人気の投稿

2011年9月20日火曜日

日本人の微笑み

と題した小泉八雲の文章があります。外国人が不思議に思い、時に不快となる日本人の微笑みに
対して、「それはこういうことなのだ」とその弁護を買ってでたような文章です。それによると、日本人は悲しい時でさえ顔に笑みをたたえるのは、自分が悲しい顔をすることによって、周りの人を不幸にしたくないという気配りなのだというのです。だから、肉親が亡くなったときでさえ日本人は悲しみを大げさに表現することをせず、周りを気遣うために微笑をもらす。

この日本人の心性には、何というのでしょう、「私もあなたも共に死ぬ者です」ということが根底にあるように思います。どんなに泣き叫んでも故人は帰ってこないことを思えば、そして、悲しむ私もそれを見るあなたも共にいずれは死ぬ身なのだと思えば、「仕方のないこと」として微笑むことで、「私はそれを受け入れます。あなたもそんなに悲しみなさるな」ということなのでしょう。


ここから透けて見えるのは、「人間は自然の一部である」ということです。西欧のごとく「人間は自然の支配者である」ということとは完全に異なります。

日本人は「永遠」にあこがれつつも、それはないものねだりだということを知っていたのでしょうね。平家物語にある「諸行無常の響きあり」は、その心性を巧みに表現したものといえるでしょう。


そういう人々が作り出したのが江戸の文明であり、近代=西欧化ということのアンチテーゼとして、もっと世に広く知られていいと僕は思います。

そう思うと「近代」は、人間を増長させ傲慢にさせる麻薬のようなものかも知れません。

今日はこれまで。

0 件のコメント:

コメントを投稿