろうか・・・それを紹介したかったのが、昨日と本日の目的である。

彼は事件をこんな風に述べている。

先年朝日平吾なる一青年が安田翁を殺したという報道を新聞で読んだとき、私には何となく之が普通の殺人でないように思われた。寄附を求めて応ぜず怒りに任せて殺したという風に報じたものもあったが、それにしては朝日の態度が立派過ぎる、事柄の善悪は別として、之には何か深い社会的乃至道徳的の意義がなくてはならぬ。殊に安田翁が如何にしてかの暴富を作ったかを思うとき、社会の一角に義憤を起すものあるも怪むに足らぬと平素考えていた私には、どうしても朝日をば時代の産んだ一畸形児としか考えられなかった。斯くて私は朝日という人物に就てひそかに勝手な解釈をもっていたのであった。


また、安田の各地小銀行の乗っ取りの手管や株式市場操作の悪辣さに言及した後、次のように筆を走らす。

今更死屍に鞭うつつもりはないが、冷静に考えれば、大学に講堂を寄附したり、市場調査会に巨額の金を提供したりした位で償える罪ではないように思う。私が彼の後嗣ぎなら、少くとも財産の半分位を公共事業へでも投げ出さなくては、とても寝覚めがわるくて生きておれぬ。

最後の「寝覚めが悪くて生きておれぬ」がなんとも正直というか、吉野も安田の富の蓄積の手段と、その安田自身に対して、よい感情を持っていなかったことがわかる。

かくいえばとて私は、安田翁を殺したのを当然だなどというのではない。朝日の行動には徹頭徹尾反対だ。ことに一安田翁を除くことによって直に社会を救うを得べしと考えた短見は憫笑の至りに堪えぬ。けれどもあの時代に朝日平吾が生れたというその社会的背景に至っては、深く我々を考えさせずには置かぬものがある。日本の青年には今日なお幾分古武士的精神が残っている。不義を懲らすためには時に一命をすてて惜まない。加之(しかのみらず)一方には富の配分に関する新しき理想も動いている。この時に当り社会の上流の金の為には何事をなすも辞せぬという貪欲な実業家があるとしたなら、この古武士的精神と時代の理想との混血児たる今日の青年が、物に激して何事を仕出すか分ったものではない。かかる形勢は我々よくこれを理解しておくの必要がある。

吉野の事件評は、ここで書いたものに要約できる。今風の軽薄な「知識人」が金科玉条のように述べるがごとくの「テロ反対」とは明らかに異なり、犯人朝日への同情、いや一種の愛情のようなものまでを僕は感じる。何に対してか?それは朝日の体現した「古武士的精神」への挽歌かも知れない・・・。と同時に、資本主義の発展に伴う社会的格差の増大と、それに伴う社会不安をも見越していたように思う。

この吉野の事件評について、橋川文三(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%B7%9D%E6%96%87%E4%B8%89)は次のように述べている。

その要点は、朝日を「古武士的精神と新時代の理想との混血児」としてとらえているところであろう。この表現を私なりに言い換えるならば、明治期における幾つもの政治的暗殺者をつき動かした志士仁的人的捨身の意欲と、第一次大戦を画期とする資本主義の発達と貧富の階級分化がひきおこした経済的平準化への平民的欲求との結合形態が朝日の一身に認められるということである。

吉野は、この橋川のいうがごとく、朝日を産み落とした社会の実相を正確にとらえていた。そして、朝日の行動そのものを憎みながらも、その背景の持つ深い闇を明確に感じ取っていたに違いない。


ことさらに、持ち上げられる吉野作造であるがこの彼の事件評を知ってのことなのだろうか?僕はこの事件評はきわめて真っ当なものだと思うが、おそらく朝日新聞を初めとする一群は、そうはとらないだろうな・・・。きわめて勝手な、ご都合主義で彼を持ち上げているに過ぎない。


最後に、渋沢や大倉までにも避難された安田善次郎であるが、彼は当時東京市長であった後藤新平の「東京市改良計画」に全面的に賛同し、当時の政府予算の3割に匹敵する額を寄附もしている。その寄附の一部が今なお残る日比谷公会堂である。

浅学な僕は安田の姿をほとんど知らないが、彼もまた大人物だったと思うことに吝かではない。

ということで、今日はこれまで。





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