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2010年12月15日水曜日

僕の原体験 再び226

先日、縁あって御年70になる方とスカイプで1.5時間もお話をする機会がありました。

内容は、僕の原稿「226」についてです。その方は東大在学中丸山真男ゼミにいらしたということで、ご自身「僕は転向組だから」と仰ってました。

僕が言うのも不遜ではありますが、同事件について相当に研究している方で、多くの点を「突っ込まれ」ました。ただ、彼ら「青年将校」に共感を覚えるという点では一致してました。

青年将校は「やむにやまれぬ」思いであの挙を起こしたのです。「憂国の至情」と表現されますが、彼らのそれは、単なる観念ではなく日ごろ接する部下たちの現実の困窮でした。それが根底にありました。



僕の記憶です。


7歳で新潟から埼玉に引っ越してきた僕は、何度か母親い連れられて巣鴨のとげぬき地蔵へ行った記憶があります。手術をしても取り出せなかった右足に残るガラス片(今も残ります)が、その御利益によって出てくることを願ったのでしょう。

おそらく、その頃のことです。

街には白い浴衣のようなものをまとったけが人がいて、物乞いをしていました。その中には足のない人、手のない人もいました。戦争での傷病兵です。3~4人が一緒になって、中の一人はアコーディオンで哀しいメロディを奏でてました。幼い僕は何とも可哀想な気持ちになって、母親から少年ジャンプを買うために貰っていた100円をその人たちにあげたことがあります。母親はびっくりして「そんな事しなくていい」とか何とか言って僕を軽く叱りました。

「嘘だから」

というのです。確かに、今から思えば傷病兵の振りをしてお金を恵んでもらう人達だったのかもしれません。子どもにそんなことがわかろうはずもないので、僕はただ「可哀想」と自分のお金をあげたのです。

街の喧騒をよそに、その白い一群は確かに異様な光景でした。


僕がなぜ青年将校らに共感を覚えるのか。その理由の一端はおそらくこんな所にもあります。

安藤輝三は自らの給料をさいて、除隊したかつての部下に送っていました。そして、休日には就職の斡旋に奔走していました。彼の中にはまさしく観念ではない、現実の問題があったのです。

「兵たちを何としても救いたい」

この安藤は「神」のごとく部下に慕われていたことは以前紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_10.html




さて、河合栄次郎といえば、東京帝国大学の経済学の教授、戦前の有名な自由主義者の一人。彼は、事件直後のコメントで、


一部少数のものが暴力で政権を左右しようというのはファシズムの運動だ。ファシズムの非なることは、・・・・・暴力を行使して社会に於ける多数同胞の意思を無視することに在る


と事件を批判します。真っ当な意見だと思います。然しながら事件から3か月後には、


現代日本の課題たる、国民生活の安定と国民思想の確立・・・・・此の課題は文人政治家が夙に解決すべき問題であった、然るに彼らが為すべくして為さず、躊躇荏苒として日を送れる間に、青年将校は一身の危険を賭して、これを解決せんとした。議会政治家と言論機関と学徒教育課は、何の面目を以て彼らに見えることができようか


という文章を『中央公論』に著すことになるのです。


青年将校らも以て瞑すべしでしょう。

 今日はこれまで。

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