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2011年2月2日水曜日

小沢一郎を巡る騒動

久々に政治にからめた話を・・・。

小沢一郎が強制起訴されて、刑事被告人となりました。前に同氏を巡る騒動を「まるで魔女狩りだ」とここでも書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

強制起訴というのは、昨年からの規定路線だったのですよね。それがいよいよということだと思いますが、僕はどうもわからない。あの「捏造」もする検察が、2度も起訴可能かどうか調べて、2度ともそれが不可能(つまりは不起訴)だと認めざるを得なかったことに対し、検察審査会なるものの要請によって強制起訴したからといって、有罪にできる確証などないでしょう。かなりの確率で「無罪」になるのではないでしょうか。そうなったら、国民は納得するのかな?まずしないでしょうね。なぜなら、皆彼の有罪を信じているというか、願っているからです。僕自身、彼がその資金の記載について一切知らぬ間に秘書が勝手にやった等ということは信じていません。その通りだと信じることが不自然ですからね。ただし、それを「嘘」だとするためには、それを暴く「確証」がいるわけで、その確証がないから2度も不起訴になった・・・。

僕には、鬱憤晴らしとしか思えない。権力者として裏で悪いことをしているに違いない小沢一郎を、とにかく「やっつけてほしい」と、その鬱憤を晴らそうとしているのだと思います。そして新聞やテレビはその極めて低俗な感情を煽りたてている。そんなものは「低俗」ですよ。確かに、鬱憤を晴らすという感情が「法」の裏にはあるのでしょう。しかし、確証がなければそれは「法」の俎上に載らないのですよ。

また厄介なことにですねぇ、この国の法感覚とは西欧とは異なっており、「法」はあくまでも「法」であって、そこに「正義」があるとは考えないということがあります。じゃあ、どこに「正義」があるのかというと、「世間」なのですよ。この国では法に叛くより、「世間」に叛くことの方が大問題なのですね。だから、仮に小沢一郎が有罪になったとしても、彼の「世間」ではおそらく永遠に「無罪」。というより、「たかだか法律違反」という認識だと思います。

繰り返して言います。小沢一郎が無罪となってもこの国の世論は、決して彼を許しませんね。なぜなら、道徳的に彼を責め立てているからです。そして、道義的な責任をとれと!

そう責め立てる人はさぞかし立派な、道徳的に優れた人間ばかりなのでしょうね・・・。

今日はこれまで。





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