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2011年2月1日火曜日

僕と福沢諭吉

福沢諭吉の話です。

薩長と幕府の彰義隊が戦っていることに、塾生がそわそわとしている時、福沢諭吉は

「学問せよ!」

と塾生の動揺を沈めました。その話を20歳ごろに読み、「そんなことが出来るか!」と血気盛んな僕は福沢に反撥心を憶えました。しかも、「痩せ我慢の説」において僕の好きな勝海舟を批判したことを知るに及んでは、福沢は僕の好きではない人物になりました。それ以来、僕は福沢の本は読まなくなりました。「読まず嫌い」ですね。

ところが年を経て、維新の流れに立ち向かった勢力(会津にしろ、長岡にしろ、新撰組にしろ)の存在こそが、日本史を救ったと思えるようになってからは、福沢が勝海舟や榎本武揚を批判した「痩せても枯れても徳川武士ではないか」という批判が、至極真っ当なものとして感じられるようになったのです。

最近相知るに至り、その驚嘆すべき深き学識を尊敬する青年は、福沢諭吉を非常に高く評価し、事あるごとに、福沢の一節を引用して僕の蒙を啓いてくれます。

その影響もあって、最近は寝る前に「学問のすすめ」をよく読んでいます。福沢といえば同書がすぐに浮かぶほどの有名な書ですが、名前を知るのみで読んだことのある人はそうは多くないと思います。

有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる同書ですが、このポイントは「天」という言葉にあると思います。福沢は巷間「個」の重要性、「私」の独立を主張したと言われていますが、その「個」なり「私」は、「天」というものがあってのそれなのです。つまりは西欧の言う「個」では全くない。福沢は「門閥制度は親の仇」と言いましたが、彼が仇としたのは、封建主義の硬直した制度であって、それを支えた封建道徳、その背景にあった儒教道徳を仇としたわけではないのです。だから、旧幕臣でありながら、明治政府により栄達した勝と榎本を批判したわけです。


さて、今日は「学問のすすめ」の初編から、一節をご紹介しましょう。

人誰か苛政を好みて良政を悪(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。


 つい最近の尖閣諸島の騒ぎの時、澎湃として湧き起こった政府批判の声を思いだして下さい。これは「人たる者の常の情なり」だというのです。

今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。


続くこの文章は、太平の世になって「生き死に」が切迫しているわけではない当時の世の中を指しています。そうして次のように続けるのです。


ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易く、庶民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。


 簡単にいえば、人を批判する前にまずは自分自身を顧るべしということでしょう。先ずは「修身」だということでしょう。そしてそのための学問なのです。彼の言うのは「一身独立して一国独立す」ですからね。国の独立のために一身の独立があったわけです。至言ですな。

今日はこれまで。

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