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2011年2月24日木曜日

226へ その1 奔騰

2月24日。

今から75年前の昭和11年2月24日は、「青年将校」らの襲撃計画が出来上がってからわずか3日目のこと。

この日は、村中孝次が北一輝の自宅で蹶起趣意書を書きあげている。

謹んで惟(おもんみ)るに我神洲たる所以(ゆえん)は、万世一神たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育を遂げ、終(つい)に八紘一宇(はっこういちう)を完ふ(まっとう)するの国体に存す。


から始まる極めて難解な文章である。

そうして、この日になってようやく若い少尉たち(20代前半)に、「いよいよ蹶起する」ということが告げられている。わずか2日前になって、このような大事を告げたのは、同志としての信頼度からくる計画秘匿の意味合いがあったと考えられる。この日告げられた者たちは、後の裁判でも

「私は同志ではありません」

と言い放ち、他の青年将校らを憤慨させるのだ。同じ20代前半の少尉でも、この24日よりもわずか数日前に知らされた者たちは、確固たる信念を持って事件に参加し、それは裁判でも揺らぐことはなかった。



この日、最早彼らを止められないと焦燥に身をやつしていた西田税はこの日帰宅すると、玄関先にメモを見つけた。

「26日なら都合がよいと言ってます」

見覚えのある磯部浅一の字だった。西田は、その日眠れない夜を過ごしたに違いない。

今日はこれまで。



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