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2011年2月25日金曜日

226へ その2 さまざまなドラマ

 2月25日。


近衛歩兵第三連隊の今泉義道少尉は、翌26日の休みをもらっていたため、この日の夜実家に帰ろうと市電を待っていた。しかし、降りしきる雪のためか一向に市電は来ず、タクシーも姿を見せない。家へ帰ることをあきらめた今泉は、仕方なく連隊へ戻って寝ることにした。


 深夜、突然同期の中島莞爾少尉に起こされて、蹶起のことを告げられる。晴天の霹靂だった。さんざん迷った挙句、部下の下士官が泣きながら彼のもとへ訪ねてくるに及んで、心を決めた。


 安心しろ。お前たちだけを行かせはしない。




歩兵第一連隊には、かつての栗原安秀中尉の部下、宮田・中島両曹長、黒田上等兵(いずれも予備役)が集まってきていた。栗原に呼び出されのだ。



宮田は21日に栗原から電話があり、23日に連隊を訪ねると「今忙しいから25日午後8時に中島と一緒に出直して来てくれ」と言われる。中島の就職斡旋について栗原に頼んでいたところだったので、てっきりその話しだと思い、言われるままに25日に栗原のもとへ行き、初めて蹶起のことを知らされるだ。

宮田の陳述は悲痛である。

栗原中尉の考えでは、私のような下っ端の者に打ち明けると蹶起前に事が暴露する危険があると思って、自分たちの間では決定しておりながら、故意に蹶起間際となるまで打ち明けて呉れなかったものと思います。もし、少しでも前に打ち明けてくれておったら、貧困にして妻子のある家庭のこと故、少しは後々のことも処理しておけたと存じます。

遠慮がちに栗原に対して怨みを述べた宮田は、裁判では次のようにその信念を披歴する。

私らのとった今回の行動の善悪はともかく、私ら下層階級の者として、社会の現状を見てやむにやまれず、直接の行動より他にとるべき方法、手段なしと決行したものでありまして、現在においてもその信念に変わるところはありませぬ。


明くる26日、1483名の兵力が帝都東京を震撼させることになる。

今日はこれまで。


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