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2011年2月10日木曜日

「昭和」の終り

われは明治の児なりけり。
或年大地俄かにゆらめき
火は都を燬(や)きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ

注)柳村先生=上田敏、鴎外漁史=森鴎外


これは、永井荷風の「震災」という詩の一節です。言うまでもなく関東大震災後の詩です。大正12年、1923年に起こったこの大災害は、それまでの江戸の文化、明治の文化の一切を灰燼に帰しめました。昭和改元が1926年12月24日ですので、昭和という時代は、この喪失感と一緒に幕を開けたことになります。


「昭和はその延長のうへにはじまつた。それは明治憲法体制をひきつぎながら、明治国家とその文明を創造した主体の空洞化のはじまりをもひきついだのである。」(『昭和精神史』桶谷秀昭)



1995年。平成7年。

僕は、この年はこの国が新たな時代に立っていることを万人に知らしめた年だったと考えています。

1月の阪神・淡路大震災と、3月のオウム真理教への強制捜査が、僕にそれを感じさせるからです。

日本は地震国。これはこの国に住む幼児までもが知っている。だから、この国の建造物は頑丈で、崩れないんだと・・・。それがものの見事にそうではないことを知らされました。即時救援も、その後の支援も、この国は先進国なのかという驚きと呆れを持たざるを得なかった。

オウムのサティアンへ強制捜査を敢行した警察官の出で立ちは、迷彩服を身にまとい、ガスマスクを装備したもの。まるで映画のワンシーン。これは治安の良さを世界に誇っていたこの国の姿ではないと悲しくなった。

考えてみれば、それより前にそれを感じさせる予兆は十分にあった。平成2年の湾岸戦争だ。戦後初めてこの国は、世界の国が参加した戦争という事態、それまで勝手に「ある」はずもなく、「ある」と考える事でさえ忌み嫌われた事態に直面した時の、この国の右往左往の混乱ぶり。新しい事態、時代に直面しているのに、それと真剣に向き合わなかったことの怠慢。日本を置き去りにして世界は動き始めていた。

あの二つの出来事で「昭和」は完全に終った。僕はそう考えている。そして、その喪失感はずっと引きずられたままのような気がしている。

その2年後、1997年には絶対につぶれない、つぶさないと言われていた金融機関がつぶれた。同じように言われ続けていた上場企業もバタバタとつぶれ始めた。

最早、これまでの日本の国の姿ではないのは自明の事になったはずである。なのに、あれから僕らの国は、日本人は一体何をしてきたのか。何を新しく生み出してきたのか。そこから何を学んできたのか。


僕は政治や政党の話をしているのではない。

この国のありようをきめるのは個人の生き方の集合だからだ。かつての日本はなくなった。ならば、僕らはそれとどう向き合い、何を為すべきなのか。



歴史はいつも否応なく伝統を壊す様に働く。個人はつねに否応なく伝統のほんたうの発見に近づくやうに成熟する。


 この小林秀雄の言葉は、それへの回答を含んでいるように思えてならない。

今日はこれまで。



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