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2011年9月11日日曜日

昨日の続き

今朝、2ヶ月ぶりに熱い珈琲を飲みました。夏の間ずっとアイスコーヒーを作っていたので、実に久しぶり。1年くらい前から珈琲豆は楽天の澤井珈琲店というから買っていて、それは鳥取県だか島根県だかにある店舗なのですが、Web市場というものがなければ出会うことのなかったものです。そう考えると、Web市場というのはホントにすごい。

楽天の社長によれば、シャッターが閉まりっぱなしの商店にしても、その裏では毎日発送作業に追われているWeb市場進出店がかなりあるらしいとのこと。それもむべなるかなと思います。


昨日話題にした経産相が辞任したらしく、昨夜のニュース速報を見た時に女房と笑ってしまいました。今朝の新聞に、彼の地方事務所の後援者の弁が出ていて、いわく「初入閣で浮かれていたのか・・・」。

何とも言葉がありません。

今朝の日経「春秋」では、舌禍で辞任する政治家は昔もいたのだが、最近のはあまりに程度が低いとの嘆きが載せられていました。まさしくその通り。

ただ、昨日の僕の文章の続きでいえば程度が低いのは、その個人特有のものではなく、この国の社会全体にかかわること。だから、いいおっさんが国家の安全にかかわる機密を公開したりするのです。

考えてもみてください。アメリカの大統領専用機の飛行計画を知りえたとして、それを公開したらいかなる事態を引き起こすかということは、程度のよい中学生でもわかること。これは守秘義務を負う国家公務員だからとか、そういう問題ではない「常識」の範囲でしょう。それすら考える能力がないのが、50歳という年齢でしかも管制官という重責を担う職に就いてたという事実は、考えれば考えるほど恐ろしいこと。


まだ、公開の理由を「アメリカ大統領暗殺のため」とか言ってくれたほうが、僕の中ではすっきりする。

浅学非才の身では、この国の社会の現状を作り出した「もの」の全容などわかるはずもありませんが、ひとつ言えるのは「公」の概念が喪失したことと無関係ではないとみること。大東亜戦争に負けて、「戦争はもうこりごり」とした日本人は、その「戦争」を引き起こす主体となる「国家」というものまでも卑小にしてしまい、自分やその家族といった「私」以上の価値の所在、いや存在すら見失ってしまったからでしょう。もう少しいうと、「私」以上の価値を「会社」に見出したこともあった。

と、僕は考えています。

政治というものは、形而上のものまで含んだ価値を論じるべきなのに、論じられるのは常に「形而下」のことばかり・・・。そういう政治家がいなくなったのは、そういう政治家を選ぶ能力をもつとされる有権者も、形而下のことだけしか考えられなくなった結果に過ぎません。

そんな人間だらけの世の中が薄っぺらいのは仕方のないこと。

今日はこれまで。


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