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2010年12月19日日曜日

Know your enemy 汝の敵を知れ

大東亜戦争中によく使われた言葉に「鬼畜米英」というものがあります。これは皆さんもよく御存じかと思います。米英は「鬼畜」だというのですから、なんとも酷い言葉使いですね。幕末の「攘夷」と変わりありません。その言葉の出て来た背景は知りませんが、大方新聞が使いだしたのでしょう。その言葉使いには、いかに時代が違うとはいえ何とも心淋しくなるような、そんな思いがします。

資源を求めて南方に出ていかざるを得なかった日本の国策ですが、そこには当然「占領行政」が必要となります。そこで必須となる「言語」つまり英語に対しては、日本は非常に冷淡というか、淡泊というか、無視するような態度でした。

「敵の言葉を覚えるより、占領した住民に日本語を教えるくらいの気概がなくてどうする!」

といった、精神論でその先の議論が止められてしまうような状況でした。これ、前にも書きましたね。こういった何の中身もない精神論は今でもこの国で通用しそうだと・・・。

さて、対するアメリカは言葉も、文化も、何もかも自分たちと完全に異なる「日本人」を敵とする事態になって、「日本」及び「日本人」というものを徹底的に研究するようになります。その標語が冒頭に挙げた

「Know your enemy」

だったわけです。当時の日本では通用しなかった正論ですね。アメリカはその言葉通りに、徹底的に敵国日本の研究をやりだすわけです。

荒唐無稽すぎて想像するに困難かも知れませんが、突然地球に宇宙人が攻めて来たとしましょう。相手は宇宙人ですから、言葉も理解できず、どんな戦い方をするかもさっぱりわからない。そんな事態となっても戦わざるを得ないとしたら、僕らはその宇宙人を「不気味な敵」と名付けるでしょう。
ちょうど、当時のアメリカはそんな事態に直面したと思います。

「不気味な敵=日本」

日米開戦前、アメリカに日本語のできる将兵はほとんどおらず、日本を研究分析しようにもそれができない状態でした。そこで開戦の僅か2ヶ月前の事ですが、「語学将兵」の養成に着手します。例えば海軍では、全米から日本生まれのアメリカ人(宣教師の子弟)や、大学で日本語を学ぶ学生などを集めて、「海軍日本語学校」を設立します。そこでは一層の語学将兵を養成するため、全米の最も成績優秀な大学生、及びその卒業生で組織されるクラブで学生の募集をかけ、アメリカにおける最も優秀な頭脳を集めて、僅か12か月間で当時世界で最も難しい言語と言われていた日本語を習得させようとするのです。

この執念というか、徹底ぶりには目を見張るばかりですが、そこでの教育は教育というよりは特訓だったようです。1日僅か4時間の授業でしたが、1時間の授業を受けるには最低3時間の予習復習が強制されたため、学生は1日中机に向かわなければならず、全米で最優秀の頭脳を集めたにもかかわらず、精神に異常をきたしてしまう学生が少なからずいたとのこと。

そんな過酷な特訓を受けた海軍日本語学校学生の中に著名なドナルド・キーンがいます。彼はそこの最初の卒業生です。また、陸軍でも独自に日本語学校を設立しており、それはオーストラリアにありました。

その急造されたその語学将兵たちが最初に赴任した地は、日米で初めて地上戦が行われた「ガダルナカル島」でした。彼らはそこで、残された日本兵の日記を分析するよう命じられるのです。

「ジャングルで食べ物もなかった人たちの日記は悲しかった。その日記を書いた人たちが、みな死んでしまっていることを考えると、もっと悲しかった」


 語学将兵たちは、戦場に残された多くの日記を読み進めるにしたがって、「不気味な敵」であった日本人が、その実彼ら自身とほとんど変わらない人間であることを知るようになるのです。

戦後の占領行政において、彼らが翻訳し、分析研究した資料が役立ったことは言うまでもありません。

名もない兵士の日常が書きつづられた多くの日記は、今もワシントンの国立公文書館に眠っています。

8月11日 今日も友軍が来て呉れない。今の我れらは友軍を待って居るが友軍から何の頼りもない。今日は五日目である。僕らも大分身体がつかれて来た。早ク友軍が来て呉れないと、生命があぶない。もう二三日の内に来て呉れないと我れら生命はない。高橋君も大分まいって居様である。今日五日何もたべていない。僕はも(う)妻の町子の顔を見る事は出来ないかも知れない。ガドルかなる島のジャングルの中で三十五才の生命も終りとなるか。早ク友軍来て呉れ、たすけの神を今は神に念じて待って居るばかりである。今日で五日五夜、ジャングルを逃げまわる。


8月12日 今日は十二日、敵に追れてから今日は六日目である。朝早クから今日は川下に下って来た。早ク友軍来たれ。我れらの生命も一日一日に良は(弱)って来る。食事は六日もして居ない。早ク今はも(う)仁記(日記)をかく元気もなくなった。


今日で十日になるが友軍来たらず。毎日木の身、草の根をかじって今日までしのんで来た。後十日も友軍来なければ、我れらは上死(飢え死)にする。


 氏名不詳の軍属の日記から。
出所:「戦場に残された日記」 勝見 明

今日はこれまで。

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