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2011年2月17日木曜日

四半世紀・・・

四半世紀以上来ている服があります。ベストとセーターです。流行に左右されないベーシックなものなので、毎シーズン必ず何度かは袖を通します。どちらもウールですが、毛玉ができたり、伸びたりということは一切なく、それを着る事に何の問題もありません。そして、それを着るたびに買った当時の事を思い出し、時間の流れに愕然とします。


そんな持ち物にかこつけて考えると、今の蔵書でその巻末に買った日付が記録されている最も古いものは1982年ものだと思います。あの頃から、本を読むということが目的ではなく、「学を為す」ための手段となった。正確には「そうしよう」と決意しました。

それ以来、数千冊の書を読んできたとは思う。

しかしながら、「あの頃の未来に僕はたってるいるのか」と自問すれば、反省することしきりだし、恥ずかしくなるくらいの自分ですが、今もなお「いかに生きてきたか」を誇れる自分が存在する遠い未来を想像している。おそらく人間というものは、そんな何の保証も確証もない将来を想像しなければ、生きていけないものなのでしょう。そうして、いつ何時訪れるかも知れない「死」というものを、一切捨象している。どうもそんな気がします。





一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂ふること勿れ。只一燈を頼め
(「言志四録」佐藤一斎)

ここでいう暗夜というのは、人生を指しているものと思われます。一燈というのは志でしょう。大切なのは、自らを信じることだという事ですね。勇気が必要だと・・・。


釈尊の死の間際、弟子がこう嘆き悲しんで尋ねました。

「我が師よ。師亡きあと、一体何を頼ればいいのでしょう。」

釈尊答えて曰く

「汝自らを燈火(ともしび)とし、汝自らを寄りどころとせよ。他を寄りどころとするな。」

釈尊の言葉を集めたと言われる法句経では、これをこう言います。

「己こそ己の寄る辺 他の誰に頼られようぞ
よく調(ととの)えられし己こそ
まこと得難き 寄る辺なれ」




 今日も頑張りましょう。

今日はこれまで。
















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