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2011年2月14日月曜日

クレオパトラって・・・

クレオパトラ

この名前を知らない人は先ずいないとは思います。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わったであろう」

という言葉も有名ですね。これはパスカルの言葉です。

しかし、この女性が果たして如何なる人物で、何をなしたかを知る人はそう多くはないはず。かくいう僕もその一人でした。

たまたま娘の本棚にあったこの本を読みました。僕の頭の中でごちゃごちゃだった歴史が一つになりました。

「アレクサンダー大王」
「カエサル」=「シーザー」
「ブルータス」
「アントニウス」
「オクタビアヌス」
「プトレマイオス王朝」

上記の単語、世界史で習ったはずです。僕には前後関係、脈絡がメチャクチャでした。今日はそのこんがらがった糸をほどいて行きます。


BC332年、ギリシャ北方にあったマケドニアの王アレクサンダーがエジプトを征服し、ナイル川の河口にアレクサンドリアという都市を建設します。

BC323年にアレクサンダーが死に、側近であったプトレマイオスがその後を継ぐと、彼はエジプトの地に新たにプトレマイオス王朝を興します。BC305年の事です。

クレオパトラは、その王朝の継承者プトレマイオス12世の三女として生れるのです。BC69年のことです。正確にはクレオパトラ7世といいます。長女が6世の名を冠していました。クレオパトラには、小さい頃から家庭教師がつき、多くの外国語に堪能となります。

その頃、エジプトは地中海を挟んだ強大なローマ帝国と対立しており、無策だった彼女の父、プトレマイオス12世は、二女ベレニケと結んだ側近のために国を追われ、敵対していたローマに逃れることになります。そのプトレマイオス12世を庇護したのがカエサルと敵対していたポンペイウスという人物です。そして、そのローマの強大な軍事力とともに再びエジプトへ帰ってきます。BC55年の事です。その時プトレマイオス12世を護衛してきたのがローマの騎兵長官であったアントニウスです。

BC51年、王座に返り咲いたばかりのプトレマイオス12世が死ぬと、その遺言により18歳になっていたクレオパトラは僅か10歳の弟プトレマイオス13世と結婚して共同でエジプトを治めることとなります。

語学堪能で、才能豊かなクレオパトラは自然と国の実権を握るようになり、かつて父を救ってくれたローマのポンペイウスを援助しますが、それをきっかけに、姉を妬む弟とその側近により命を狙われ、シリアに逃れることになります。その後エジプトはプトレマイオス13世とクレオパトラの妹アルシノエによって治められることになります。

プトレマイオス13世とその側近は、カエサルとの戦いに負けて援助を申し出て来たポンペイウスを暗殺し、その首をカエサルに届けます。カエサルは長年のライバルであったポンペイウスの非業の死を悲しみ、その仇を討つためにアレクサンドリアへ兵を進めます。その横には、クレオパトラがいました。カエサルは彼女から父の遺言としてエジプト王女としての正当な地位は彼女自身にあることを知り、彼女を援けることを約束したのです。

BC48年、カエサルのローマ軍はアレクサンドリア戦争においてプトレマイオス13世のエジプト軍を破ります。そしてその翌年、クレオパトラはプトレマイオス14世とともに、再びエジプトの王女として返り咲くのです。

クレオパトラはカエサルとの間にカエサリオンという名の男の子を授かり、ローマで暮らす事になります。

ところが、ローマの皇帝を座を狙うカエサルはブルータスによって暗殺されてしまうのです。その時のセリフが有名な「ブルータス、お前もか」です。

クレオパトラはアレクサンドリアへ帰ります。そして、今度は息子カエサリオンとともにエジプトを統治するようになるのです(それまでの14世はどうしたかはわかりません)。

クレオパトラは、エジプトを護るため、ローマからの庇護をカエサルの有能な側近であり、かつて父を護衛して来たアントニウスから受けようとし、一方のアントニウスは政敵であるオクタビアヌスとの戦いのためには豊沃なエジプトの富が必要でありました。そうして利害の一致した二人は恋仲となり、双子を授かるようになります。

二人の平和は長くは続きませんでした。戦勝の凱旋式をローマではなく、アレクサンドリアで行ったアントニウスに、ローマの反感は強くなり、オクタビアヌスとの間で戦いが始まります。BC34年です。

BC30年、アントニウスの軍は大敗し、王宮に戻って来たアントニウスは、「クレオパトラが死んだ」と聞き、自身も自殺します。この時、クレオパトラは死んではいませんでした。失意の彼は「墓所にいる」ということを「死んだ」と思ったのです。

アントニウスの葬儀の日、クレオパトラは戦勝者オクタビアヌスの呼び出しを拒み、毒蛇に自らを噛ませて死を遂げます。BC30年8月29日のことでした。彼女は39歳でした。


今日の話は、子ども用にわかりやすく書かれたものからの編集ですが、大まかな流れはまちがってはいないと思います。面白い物語でしょう。いずれ、きちんとした彼女の歴史を読んでみたいと思います。

今日はこれまで。




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