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2011年3月4日金曜日

燎原の火

りょうげん‐の‐ひ 〔レウゲン‐〕 【×燎原の火】 
燃えひろがって野原を焼く火。勢い盛んで防ぎ止められないもののたとえにいう。

中東のチュニジアに端を発した反政府デモは、まさに「燎原の火」のごとくに中東各国に広がっていますね。おそらく、中国政府は戦々恐々として、一層ネット上に検閲の目を光らせていることでしょう。

昔から不思議でした。リビアのカダフィ大佐はなぜいつまでも「大佐」なのかと。今はリビアで多くの市民が武力制圧されており、もう内戦状態ですね。空爆など、ちょっと考えられないですね。反政府側では志願兵も数千人集まっているとか。どのように決着するのでしょうか。

「トリポリ」という地名で、第二次大戦に詳しい人なら真っ先にでてくるのが砂漠のキツネといわれた将軍「ロンメル」でしょうね。北アフリカでのロンメル率いるドイツ戦車軍団の活躍は有名です。トリポリが今のリビアにあるとは僕は知りませんでした。

「キツネ」というのは、僕は褒め言葉ではないと思うのですが皆さんはどうでしょう?ずるがしこいイメージがあって、どうも褒める言葉にはふさわしくないと思うのです。

今上映している映画「太平洋の奇跡」も副題に「フォックスと呼ばれた男」というのがついてますね。そう呼ばれた男は大場栄大尉という陸軍軍人ですが、日本軍が全滅した昭和19年7月から翌20年の12月まで、戦火を逃れた民間人を守りながらゲリラ戦を戦い続けた指揮官です。いつしか大場大尉の神出鬼没の戦いが米軍から「フォックス」と呼ばれるようになったと、こういうお話です。

この大場大尉の戦闘は、自身海兵隊員として大場大尉と戦い、後にジャーナリストとなったアメリカ人が書籍に著してます。



さて、チュニジアがある場所には、かつてはカルタゴという国があって地中海貿易をローマと争いました。世界史で習ったと思いますが、第一次から三次のポエニ戦争というのがそうです。チェニジアにはハンニバルという将軍がいて、ローマにはスピキオという将軍がいた。有名なのがハンニバルが象を連れてアルプス山脈を越えてローマに攻め込んだこと・・・。

カルタゴは、三度に渡りローマと戦い、三度とも敗れます。そして三度目には完全に滅ぼされてしまうのです。都市のすべてが灰になり、その高さは1m以上にもなったといわれています。二度とこの地に人が住まないようにと塩まで撒かれるほどの徹底さでした。


紀元前146年のころです。

カルタゴの繁栄を支えたフェニキア人は、今ではどこにも存在しない。フェニキア人といえば、アルファベットの発明者として習ったはずだ。

今チュニジアにいるのは、7世紀に入ってきたアラブ人です。

今日はこれまで。

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2011年3月3日木曜日

資料批判

学術論文を書くにあたっては、「先行研究はどうか」ということが重要視されるらしいです、聞いたところによれば。したがって、先行研究批判をすればその体裁の一部は整うことになる。

さて、昨年本を書いた時に非常に多くの「先行研究」を参考にしたのだが、僕は批判をあまりしなかった。それが本意ではなかったし、人はどうであれ、自分の考えを書くべきだと思ったからである。

ただ、今日はその批判をしてみたい。材料は以下である。最初に言っておくが、筆致は激しくなる。

「二・二六事件 青年将校の意識と心理」須崎愼一著 吉川弘文館 2003年10月10日初版
「岩波ブックレット シリーズ昭和史No2 ニ・二六事件」須崎愼一著 岩波書店1988年7月20日初版


前者の本は、神戸大学国際文化学部教授である著者が、研究者として閲覧を許された裁判記録等の資料を駆使して、事件をまとめたもので、僕にとっては未見の事実も多くあり、かなり参考にしている。しかしながら、どうしても「?」をつけざるを得ない所も多くあった。

岩波ブックレットは、買うつもりのないものが、アマゾンで注文した本屋が間違って送ってきたもので、そのままもらったものだ。「岩波」の昭和史など、悪意に偏見に満ちたものだということはわかっていたが、やはり酷かった・・・。偶然にも著者が同じだった。


まず、吉川弘文館の本から。

187頁に以下のような著述がある。

青年将校の動員で決起した部隊は、三分の一近い四ニニ名が機関銃隊であり、機関銃ニ五・軽機関銃四三を所持していたとみられる。「みどり筒」と称される毒ガスも相当数所持していた(後略)


「毒ガス」とは何の事だ?とは直に思い浮かぶ事。ここでいう「みどり筒」とは、催涙ガスの事。どこの世界に催涙ガスを「毒ガス」等と言い換える人がいるのか?まったくもって理解できない、悪意に満ちた表現である。

226事件の発端の一つに、青年将校らが所属する第一師団の満州派遣という決定がある。青年将校らが焦ったのは当然である。何としても糺すべきと考えていた国内の状況をこのままにして満州へ行くわけにはいかないと思うからである。何としても日本に残り、運動を続けたいと思ったからに他ならない。これが僕の理解だ。極めて自然な理解だと思っている。

著者は、青年将校の一人栗原安秀の言葉を引く。110頁である。

国内ヲ此ダラシナイ状態ニ放任シタ侭満州ニ行ツテ賊ノ弾丸ニ中ツテ死ヌ位ナラ内地テ国家革新運動ヲヤツタ方ガ遥カニ有意義ダ

そうして、栗原の多いをそのまま肯定するのかと思いきや、荒木貞夫陸軍大将が会議で述べた

将校が後ろから「進級せしむ」と射殺される(111頁)、という満州での状況を述べた言葉、即ち将校が部下に撃たれることがあるということを引き合いに出し、それをもってこう結論付けるのだ。

後方から部下に狙われかねない満州へ行きたくないと思ったとしても無理はない(112頁)

どこをどうこねくり回せば、このような解釈が出てくるのか著者の頭を覗いてみたいものだ。青年将校らは、こういった事例、撃たれた将校らを軽蔑し憤っていたのでもある。著者は青年将校中橋の次の言葉をも正しく引用しているにもかかわらずである。

弾丸ヲ恐レル将校カ多ク下士官兵ノ物笑トナルモノカアルコト。ソノ為下士官兵カ将校ヲ威嚇スルコト、或中隊長ハ利己主義テアツタ為部下ノ下士官カラ射殺サレタ例モアリテ之か将校ハ公務死亡トナツテ居リマス(112頁)

資料批判云々以前の話だ。資料を正しく引用しているにも拘らず、どうにかして青年将校らを貶めようとしているとしか思えない。


次いでこの本。岩波ブックレットの対象読者層は中学生か高校生だろうと思うが、あまりにも間違った解釈を植え付けることになりはしないかと心配する。


この須崎なる著者は、前記の本でも「青年将校らの農村救済の思い」は無碍に否定しているわけではない。しかし、やはり批判するのだ。

42頁に「青年将校の農村救済論」と題して、次のように書きだしている。

ニ・二六事件に参加した青年諸侯たちが、国民の窮状、とりわけ農村をなんとかしなければならないと考えていたことはまちがいない。

そう、その通りである。しかしながら、著者はそれがどうも許せないらしい。そのすぐ後に

問題は、それがどういう発想からでてきたのかという点である。


と、いちゃもんをつけるのである。著者の語るところをみてみよう。同じく42頁からである。

たとえば、香田清貞大尉は、つぎのようにのべている。
「日本には貧富の差が大で、之は甚だ不合理な事であり、指導する立場に在るものは兵をして戦場に於て後顧の憂なからしめねばならぬと思い、其欠陥は指導的立場にあるものの責任と思料し、結局政治問題に読んだ(『二・二六事件=研究資料』Ⅱ)
 かれらの農民への「思いやり」は、どうも実践指揮官としての不安に端をはっしているのではないだろうか。安田優少尉も語る。
「北海道の兵の如きは、食物は軍隊の方が良いから地方に帰って農をやることを厭うて居る。それで良兵は愚民を作ることになって居る、之れ皆農村の疲弊からである。之れを救うにはどうしても財閥、重臣等を排除せねば実現が出来ぬ」(同前)
 ここには、農民の立場にたって、窮状をいきどおるのではなく、「指導者」としての不安がかたられている。


 このいちゃもんのおかしなところはおわかりだろう。「○○の立場にたって・・・」というのはサヨクの常套文句であるが、よく考えてもらいたい。それぞれが自分の立位置から、社会の不公正やら、社会悪に憤るのではなくて、実際にどんな憤り方があるのだろうか?会社で自らの部下を心配するのはなぜか?上司としての立位置から部下を心配しているのではないのか?それがどうして非難の対象になるのだ?「そのものの立場にたって」など、一体どうしたらできるものだ?この著者のいわれのないいちゃもんが正しいとするなら、例えばメンバー数人を持つプロジェクトリーダーが、プロジェクトの進捗を妨げかねないメンバーの家庭の事情を心配をするのが「メンバーの立場にたって」ないと、非難されることになるではないか。アホか!

ちなみに、このねじ曲がった著者は同項の最後をこう締めくくっている(43頁)。

わたしたちはまた、青年将校の一人が「世界地図を拡げ、印度以南の島々をゆびさし、こことここはいずれ赤くするのだといった」(日本の領土にする意)という、一兵士の回想を忘れるべきではない。侵略性という点では、青年将校と、かれらが反発した軍閥とのあいだには、なんらの差異も存在しなかったのである。

ここまでくると、「はいはい」と投げやりにならざるを得ない。「侵略性」をもった人間が「農村救済」を考えてはいけないのか?あるいは、農村の窮状を憤る義憤と「侵略性」の関係はどこにある?

要するに、この著者は侵略の手先たる軍人が「農村救済」「弱者救済」ということを考える事すらが許せないのだ。どうもそうとしか考えられない。



最後に、もう一度吉川弘文館の本に戻る。

同書の最終章「青年将校運動の性格をめぐって―まとめにかえて―」(323頁から)において、著者は「弱者救済に立ちあがった青年将校運動」は「神話」だとし、その神話の生れる背景として栗原安秀と安藤輝三の両名を挙げているのだが、その理由がまた酷い。ちょっと説明を要するが、栗原という将校は、「ヤルヤル中尉」とある意味蔑称のあだながつけられていた。その日頃の過激な言動は同志の間でも半ば呆れられたところもあった男であり、松本清張は栗原を称して「驕児」と表現している。しかし、事件に参加した下士官兵や民間人の中には、栗原に全幅の信頼をおいていた者もおり、彼らとは深い同志的結合があったことは間違いないのだ(ニ・ニ録事件研究資料にでている)。一体、そのギャップは何か?というところから著者は推測し、事件に参加して刑に服す事になる下士官の言葉を引用する。ちなみに、僕自身は栗原という人間に対しては、「驕児」という印象は否定しえないけれども、それだけではないものを栗原には感じている。

私ハ戦車第二聯隊ニ在隊中同聯隊ハ創設日浅ク隊長以下訓示等立派ナルモ農村窮乏其ノ他ニ依ル兵ノ苦境等ニ付キ申告スルモ之レヲ取上ケテ呉レス尚除隊后ノ就職斡旋等ニハ何等省テ呉レルモノカアリマセンテシタ(324頁)

つまり、これが世間一般の将校の姿であり、栗原はこうではなかったと言いたいのだ。確かに栗原は、除隊した部下の就職斡旋に尽力したりしているし、それは安藤も同様であった。これは正しい。しかし、その後の結論がまたわけのわからんものになる。

そうした栗原のスタンスが、前章でみた安藤輝三同様、入営してきた兵士や下士官に、新鮮な印象を与えたのではないか。言い換えれば、軍人でありながら、ある程度、庶民の目線にたてたことが、その強い影響力の源泉になったとみなすべきであろうか※。逆にいえば、他の青年将校にこうした事例が、ほとんどみられないのは、彼らの大半が、職業人として凝り固まり、庶民との関わりを栗原らほど持ち得なかったといえよう。その結果、民衆との関係で例外的存在であった栗原・安藤が青年将校を代表してしまい、青年将校運動全体がその後美化される傾向をうんだのではないか。(324~325頁)


 この著者は、間違いなく自己の偏見に満ちた解釈を妨げる資料を故意に無視している。若干22歳の高橋太郎少尉の遺書「兄の味方は貧しき人なり」を知っていて無視したのか、それとも知らないのか。また、高橋の部下でもあった下士官が「教官のやることが間違っていることとは思いません」と裁判で述べた強い結びつきを知らないのか。他の多くの将校が遺した言葉に、「弱者救済「農村救済」があることを無視しているとしか思えない。

不本意ながらも事件に参加し(させられ)、裁判で刑に服すことになった下士官でさえ、また事件に参加させられた入隊間もない兵であってさえ、上官を怨んでいる声を探すのは難しいのが現実である(つまり、そんな言葉を記した資料は多くない)。それを著者は故意に無視している。


さらに、上記引用にて※をつけた箇所、「影響力」云々であるが、著者は、断定はしていないものの、それを発揮できた理由の推測として栗原が運動資金として財界民間人からもらっていたお金のことを匂わせている・・・。貶めるのもほどがある。仮にそのお金が栗原の生活に困るかつての部下に渡っていたとしても、それを恩義に感じて事件に参加するのと、その対価として事件に参加するのでは、その動機において大きな差が生じるが、どうも著者は後者としたいようである。しかし、裁判記録をよめば、栗原の影響を強く受けた下士官兵、民間人は、事件参加を後悔する言葉など一切遺していない。とすれば、極めて自然な理解として、著者のいう「民衆」とてあの事件への参加は「やむにやまれぬ」事であったのだ。なぜなら、当時の下士官・兵は「シャバ」では、著者のいう「民衆」であり、しかも「下層階級」に属し、日々の暮らしにも困るものが多かったからである。

栗原は、裕福な家庭に育ち、父は退役大佐。彼に資金カンパをしてくれていたのは、石原広一郎という財閥、石原産業のトップであった。当然栗原は、部下の就職斡旋についても他の将校と比べてコネが多くあったはずである。それだけのことだ。


「弱者救済「農村救済」。

この二つは、決して作られた「神話」なんかではなく青年将校らを事件に突き動かした主旋律である。


今日はこれまで。


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2011年3月2日水曜日

かばん持ちかと思ったらたいこ持ちだった話

幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者舞妓を助けて場を盛り上げる男性の職業をいう。 




およそ30年に渡りくされ縁が続いている僕の先輩は、地元の青果市場の理事長。

先週末、あるイベントに出店したので野菜売りの手伝いをしました。 市場価格の半分程度のものも多く並んだため、物凄い混雑でした。

「安いモノに飛びつく」
「安くても文句を言う」

「消費者」というのは、なんて身勝手なんでしょう。


そこで、「自民党」というネームの入ったウインドブレーカーを着た若い人が、そのイベントで踊りを披露する地元のおばちゃんたちの買い物かごを持って、つまり買い物の手伝いをしていました。

「政治家のカバン持ちというのは、大変だなぁ」

と、つくづく思いました。

ところが話を聞いてみると、その若い人は政治家のカバン持ちなんかではなく、自身が4月の地方選に出馬する予定の人だというのです。僕は開いた口が塞がらなかった。

「カバン持ちかと思ったらたいこ持ちだった」というタイトルはこのことです。

お店の主人が、身勝手な客に媚びてモノを売るのとはわけが違う。そこまで有権者に媚びてどうすんだ?大方、「あなた達のために身を粉にして働きます」くらいのことしか言わないんだろう。ただそれだけでは、単なる意見の代弁者、いやご機嫌とりだ。

あほか・・・


選挙が近付くと、その理事長のもとへもいろいろとさまざまな方面から働きかけがあるらしいですが、その理事長曰く

「節操がない」

なのだそうです。「民主党」と名乗るだけでもう落選は決まったようなものというムードを感じ取った立候補予定者は、「民主党」でも「自民党」でもなく、「みんなの党」に鞍替えしてるらしい。何の主義主張も、自身の理想もなく、ただ単に「名誉」を求めているだけなんでしょうね。そんな議員には何の価値もないし、そういう議員を選ぶ有権者というものも何だかなぁという気持ちを持たざるを得ない・・・。

今日はこれまで。




2011年3月1日火曜日

226へ その6 崩壊

2月29日。

早朝から、彼らを取り囲む包囲軍の動きが慌ただしくなる。いよいよ攻撃、皇軍相撃つ事態の予感させる。

包囲側は奉勅命令を盾に、最後の説得を試みる。

磯部は闘志満々。

「相撃は革命の鉄則だ!」

しかし、若い少尉たちの一角から磯部の夢が崩れていった。

「兵に逆賊の汚名をかぶせるわけにはいかない」

一つの部隊が原隊へ復帰すると、堰を切ったように続々と彼らの部隊は帰順する。

一人安藤輝三のみは、断固として兵を退くことを肯んぜず、彼の率いる第六中隊も烈々たる闘志を包囲軍に対して燃やしていた。



香田さん、帰りたいなら勝手に帰ってくれ!止めはせん。ただし、俺の六中隊は最後まで踏みとどまって闘うぞ。陛下の大御心に我々は尊王軍であることが解るまで頑張るのだ。今俺たちがそんな弱気になったら、部下たちはどうなるんだ!逆賊の汚名を着せたまま死なせるのか!俺はそんなことはできない!昭和聖代の陛下を後世の物笑いにしない歴史をつくるために断乎闘うんだ。





磯部もここにきて、ようやく兵を帰すことにする。


『オイ安藤、下士兵を帰さう、貴様はコレ程の立派な部下をもっているのだ。騎虎の勢一戦せずば止まる事が出来まいけれども、兵を帰してやらふ』とあふり落ちる涙を払ひもせで云へば、彼はコウ然として『諸君、僕は今回の蹶起には最後迄不サンセイだった。然るに遂ひに蹶起したのはどこ迄もやり通ほすと云ふ決心が出来たからだ。僕は今何人(ママ)も信ずることが出来ぬ。僕は僕自身の決心を貫徹する』と云ふ。同志は交々意見を述べる。安藤は『少し疲れているから休ましてくれ』と云ひて休む。
安藤再び起き上り、『戒厳司令部に云って包囲をといてもらおう。包囲をといて呉れねば兵は帰せぬ』と云ふ。そこで余等は、石原大佐に会見を求めようと考へ、柴大尉?に連絡を依頼する。間もなく戒厳司令部の一参謀(少佐)が来り、石原大佐の言なりとして『今となっては自決するかダッ出するか二つに一つしかない』と伝へる。同志一同此の言を聞きて切歯憤激云ふところを知らず。
歩三大隊長伊集院?少佐来り。『安藤、兵が可(ママ)相だから兵だけ(ママ)帰してやれ』と云へば、安藤は憤然として『私は兵が可(ママ)相だからヤッタのです。大隊長がそんなことを云ふをシャクに触ります』と、不明の上官に鋭い反撃を加へ、突然怒号して『オイッ、俺は自決する。さして呉れ』とピストルをさぐる。余はあわてて制止したが、彼の意はひるがへらない。『死なして呉れ、オイ磯部、俺は弱い男なんだ、今でないと死ねなくなるから死なして呉れ。俺は負けることは大嫌ひだ。裁かれることはいやだ、幕僚共に裁かれる前に自ら裁くのだ。死なしてくれ』と制止の余を振り放たんとする。悲劇、大悲劇、兵も泣く、下士も泣く、同志も泣く、涙の洪水の中に身をもだえる群衆の波。
大隊長も亦『俺も自決する。安藤の様な立派な奴を死なせねばならんのが残念だ』と云ひつつ号泣する。『中隊長が自決なさるなら、中隊全員御供を致しませ』と、曹長が安藤に抱きついて泣く。『オイ前島上等兵?御前が嘗て中隊長を叱ってくれた事がある。中隊長殿いつ蹶起するのです。このままでおいたら農村は何時迄たってもすくへませんと云ってねぇ。農村は救へないなあ。俺が死んだらお前達は堂込(?)曹長と○○曹長と(ママ)たすけて、どうしても維新をやりとげよ。二人の曹長は立派な人間だ。いいかいいか』『曹長、君達は僕に最後迄ついて来てくれた、有難う。あとをたのむ』と云へば、群がる兵士達が『中隊長殿、死なないで下さい』と泣き叫ぶ。余はこの将兵一体、鉄石の如き団結を目のあたりにみて同志将兵の偉大さに打たれる。
『オイ安藤ッ、死ぬるのはやめろ、人間はなあ、自分が死にたいと思っても神が許さぬ時には死ねないのだ。自分でも死にたくなくても時機が来たら死なねばならなくなる。こんなにたくさんの人が皆なして止めているに死ねるものか。又、これだけ尊び慕ふ部下の前で貴様が死んだら一体、あとはどうなるのだ』と余は羽ガヒジメにしている両腕を少しくゆるめてさとす。幾度も幾度も自決を思ひとどまらせようとしたら、漸く自決しないと云ふので、余はヤクしている両腕をといてやる。
兵は一同に集まって中隊長に殉じようと準備しているらしい様子。死出の歌であらふ、中隊を称へる吾等の六中隊の軍歌が起る」
(磯部浅一『行動記』前掲書)


この日午後2時までに、彼らのこの挙はすべてが終わる。そして夕方には彼らの手に冷たい手錠がかけられる。


75年前の出来事。

 今日はこれまで。

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2011年2月28日月曜日

226へ その5 絶叫

2月28日。

この日午前5時。彼らの部隊の原隊復帰を命じる「奉勅命令」が出される。奉勅命令とは天皇直々の命令で、他の命令とはその重みが異なる。

しかし、彼らにそれを正確に伝える者は一人としていなかった。彼らは警備部隊として軍の統帥下にある。したがって、彼らの指揮者がそれを命じなければならない。だが、その指揮者はそれを伝えなかった。そればかりか、「そんなものは出ていない」とまで、嘘をつく・・・。

驚天動地。

彼らはこの形勢の逆転を即座に信じることはできなかった。その理由もわからなかった。誰もかれもが皆「兵をひけ」しかいわなくなった。昭和維新の詔勅もでていない。彼らは包囲されてもいる。

「一体どうなっているんだ。わけがわからない。」

これが彼らの偽らざる心境だった。



「余は吾々を此の羽目におし落した不純幕僚に対し、冲天の怒りをおぼえ、悲憤の余り別室に入りて天地も裂けよと号泣する」
(磯部浅一『行動記』)




磯部の号泣もむなしく、事態は彼らの崩壊に向かってまっしぐらに進んでいた。


彼らは天皇の怒りを知る由もない


今日はこれまで。

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2011年2月27日日曜日

226へ その4 予兆

2月27日。

軍幕僚の策動も予感はしながらも、彼らはこの日もまだ得意の絶頂にあった。彼らの部隊は、討伐されるどころか、治安維持のための警備部隊に編入され、所属原隊から防寒具、食料の配給も受け、まるで「官軍」であるかのようだった。

一般市民からの激励や、差し入れやらも彼らに届けられる。東京にあってそれを知る大方の国民は間違いなくこう思ったはずである。

「これで世の中もよくなる」

この国民の声を無視しては、あの事件は語れない。


彼らの目指す「昭和維新」はその端緒に着くかと思われていた。ひとつ気がかりなのは、彼らが信頼する軍上層部がしきりに「撤兵」を主張すること。それだけは、何の確証もない状態のままのめる条件ではなかった。


天皇は、いまだ討伐の道筋すらつかない事態に苛立っていた。天皇は、おそらく日本でただおひとり、彼らを明確に「賊」とみなしていたお一人である。

その怒りを彼らは知る由もない。

今日はこれまで。


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2011年2月26日土曜日

226へ その3 人生至上の快楽

2月26日。

東京は季節外れの雪で、都心でも23日には32センチの積雪を記録している。この日もまた雪は降っていた。

部隊の先陣を切って、湯河原の牧野伸顕襲撃組がハイヤーで出発する。歩兵第一連隊、第三連隊、近衛歩兵第三連隊では深夜の非常呼集が響き渡る。



二月二十六日午前四時。各隊は既に準備を完了した。出発せんとするもの。出発前の訓示をするもの、休憩をしているもの等、まちまちであるが、皆一様に落ち着いて様の見えるのは事の成功を予告するかの如くであった。豊橋部隊は板垣の反対に会って決行不可能となったが、湯河原部隊はすでに小田原附近迄は到着している筈である。各同志の連絡協同と各部隊の統制ある行動に苦心した余は、午前四時頃の情況を見て戦ひは勝利だと確信した。ヱ門(営門)を出る迄に断圧(ママ)の手が下らねば、あとはやれると云ふのが余の判断であったからだ。村中、香田、余等の参加する丹生部隊は、午前四時廿分出発して、栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。その時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。いよいよハジまった、秋季演習の聯隊対抗の第一日遭遇戦のトッ始めの感じだ。勇躍する、歓喜する。感慨たとへんにものなしだ。(同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。後略)」
磯部浅一「行動記」

 今日はこれまで。




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2011年2月25日金曜日

226へ その2 さまざまなドラマ

 2月25日。


近衛歩兵第三連隊の今泉義道少尉は、翌26日の休みをもらっていたため、この日の夜実家に帰ろうと市電を待っていた。しかし、降りしきる雪のためか一向に市電は来ず、タクシーも姿を見せない。家へ帰ることをあきらめた今泉は、仕方なく連隊へ戻って寝ることにした。


 深夜、突然同期の中島莞爾少尉に起こされて、蹶起のことを告げられる。晴天の霹靂だった。さんざん迷った挙句、部下の下士官が泣きながら彼のもとへ訪ねてくるに及んで、心を決めた。


 安心しろ。お前たちだけを行かせはしない。




歩兵第一連隊には、かつての栗原安秀中尉の部下、宮田・中島両曹長、黒田上等兵(いずれも予備役)が集まってきていた。栗原に呼び出されのだ。



宮田は21日に栗原から電話があり、23日に連隊を訪ねると「今忙しいから25日午後8時に中島と一緒に出直して来てくれ」と言われる。中島の就職斡旋について栗原に頼んでいたところだったので、てっきりその話しだと思い、言われるままに25日に栗原のもとへ行き、初めて蹶起のことを知らされるだ。

宮田の陳述は悲痛である。

栗原中尉の考えでは、私のような下っ端の者に打ち明けると蹶起前に事が暴露する危険があると思って、自分たちの間では決定しておりながら、故意に蹶起間際となるまで打ち明けて呉れなかったものと思います。もし、少しでも前に打ち明けてくれておったら、貧困にして妻子のある家庭のこと故、少しは後々のことも処理しておけたと存じます。

遠慮がちに栗原に対して怨みを述べた宮田は、裁判では次のようにその信念を披歴する。

私らのとった今回の行動の善悪はともかく、私ら下層階級の者として、社会の現状を見てやむにやまれず、直接の行動より他にとるべき方法、手段なしと決行したものでありまして、現在においてもその信念に変わるところはありませぬ。


明くる26日、1483名の兵力が帝都東京を震撼させることになる。

今日はこれまで。


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2011年2月24日木曜日

226へ その1 奔騰

2月24日。

今から75年前の昭和11年2月24日は、「青年将校」らの襲撃計画が出来上がってからわずか3日目のこと。

この日は、村中孝次が北一輝の自宅で蹶起趣意書を書きあげている。

謹んで惟(おもんみ)るに我神洲たる所以(ゆえん)は、万世一神たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育を遂げ、終(つい)に八紘一宇(はっこういちう)を完ふ(まっとう)するの国体に存す。


から始まる極めて難解な文章である。

そうして、この日になってようやく若い少尉たち(20代前半)に、「いよいよ蹶起する」ということが告げられている。わずか2日前になって、このような大事を告げたのは、同志としての信頼度からくる計画秘匿の意味合いがあったと考えられる。この日告げられた者たちは、後の裁判でも

「私は同志ではありません」

と言い放ち、他の青年将校らを憤慨させるのだ。同じ20代前半の少尉でも、この24日よりもわずか数日前に知らされた者たちは、確固たる信念を持って事件に参加し、それは裁判でも揺らぐことはなかった。



この日、最早彼らを止められないと焦燥に身をやつしていた西田税はこの日帰宅すると、玄関先にメモを見つけた。

「26日なら都合がよいと言ってます」

見覚えのある磯部浅一の字だった。西田は、その日眠れない夜を過ごしたに違いない。

今日はこれまで。



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2011年2月23日水曜日

県立高校入試問題

先日行われた埼玉県立高校の入試問題「社会」です。

以下の下線部に当てはまる言葉を書きなさい。

1955年ごろから冷戦の緊張が少しずつゆるむなか、平和条約を結ばなかったソ連との関係を回復する動きがおこり、1956年に日ソ共同宣言が出された。そして、ソ連の支持も得て、同年、日本は____ことにより、国際社会に復帰した。



とこういう問題です。この文章を読む限り、日本の国際社会復帰は「ソ連の支持」が大きな役割を果たしたように受け取れるのだが、それは僕だけの印象でしょうか?


あと、こんな文章もありました。

軍事政権の樹立によって政治改革を実現しようとするニ・ニ六事件がおきた。


100歩譲ってクーデターならいざ知らず、「軍事政権の樹立」とは一体何のことかと目を疑いました。さらには、その目的が「政治改革」などいうのでは、あいた口がふさがらない・・・。

どうにも偏向していると思えるのは僕だけなのか?

今日はこれまで。



ちなみに、最初の問題の解答は「国際連合に加盟する」です。


2011年2月22日火曜日

磯部浅一という男

今日は2.26事件の側面についてです。

タイトルの男は、同事件の首謀者の一人で牽引役ともいえる人間です。真からの革命児とも言えるでしょう。彼だけは他の将校と違い、軍人としての思考枠を飛び出していました。彼は、他の同志将校より1年遅れて処刑されたため、その間獄中にあって書かれた手記が、彼に好意を寄せる看守らの尽力によって外部に持ち出されました。後に「行動記」「獄中日記」「獄中手記」と名付けられた膨大なモノです。「ニ・ニ六事件獄中手記・遺書」というA5版の本で160頁以上あるほどです。

彼らの目的が果たされぬやも知れぬという空気が立ち込めて来た28日、磯部は「おい、これから参謀本部を襲撃しよう」と他の同志に提案します。軍幕僚が策動して、彼らの挙を葬り去ろうとしていたからです。もちろん、他の同志の賛成を得られるはずがありません。磯部以外は、そんなことを考えることすらなかったと思います。だから、おそらくびっくりしたと思います。そして、こう思ったに違いありません。

「そこまでやったらおしまいだ」

と。これが磯部以外の将校たちの限界でした。彼らは、あくまでも軍の一員として兵を率いて「君側の奸」を斬ったのです。その同じ「軍」を襲撃することなど、露ほども思い至らなかったと思います。ただ、ひとり磯部だけは目的完遂のためにはどんな手段でもとるといういわゆる革命の鉄則を受け入れることが出来たわけです。

後の裁判過程でも、磯部は軍上層部を反乱幇助の罪で告発しています。これは、同志の一人安藤輝三によって「磯部、そんなに軍を仇にすることはやめろ!」と真剣に食ってかかられます。


何故でしょう?磯部だけは何故「軍人」の思考枠を飛び出す事ができたのでしょうか?

磯部という人間の哀しさがそこにあると僕は感じている。他の同志将校が、中流以上の家庭で育っているのに対して、磯部のみは極貧の家庭で生れた人間でした。小学校卒業後、上級学校への進学の道筋をつけてくれたのは、磯部の優秀な頭脳を惜しんだ地元の篤志家でした。彼は、処刑の数日前に面会に来た義理の弟にこう言うのです。

しかし、同志の中で俺ほど貧乏の家に生まれたものはあるまい。色々苦労はしたが、貧乏人の心持は同志の内で俺が一番知っているので、貧乏人を助けたいが為に今まで闘ってきたが、貧乏人の方で俺たちが思うほど言う事を聞かない。それだから何時まで経っても貧乏人は苦労しているのだ。俺も大陸軍を相手にして先を土俵際まで一時は追いつめたから本望だ。お前達も余りメソメソするな。


おそらく磯部の心の奥底には階級間格差に向けられた「妬み」「怨み」があったと思うのです。生れた境遇によるものでしょう。いい悪いではありません。それと、彼には貧しい者はつねに正しいというような、極めて偏った考えがあったと思います。だから、「貧しい者=正直者』が馬鹿を見る世の中は、それだけで「不正」たりえたのだと思います。子どもっぽい考え方だとは思います。

ただ、磯部が「アカ」とはならなかったのは、「天皇」に向けられた絶大な信頼感があったからだと思います。

「天皇」というものに対して向けられたこの思いは、一人磯部のみならず、他の同志将校らもひとしく共有していたものでした。そして、それは彼らだけの専有感情ではなくひろく当時の国民の大多数をも捉えていたものだと思います。

この世の中は、天皇が糺してくれる。そう信じていたからこそ、それを阻害している側近を斬ったのです。つまり、彼らにとってはそれはあくまでも天皇への忠義と同じ事でした。


しかし、彼らは天皇に弓を引いた逆賊として裁かれるのですから、多くの将校が怨みの言葉を遺書に遺すわけです。裁いた軍に対して。


しかし、ひとり磯部のみは獄中において天皇を叱責するのです。

「天皇陛下、何と云ふ御失政でありますすか。何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」


今日はこれまで。

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2011年2月21日月曜日

先を越された企画

1995年。この国が戦後50年を迎えた前後に、密かに決意したことがありました。

「大日本帝国への鎮魂歌=かつての日本をそんなに悪く言うな!」

というテーマで本を書こうと思ったのです。目次構成は以下のようになります。

1.大日本帝国の誕生
2.明治のサムライたち
3.滅びの序章
4.日本人かく戦へり
5.帝国の終焉
6.帝国の解体
7.帝国の残影

こんな感じです。父親に50年前のことを思い出してまとめてくれと頼みました。その文章を読んで初めて知った事実もありました。父親は海軍予備学生に応募するつもりで、父親(僕の祖父)から白鞘の短刀まで買ってもらっていたそうです。僕はびっくりしました・・・。

いろいろと考えているうちに小林よしのり著「戦争論」が出てミリオンセラーにまでなりました。同書は、僕が書こうと思っていた「4.日本人かく戦へり」そのままです。

ということで、僕のアイデアは先を越されて(?)その本を書くことを断念しました。ただ、漫画という形であれだけの読者を獲得し、それがあまりに売れたので、かなり当時の言論界に衝撃を与えたこました。それは僕にとってはうれしいことでした。逆にサヨクの人たちはかなりショックだったろうと思います。その後、同書を題材にした論戦は各月刊誌やら、書籍やらでかなり繰り広げられました。ただ僕からみたそれは、単なるイチャモンでした。

あれから既に10年以上が過ぎているとはどうも信じられないな。

ホントに月日の経つのは早い・・・。

 今日はこれまで。



2011年2月20日日曜日

赤旗は面白い 2

昨日、日本の凋落を示すデータをご紹介しました。偶然にも「赤旗」は2月15日の主張で、「日本だけが世界の中で成長していない現実」ということを述べていました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-15/2011021501_05_1.html

以下は、赤旗からの引用です。


日本経済の問題は、中国に追い抜かれたということよりも、過去十数年にわたって成長が止まってしまったままという世界でも異常な事態にあります。
 昨年の名目GDPは479兆円で、過去最高を記録した1997年と比べると36兆円、7%も減少しています。昨年の水準は92年と同じ水準であり、18年前に逆戻りしたようなものです。
 日本だけが長らく経済成長から取り残されているという異常な状況を是正しない限り、経済の発展はもちろん、政府債務残高の問題も解決しません。
 財政危機の打開には大企業・大資産家への行き過ぎた減税を是正して応分の負担を求め、「税収空洞化」の穴を埋めることが不可欠です。同時に経済成長の影響も無視できません。1990年以降の政府債務残高の増加率は日本が2・8倍、ドイツ2・6倍、フランス3・3倍と大差がない水準です。ところが、対GDP比の債務残高は日本だけが突出して悪化しました。その大きな原因は分母に当たるGDPの成長が止まってしまったことにあります。
(出所は上記Url)

 この事実認定は確かですね。大企業・大資産家への行き過ぎた減税を是正して応分の負担を求め、『税収空洞化』の穴を埋めること」が財政危機の打開に必要かどうかは僕にはわかりませんが、次いで次のように述べます。

GDP統計によると働く人の所得(雇用者報酬)は97年と比べて25・6兆円も減っています。その一方で大企業の内部留保は約100兆円増加して244兆円に膨れ上がっています。
 国民が汗水流して働いても大企業が利益を独り占め―。この構造を転換し、“死んだお金”を日本経済に還流させて“生きたお金”に変えることが必要です。
 雇用や中小企業を守るルールを確立して賃金の引き上げを進める経済戦略が求められます。
(出所同上)

 僕はこれが間違っているとは思えないんだな・・・。雇用者報酬は25.6兆円減少しているにも関わらず、大企業の内部留保は100兆円増加しているという事実をどうみたらいいのでしょう?

 個人消費はGDPの55%を占めていますが、それは「雇用者所得」によって支えられるのだから、そのマイナスは決して個人消費を増やす事はない。簡単にいうとそういうことですね。まあ、今の状況では雇用者所得が増加したとしても、消費性向は高くはならないとは思いますがね。

 この今の日本を覆いつくしているかのような閉塞感・・・。これも消費を冷え込ませる原因となっていると思います。

 赤旗は実に面白い。。

 今日はこれまで。


2011年2月19日土曜日

凋落する日本

ふとしたことから、GDP成長率の国際比較を見てみました。

驚きました。1990年から2000年までの10年間の成長率平均をみると

アメリカ:5.55%
日本  :4.38%
フランス:0.69%
ドイツ :1.85%
イギリス:3.85%

で、日本は健闘しています。バブル崩壊後の10年間ですからね。

しかし、続く2000年から2010年までをみると

アメリカ:4.08%
日本  :0.63%
フランス:8.06%
ドイツ :6.47%
イギリス:4.39%

となっており、日本の成長率の低さが際立っています。アメリカは、何だかんだいっても、成長しているし、他の諸国も1990年からの10年間の低成長を次の10年間で挽回していることがわかります。

お隣の中国、韓国をみると正直、厭になります。

1990年から2000年の10年間は中国11.47%、韓国7.76%、続く2000年から2010年まではそれぞれ17.41%、7.18%となっており、日本一国だけの凋落がより目立つ形となります。

日本一国のみの、このような低成長の原因までは調べていませんが、簡単にいえることは1990年からの10年間は、日本はアメリカの言いなりに総額で430兆円もの公共投資を行ったこと。この10年間で日本の財政は急激に悪化していくのですが、景気を下支えしたことは確かなようです。

同じように2000年からの低成長は、小泉内閣による公共投資の削減が大きいとも考えられます。前にここで紹介しましたが、


平成不況の原因となったマクロ経済政策の失敗を顧る事はせずに、不況の原因を「構造改革」「規制緩和」と日本の産業システムやら国民性にまでそれを押しつけたことによるのでしょう。

小泉純一郎やら竹中平蔵やらは未だに一定の人気があるように思われますが、この事実を見つめてもなお、国民は彼らが絶叫した「構造改革」だの「規制緩和」だのいう言葉のまやかしに目を覚ますことはないのでしょうか。

ホントにまずいぞ、この国は。

今日はこれまで。



2011年2月18日金曜日

内閣支持率

昨日の記事によると、菅内閣の支持率が17.8%となり、鳩山内閣の最後よりも下回ったとか。

不思議に思うのは、未だ2割弱の人が支持しているのかと事実・・・。僕にはそっちの方が驚きです。何をもって支持しているのでしょう?

僕は何度もここで書いていますが、支持率なるものなど一切信用しないし、それをもって一喜一憂する必要は政治家にはないと思っています。民意が間違っている事もあるわけで、その表れである支持率の高低も、一時の憂さ晴らしや不平不満のはけ口になっている可能性もあるからです。こんな数字は感情ですらないですよ。単なるムード、付和雷同的なものでしかない。政治家たるもの、国民の無知蒙昧を時には叱る覚悟が必要であり、不人気だからといって為すべき事をしないのは政治家たる資格がない。

民主党は、その政権スタート時に予算の組み替えによって16兆円だかの財源は捻出できると言っていたのですよ。そしてそれをもって「子ども手当」だとか「高速無料化」だとか「高校授業料の無償化」の原資にすると叫んでいたのです。それが、実際に予算を組む段階になって、その大甘な目論みの実現不可能なことを認識したにもかかわらず、それを正そうとしない。それがそもそもの大間違いですよ。まずは、その誤りを認めなさいという野党の主張は至極真っ当な事だと思うし、それをせぬまま、「財政健全化」の議論の土俵に乗って下さい等と野党に呼び掛けるのは筋が通らん事だと思いますね。


本日(18日)の日経社説にも民主党の前代表=前総理のことが取上げられてましたね。「こんな人がこの国の総理だったことを考えると恐ろしい」と・・・。まったくその通り。僕は件の人に限っては、筆致の激しさを抑えることができなくなる。今日はやめときます。

ホントに民主党に投票した人は心底反省してほしいワ。

今日はこれまで。



2011年2月17日木曜日

四半世紀・・・

四半世紀以上来ている服があります。ベストとセーターです。流行に左右されないベーシックなものなので、毎シーズン必ず何度かは袖を通します。どちらもウールですが、毛玉ができたり、伸びたりということは一切なく、それを着る事に何の問題もありません。そして、それを着るたびに買った当時の事を思い出し、時間の流れに愕然とします。


そんな持ち物にかこつけて考えると、今の蔵書でその巻末に買った日付が記録されている最も古いものは1982年ものだと思います。あの頃から、本を読むということが目的ではなく、「学を為す」ための手段となった。正確には「そうしよう」と決意しました。

それ以来、数千冊の書を読んできたとは思う。

しかしながら、「あの頃の未来に僕はたってるいるのか」と自問すれば、反省することしきりだし、恥ずかしくなるくらいの自分ですが、今もなお「いかに生きてきたか」を誇れる自分が存在する遠い未来を想像している。おそらく人間というものは、そんな何の保証も確証もない将来を想像しなければ、生きていけないものなのでしょう。そうして、いつ何時訪れるかも知れない「死」というものを、一切捨象している。どうもそんな気がします。





一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂ふること勿れ。只一燈を頼め
(「言志四録」佐藤一斎)

ここでいう暗夜というのは、人生を指しているものと思われます。一燈というのは志でしょう。大切なのは、自らを信じることだという事ですね。勇気が必要だと・・・。


釈尊の死の間際、弟子がこう嘆き悲しんで尋ねました。

「我が師よ。師亡きあと、一体何を頼ればいいのでしょう。」

釈尊答えて曰く

「汝自らを燈火(ともしび)とし、汝自らを寄りどころとせよ。他を寄りどころとするな。」

釈尊の言葉を集めたと言われる法句経では、これをこう言います。

「己こそ己の寄る辺 他の誰に頼られようぞ
よく調(ととの)えられし己こそ
まこと得難き 寄る辺なれ」




 今日も頑張りましょう。

今日はこれまで。
















2011年2月16日水曜日

落花紛紛 雪紛紛

あらためて思いましたが、梅の花というのは雪に映えますね。雪に映える花というのは、そう数あるものではないでしょうね。

落花紛紛 雪紛紛
雪を踏み 雪を蹴りて 伏兵起る
白晝(ちゅう) 斬りとる 大臣の頭
噫嘻(ああ) 時事 知る可(べ)きのみ
落花紛紛 雪紛紛
或は恐る 天下の多事 此処に兆すを

これは、桜田門外の変を詠んだ漢詩です。「らっかふんぷん ゆきふんぷん」と読みます。この事件は新暦だと3月24日のことなので、春の雪ということになりますね。つまり、ここでいう花とは桜のことかも知れません。場所は桜田門、花と雪が一緒になって乱れ散る中で行われたという、見事に「詩」になる事件です。

思えば、昭和11年(1936年)の226事件の勃発も雪の朝でした。あの日の雪は記録的な大雪だったらしいです。膾炙している忠臣蔵の、討ち入り場面の雪は創作らしいです。どうも「雪」というのは、なにかしら特別な感傷を僕らに与えるような気がしています。

今日はこれまで。

2011年2月15日火曜日

凝り性というか・・・

まったくもって、昨年後半から毎日ブログを更新していたら、最近はそれが「行」のようになって来ています。ここで1日でもさぼったら何かしら厭な思いをするだろうということが感じられて、強迫観念のような、そんなものがかすめています。

凝り性なんですね、ある種の。前に紹介した10年日記もそうですし。僕にとっては、日常の中に持ち込んだ「行」のようにになっています。始めたからには続けなければならないみたいな。

いつまで続くかわかりませんが、とりあえずはこの習慣=「行」を続けてみましょう。

つくづく思いますが、文章を書くという行為は頭の中のごちゃごちゃにこんがらがっている知識の断片を紡ぐ作業であり、これほど頭を使う訓練はまずないと思います。その意味で浅学な知識とはいえ、それを紡ぎ、言葉を探しだし、文章として整えるという一連のプロセスは、「行」と呼んでも大仰なことではないとは思います。


とはいえ、大した文章を書いているわけではないけどね。


今日はこれまで。







2011年2月14日月曜日

クレオパトラって・・・

クレオパトラ

この名前を知らない人は先ずいないとは思います。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わったであろう」

という言葉も有名ですね。これはパスカルの言葉です。

しかし、この女性が果たして如何なる人物で、何をなしたかを知る人はそう多くはないはず。かくいう僕もその一人でした。

たまたま娘の本棚にあったこの本を読みました。僕の頭の中でごちゃごちゃだった歴史が一つになりました。

「アレクサンダー大王」
「カエサル」=「シーザー」
「ブルータス」
「アントニウス」
「オクタビアヌス」
「プトレマイオス王朝」

上記の単語、世界史で習ったはずです。僕には前後関係、脈絡がメチャクチャでした。今日はそのこんがらがった糸をほどいて行きます。


BC332年、ギリシャ北方にあったマケドニアの王アレクサンダーがエジプトを征服し、ナイル川の河口にアレクサンドリアという都市を建設します。

BC323年にアレクサンダーが死に、側近であったプトレマイオスがその後を継ぐと、彼はエジプトの地に新たにプトレマイオス王朝を興します。BC305年の事です。

クレオパトラは、その王朝の継承者プトレマイオス12世の三女として生れるのです。BC69年のことです。正確にはクレオパトラ7世といいます。長女が6世の名を冠していました。クレオパトラには、小さい頃から家庭教師がつき、多くの外国語に堪能となります。

その頃、エジプトは地中海を挟んだ強大なローマ帝国と対立しており、無策だった彼女の父、プトレマイオス12世は、二女ベレニケと結んだ側近のために国を追われ、敵対していたローマに逃れることになります。そのプトレマイオス12世を庇護したのがカエサルと敵対していたポンペイウスという人物です。そして、そのローマの強大な軍事力とともに再びエジプトへ帰ってきます。BC55年の事です。その時プトレマイオス12世を護衛してきたのがローマの騎兵長官であったアントニウスです。

BC51年、王座に返り咲いたばかりのプトレマイオス12世が死ぬと、その遺言により18歳になっていたクレオパトラは僅か10歳の弟プトレマイオス13世と結婚して共同でエジプトを治めることとなります。

語学堪能で、才能豊かなクレオパトラは自然と国の実権を握るようになり、かつて父を救ってくれたローマのポンペイウスを援助しますが、それをきっかけに、姉を妬む弟とその側近により命を狙われ、シリアに逃れることになります。その後エジプトはプトレマイオス13世とクレオパトラの妹アルシノエによって治められることになります。

プトレマイオス13世とその側近は、カエサルとの戦いに負けて援助を申し出て来たポンペイウスを暗殺し、その首をカエサルに届けます。カエサルは長年のライバルであったポンペイウスの非業の死を悲しみ、その仇を討つためにアレクサンドリアへ兵を進めます。その横には、クレオパトラがいました。カエサルは彼女から父の遺言としてエジプト王女としての正当な地位は彼女自身にあることを知り、彼女を援けることを約束したのです。

BC48年、カエサルのローマ軍はアレクサンドリア戦争においてプトレマイオス13世のエジプト軍を破ります。そしてその翌年、クレオパトラはプトレマイオス14世とともに、再びエジプトの王女として返り咲くのです。

クレオパトラはカエサルとの間にカエサリオンという名の男の子を授かり、ローマで暮らす事になります。

ところが、ローマの皇帝を座を狙うカエサルはブルータスによって暗殺されてしまうのです。その時のセリフが有名な「ブルータス、お前もか」です。

クレオパトラはアレクサンドリアへ帰ります。そして、今度は息子カエサリオンとともにエジプトを統治するようになるのです(それまでの14世はどうしたかはわかりません)。

クレオパトラは、エジプトを護るため、ローマからの庇護をカエサルの有能な側近であり、かつて父を護衛して来たアントニウスから受けようとし、一方のアントニウスは政敵であるオクタビアヌスとの戦いのためには豊沃なエジプトの富が必要でありました。そうして利害の一致した二人は恋仲となり、双子を授かるようになります。

二人の平和は長くは続きませんでした。戦勝の凱旋式をローマではなく、アレクサンドリアで行ったアントニウスに、ローマの反感は強くなり、オクタビアヌスとの間で戦いが始まります。BC34年です。

BC30年、アントニウスの軍は大敗し、王宮に戻って来たアントニウスは、「クレオパトラが死んだ」と聞き、自身も自殺します。この時、クレオパトラは死んではいませんでした。失意の彼は「墓所にいる」ということを「死んだ」と思ったのです。

アントニウスの葬儀の日、クレオパトラは戦勝者オクタビアヌスの呼び出しを拒み、毒蛇に自らを噛ませて死を遂げます。BC30年8月29日のことでした。彼女は39歳でした。


今日の話は、子ども用にわかりやすく書かれたものからの編集ですが、大まかな流れはまちがってはいないと思います。面白い物語でしょう。いずれ、きちんとした彼女の歴史を読んでみたいと思います。

今日はこれまで。




2011年2月13日日曜日

吉田松陰 3

昨日、吉田松陰の「講孟劄記」を取上げたので、今日も松陰のことを書いてみたいと思います。そういえば、まーくんが「世に棲む日々」を読んでいると11月に言ってましたが、もう読み終わったかな?吉田松陰という人間の偉さは、その教育者としての人間力にあると僕は思っています。何しろ、生きて再び獄外に出る見込みのない囚人までをも感化してしまうのですから・・・。彼の門下生が維新の原動力となったということは、彼の一面しか伝えていないことです。

何度か、このブログでも吉田松陰のことを取り上げてます。


ここで、アメリカ人の東大教授が、「彼がアメリカに渡っていたらを考えると楽しみです」とラジオで語っていた事を紹介し、


ここでは、彼の伝記を日本人よりも早く著したのはイギリス人作家であったことを紹介しました。

さて、最近目にした文章です。

日本歴史を書いたG・B・サンソム卿が松陰のことを叙して「吉田寅次郎、彼は当惑させられる性格の持主であった。彼の伝記を読むと、彼が愚か者で、狂信的で無能であったとの印象を受ける。彼は高邁な理想、雄大な構想、野心的計画で充満していたが、大小を問わず着手したすべてのことに失敗した。それは常識の欠如に基づくものといえよう。外国の研究者がなぜ彼があれほどまで同時代の人の心に強い影響を及ぼし、また後世の人から法外に賞賛されてかを理解するのは、この点で容易なことではない」としている。
(『二・二六事件とは何だったのか』所収「正気の発現(新保祐司)」)

これは、大佛(おさらぎ)次郎の「天皇の世紀」に書かれているものだそうです。要するに吉田松陰の偉さは外国人が理解するのは難しいと言っているわけですね。とすると、以前紹介した二人の外国人は、非常に稀有な存在であったことになる・・・。

確かに、この外国人の言う通り、結果だけ見れば吉田松陰の為そうとした事は全て失敗しています。最後の最後に至っても、自らの志を幕吏に堂々と延べ、「至誠が通じるか否か」を測ることまでしますからね。結果的に彼の至誠は通じませんでしたが・・・。こういう行動の結果を超越した純粋性は松陰の真骨頂だと僕は思っているし、だからこそ松陰には、囚人を感化してしまうほどの人間力が備わったいえます。

「人生で大事なことは、何をしたかではなく、どう生きたか」

僕は、まさしくこれが完全に真理だと思っています。

今日はこれまで。

2011年2月12日土曜日

脚下照顧(きゃっかしょうこ)

これは禅の言葉です。

まず自らの脚下をみて、反省すべしといったところでしょうか。これを矩とすべく、娘には幼い頃から靴を揃えさせることを躾ました。そういえば、それを守らず僕に叱られることがなくなったな・・・。もちろん、僕自身もやっています。

「出船の精神」

とかいう言葉もあります。つまり、すぐに出港できるように、舳先を外洋に向けて停泊させること、危機管理になるのかな、そういう心構えを表した言葉らしいですが、玄関で靴を揃えるのも見方を変えると同じ事ですね。





道は即ち高し、美し、約なり、近なり。人徒(ただ)其の高く且つ美しきを見て以て及ぶ可からずと為し、而も其の約にして且つ近、甚だ親しむ可きことを知らざるなり。
(「講孟劄記」吉田松陰)

下田でのアメリカ渡海に失敗して捕えられ、故郷萩の野山獄にて、獄内の囚人へ行った「孟子」の講義録(だから講孟)の最初に述べられている言葉です。訳すと以下のようになります。

人の人たる道は、高く美しく、また簡約で身近なものである。しかるに人々は、ただ道の高くかつ美しい面だけを見て、初めから自分にはとても及びがたいものであると思い、一面において道が簡約でかつ身近な、はなはだ親しみやすいものであるということを知らないのである。


 
 「道」という概念は、孔子や孟子にある如く、中国からの外来思想です。しかし、日本ではそれをさまざまなものとくっつけたことに大きな特徴があります。「剣道」「柔道」「茶道」等々・・・。おそらくそれがくっつけられた最初は「歌道」だと思います。10世紀、平安朝の頃だと思います。次いで有名な「風姿花伝」の「芸道」ですね。それらの特徴は、日常を律するものを課していることといえます。

「道とは何か」と問われて、明確な即答は出来ないけれども、その言葉が表しているものはイメージできる人は多いと思いますが、「道」と言う言葉に込められているのは、人格の陶冶だとか高次の精神性の獲得だとかですね。それを目指した実践が「行」であり、その総体というか、ありようを「道」というのだろうと思います。

とすると、ちょっと前に書いた後かたづけをするプロサッカー選手にも、遠く平安の頃から続いている心性があるとも考えられますね。


「道は脚下にあり」という言葉もありますが、要するに日常をおろそかにしてはいけないということでしょう。ちょっとずれますが、アメリカの陸軍士官学校にも「悪魔は細部に宿る」という言葉があるそうで、だからこそ、日常の所作や身につける服装、靴の磨き方等の徹底的な躾が行われるのだそうです。これも同じようなことをいっているのかも知れませんね。ただ、日本の場合は、日常の所作に宗教的なものを持ちこみ、それを「型」にまで昇華させたといえるかも知れません。

今日はこれまで。







 




2011年2月11日金曜日

豪州とのEPA

まったく、TPPだとEPAだのFTAだの、アルファベット3文字が新聞を飾らない日はないですな。

EPAはEconomic Partnership Agreementの略で、経済連携協定というものだそうですが、FTA(=Free Trade Agreement)とどのような違いがあるののかはよくわかりません。

豪州とのEPA締結に向けて頓挫していた交渉が再び始まったとか。豪州は日本にとって中国、米国に継ぐ第三の輸入国なんですよね。

2月7日の読売新聞記事によるとですねぇ、

豪州から日本への輸出額は約3.2兆円で、そのうち、62.5%を石油・燃料が占めています。次いで18.5%が鉱物性製品、農林産品は8.4%です。これらを「有税」「無税」で分類すると、日本からみて豪州からの輸入品の89.8%は既に無税となっています。つまり完全なる自由貿易。有税は10.2%でそれは農林産品への関税ということになります。

一方、日本から豪州への輸出額は1.2兆円で、最も多くを占めているのが自動車の45.3%で、後は化学工業製品とか一般機械が多くなっています。しかし、自動車を含め日本からの輸出品の70.3%には関税がかけられています。無税は僅かに29.7%でしかありません。

日本は立派に開かれた国になっているのは明らかではありませんか。どこのどいつだ鎖国だとか言っている奴は?


日本は豪州から牛肉、小麦、砂糖、バターを輸入しています。豪州牛肉の一番のお得意様が日本で、小麦は3番目、砂糖は2番目、バターも2番目と、豪州にとって日本は上客なわけです。それをもっと買ってもらおうと、まあこういうわけですな。

豪州は日本からの自動車や一般機械等の輸出品に対し5%の関税をかけています。日本はそれを無税にしてもらいたいのと、鉱物資源などの安定供給、豪州はその見返りに現状牛肉の関税38.5%や、小麦の251.8%、328%の砂糖、360%のバターを0に、若しくは大幅に引き下げろと・・・。こういうことでしょうね。

TPPとは異なり、このEPAは例外も認められているようですので、その例外品目とその関税率が交渉の重要案件となるわけです。

ちなみに、日豪が交渉開始に合意した2006年に農水省が試算したところによると、仮に関税撤廃ならば小麦と砂糖は壊滅し、牛肉と乳製品は半減するらしい。


NBAにコービー・ビーン・ブライアントという選手がいます(した?)。彼のスペルはKOBE BEAN なのですが、この名前の由来、何と神戸です!うろ覚えですが、彼の父親が神戸牛を初めて食べた時、そのあまりのおいしさに感激して、息子の名前にまでその「肉」の名前をつけたらしい・・・。

息子に食べ物の名前をつけることが理解できませんが、まあそれほどのおいしさだったのでしょう。日本が誇る松坂牛も、輸出すれば売れるかも知れませんね。松坂大輔がMBAで華やかなりしころに売り出せばチャンスはあったかも知れません。あと何が売れそうですかね?

しかしながら、オバマ大統領は一般教書演説において輸出攻勢を明確に打ち出しました。それにはドル安が望ましい。ということは、おそらくこのドル安はアメリカの方針としてこのまま続いて行くのではないでしょうか。

菅総理は「座して死を待つ農業ではいけない」と言いました。おそらく農産品の積極的な海外進出も念頭にあったに違いありません。その意気やよし。しかし、円高ドル安ではただでさえ割高な日本の農産品に二重の打撃を与えることになる。そうなると、たとえ松坂牛でも、神戸牛でも、その値段の高さに外国の消費者はとても手が出せなくなる・・・。となると、農産品の輸出など夢のまた夢。


ホントにどうするんでしょう・・・。この2国間交渉さえ締結する道筋のないまま、TPPなんぞに参加できるはずがない。

今日はこれまで。




2011年2月10日木曜日

「昭和」の終り

われは明治の児なりけり。
或年大地俄かにゆらめき
火は都を燬(や)きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ

注)柳村先生=上田敏、鴎外漁史=森鴎外


これは、永井荷風の「震災」という詩の一節です。言うまでもなく関東大震災後の詩です。大正12年、1923年に起こったこの大災害は、それまでの江戸の文化、明治の文化の一切を灰燼に帰しめました。昭和改元が1926年12月24日ですので、昭和という時代は、この喪失感と一緒に幕を開けたことになります。


「昭和はその延長のうへにはじまつた。それは明治憲法体制をひきつぎながら、明治国家とその文明を創造した主体の空洞化のはじまりをもひきついだのである。」(『昭和精神史』桶谷秀昭)



1995年。平成7年。

僕は、この年はこの国が新たな時代に立っていることを万人に知らしめた年だったと考えています。

1月の阪神・淡路大震災と、3月のオウム真理教への強制捜査が、僕にそれを感じさせるからです。

日本は地震国。これはこの国に住む幼児までもが知っている。だから、この国の建造物は頑丈で、崩れないんだと・・・。それがものの見事にそうではないことを知らされました。即時救援も、その後の支援も、この国は先進国なのかという驚きと呆れを持たざるを得なかった。

オウムのサティアンへ強制捜査を敢行した警察官の出で立ちは、迷彩服を身にまとい、ガスマスクを装備したもの。まるで映画のワンシーン。これは治安の良さを世界に誇っていたこの国の姿ではないと悲しくなった。

考えてみれば、それより前にそれを感じさせる予兆は十分にあった。平成2年の湾岸戦争だ。戦後初めてこの国は、世界の国が参加した戦争という事態、それまで勝手に「ある」はずもなく、「ある」と考える事でさえ忌み嫌われた事態に直面した時の、この国の右往左往の混乱ぶり。新しい事態、時代に直面しているのに、それと真剣に向き合わなかったことの怠慢。日本を置き去りにして世界は動き始めていた。

あの二つの出来事で「昭和」は完全に終った。僕はそう考えている。そして、その喪失感はずっと引きずられたままのような気がしている。

その2年後、1997年には絶対につぶれない、つぶさないと言われていた金融機関がつぶれた。同じように言われ続けていた上場企業もバタバタとつぶれ始めた。

最早、これまでの日本の国の姿ではないのは自明の事になったはずである。なのに、あれから僕らの国は、日本人は一体何をしてきたのか。何を新しく生み出してきたのか。そこから何を学んできたのか。


僕は政治や政党の話をしているのではない。

この国のありようをきめるのは個人の生き方の集合だからだ。かつての日本はなくなった。ならば、僕らはそれとどう向き合い、何を為すべきなのか。



歴史はいつも否応なく伝統を壊す様に働く。個人はつねに否応なく伝統のほんたうの発見に近づくやうに成熟する。


 この小林秀雄の言葉は、それへの回答を含んでいるように思えてならない。

今日はこれまで。



2011年2月9日水曜日

赤旗は面白い

2月7日は北方領土の日でした。

日本政府の言う北方領土は、歯舞・色丹・択捉・国後の4島を指しています。ポツダム宣言の受託後にソ連が不法に侵略してかすめ取った日本の領土です。

しかしながら、ソ連がかすめ取った日本の領土はこの4島だけではありません、南樺太もそうです。

ただ、ここは1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって、日本は領有を放棄させられています。もともとこの地は日露戦争後のポーツマス条約によって、ロシアから獲得したところ。また、国後島以北のいわゆる千島列島もその領有を放棄させれています。


繰り返していいますが、日本政府がいう北方領土には、この南樺太や国後以北の島々は含まれていないのです。4島だけを返せと・・・。

ところが、赤旗はですねぇ次のように主張しているのですよ。

北海道の一部である歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)はもちろん、国後・択捉(えとろふ)以北を含む千島全体が日本の歴史的領土であると指摘し、千島放棄を宣言させられた1951年のサンフランシスコ条約を不動の前提にせず、歴史的事実と国際的道理に立った交渉を行うよう政府に求めました(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-08/2011020802_03_1.html

何とも頼もしい政党ですな。サンフランシスコ条約を認めていないのですから・・・。しかし、その道理はありますね。

面白い赤旗の記事でした。

今日はこれまで。





2011年2月8日火曜日

本当の民主主義って・・・

日曜日の選挙で再選された名古屋市長が、テレビのインタビューでさかんに「本当の民主主義」って言ってました。「本当の」があるということは「嘘の」それがあることになりますが、一体何のことなのでしょう。

マスコミへの露出度の高かった名古屋市長ですが、彼は市民税の10%減税と市議会議員の給与削減を公約にしてましたね、確か。どちらも大衆への迎合の匂いがプンプンと匂ってきそうですが、その真意やら、ビジョンやらがいかほどの実現可能性を持つものやらは、僕はまったくわかりません。しかも、彼は「減税日本」とかいう政党を立ちあげもいる。僕は「減税」というのは手段にしかすぎないものだと思っていましたが、そういうものを政党の名前に冠するなど、どうもその感覚を疑ってしまいます。

とはいえ、かつてこの国が選挙制度改革の熱病に懸かっていたころ、新党が乱立した平成の初めの頃ですが、「太陽党」とかいう名前の政党まであったことを考えれば、何でもありですな・・・。

ただ、ひっかかるのは彼の言う「本当の民主主義」と言う言葉です。

彼は、直接民主制こそが本当の民主主義と言っているのかしら?民主主義というのは、要するに多数決で物ごとを決めることでしょう。それはなぜかといえば、多数の意見の方がより確からしいからというある種の憶測と経験と、希望が込められているからですね。ならば「嘘」の民主主義とは一体何のことなのか?彼は単に首長と議会とのねじれをさして「嘘」と言っているに過ぎない。ならば言うべくは「主義」の問題ではなくて、制度の問題であるべきでしょうね。

政治家というのは、時に無知蒙昧な有権者を叱らなければならないとは思いますが、今の政治家はやれ「民意」だ「国民目線」だと言い募るだけですから、そんなことは到底できっこない。一方の有権者は「俺たちが選んでやった」とかいう高飛車な態度を示す・・・。もう全てがめちゃくちゃなわけですね、この国は・・・。

自宅の近所に住む自民党の市議会議員は、毎夜たすき掛けをして駅頭に立ち、ゴミ拾いをしてます。もう数年になりますね。選挙前だけのパフォーマンスかと思いきや、当選後もずっと続けてます。僕は偉いとも何とも思いません。かえって軽蔑します。政治家なら、そんな暇があるのならもっと勉強しろと言いたい。仮に駅頭に立ってゴミ拾いをするなら、名前の入ったたすきなんぞかけずにやれと・・・。


今日はこれまで。


2011年2月7日月曜日

八百長騒ぎ

大相撲が八百長騒ぎで揺れていますね。

それが八百長と呼べるかどうかは別として、僕自身は「星」のやり取りはずっと行われてきたと思っています。千秋楽に七勝七敗で臨んだり力士の取り組みは、ほとんどが白星で終る事に気がついたからです。そして、その取り組みも七勝七敗の力士同士が対戦することはまずないからです。

僕はこれは人情の範囲だろうと思います。

なんか、十両以上と以下の雲泥の差の境遇を比べて、現行のシステムが八百長の土壌を育んだとかいう意見もありますが、僕にとっては「?」でしかありません。

そんなに目くじらたてて騒がなくとも、それをもわかった上で許容すればいいと思うのですが、世の中はそうは思っていないようですね。「黒白」つけることにそんなに重要な意味があるとは僕には思えない。


清濁併存するのが、人間の世の中なのであって、「濁」をことさらに攻撃し続けたら、一体なにが「清」なのかもわからなくなる。

暗黙の了解、つまりそれが道徳的に幾分かのいかがわしさを持つものだとしても、それをあえて口に出さないということは、人間社会の中で往々にしてある事です。しかし、それを一度さらしてしまったら後戻りができない・・・。

検察庁だか、警視庁だかは、ルビコンの河を渡ってしまいましたね。

今日はこれまで。


2011年2月6日日曜日

日本的、あまりに日本的な・・・

 以前、「聖」であるべき場所に犬連れが多いということを、「聖と俗の曖昧さ」ということでここに書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

今日はまたその辺りのことを書こうと思います。

「トイレの神様」とかいう歌が売れている(た?)ようです。娘もよく口ずさんでいます。おばあちゃんが「トイレには神様がいる」と教えてくれて、一生懸命掃除するといいことがあるよ、というようなことでしたよね、この歌・・・。僕の姉も、妊娠した時に「頭のいい子が生れてくる」とか言ってトイレ掃除をよくしてました。何とも不思議な物言いですね、迷信といえば迷信ですが。


ザッケローニ監督が「日本選手には感心した」とイタリヤ紙のインタビューで答えてました。

「彼らは自分で荷物を持ち、練習後の後片付けまでする」「こんな選手はみたことがない」と。

さてさて、この2つのことは何を表しているかというと、これは聖と俗の曖昧さをそのまま表していると僕は考えます。日常における「宗教」的なものとでもいいましょうか。

仏教における実践を僕等は「修行」と言う言葉で表します。「行」を「修」めるということですね。もともと「行」は、その仏教教団における「戒律」を実践することでした。「戒律」というのは「戒=(自律的に引き受ける生活規範)」と「律=(教団を維持するための自治体系)」を表しています。日本では、インドや中国におけるその厳しさはありませんでした。

その代りに、「俗」である「日常」を重視したのです。日常に「行」を持ちこんだのです。これがいつ頃からなのかは僕には正確なことは言えません。

鈴木正三という人がいます。徳川家康・秀忠に仕えた武士です。彼は42歳の時に出家して禅の坊主になります。彼は「職分仏行説」というのを唱え、それぞれが日ごろの職分を務めあげることがそのまま行であるということを唱えたわけです。これは、日常生活において自らを律することが行であると説いたわけですね。

トイレ掃除に「そこに神様がいる」からとか、道具を自分で持ち、自ら後片付けをするプロサッカー選手の心性にも、おそらくそういうものが流れているのでしょうね。そうして、「行」じるということは自らの人格とか、精神性を高めるということにその目的があることを、僕等は言葉にせずとも理解している・・・、そんな気がします。

これは日本人以外にはまったく理解できないことだと思います。簡単に迷信といって捨ててはいけない日本人の宗教観、聖と俗の曖昧な境界をよく表していると思います。

日本で職人というのが尊ばれるのも、その一因にはこのようなことがあると思います。


今日はこれまで。

2011年2月5日土曜日

とりとめのないことを・・・

この間、Googleの地図で昔暮していたイギリスの家を見た。20年以上前と同じ佇まいを見せていて、懐かしさに胸が痛くなった。

全く英語が話せないまま一人で渡り、最初に滞在したのはロンドン。大英博物館の近くのB&Bだった。考えてみたら、僕はスーツケースも持たず、やや大きいボストンバッグ一つで渡ったのだ。中には「地球の歩き方」と夏目漱石の「倫敦塔」が入っていた。

ロンドンの冬は暗い。

朝も8時くらいまでは薄暗かったように記憶している。町に物乞いが多いのに驚いた。言葉もよくわからない時、頼みの綱はマクドナルドだった。メニューが同じだったから安心できた。

そのうち、インド料理、中華料理、イタリヤ料理とローテーションで通うようになり、イタリヤ料理店で働いている女の子とも二言三言会話するようになった。そこで毎回食べていた「キャラメルプディング」の美味しさは忘れらない。中華料理店の店員は無愛想だった。インド料理店の人は優しかった。

最初の頃はお店で買い物をしても、いくらと言われるのすら聞き取れず、いつも大きなお金を出していたので、ポケットにはそのおつりだらけでジャラジャラと重かった。

半年ほど通っていた英語の学校は、当時から日本人が数名いた。その当時仲良くなった日本人女性とは、今でもたまに飲んだりする・・・。自分のことはさておき、彼女らも「おばさん」になっていてちょっとびっくりする。

あの頃、僕は何を考えていたのか全く思いだせないのが不思議だ。ただ覚えているのは日常の生活風景のみ・・・。おそらく何も考えていなかったのだろうと思う。そんな事が可能だったということは、今から思えば天国だ。


その後、新婚旅行で行ったスペインで、女房と大げんかをした。旅は一人に限るとその時思った。

とりとめのないことを・・・今日はこれまで。






2011年2月4日金曜日

立春

今日は立春です。既に近所の梅は、痛いような透き通る空にまぶしい白さを輝かせています。依然として厳しい寒さですが、春を先取りするかのように咲く梅は、桜とは違ってまたよい趣があります。

旧暦の2月4日は今の3月10日前後ですので、旧暦の頃はまさしく暦通りに春を感じたのでしょうね。今の立春とはその思いが異なります。

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

西行の歌です。この如月も旧暦ですので、3月もしくは4月のことだというのは頭では理解しているのですが、どうも今の2月に「花」と詠い、「春」と詠われてもどうもピンときません。ここでいう「花」は、桜のことですが、彼はその通り桜の花の満開の頃に死んでいるのです。

まことに見事。一切生に執着しないところもまた素晴らしい。西行は歌詠みの修行僧。そんなイメージがあります。

今日はこれまで。

2011年2月3日木曜日

珈琲の話

珈琲豆が急騰して値上がりしてますね。わが家では1年前までは、中挽き状態の豆を購入してました。銘柄は「小川珈琲」。旨い珈琲だと思います。ですが、ちょうど1年ほど前から、豆のまま購入していれる時にその都度挽くように変えました。味はやはり格段に変わります。それを機会に買ったのが左のもの。これは、珈琲のおちるのがステンレスポットになっているので、耐熱ガラスのポットと違い、時間をおいても煮詰まることがありません。保温力もなかなかのものです。なにより、ポットを落として割る事がなくなった。

急騰の原因は、中国やインドなどでの需要増だとか・・・。経済の発展は、どんな国であれ暮らしぶりまでやはり変えるモノですね。経済の発展は西欧化と同義語ですね、ある意味では。まさか、インドまでそうなるとはなぁ・・・。

昔一人旅をしたギリシャで飲んだ珈琲は、エスプレッソカップに入った非常に濃いものでした。粉がドロドロ底に沈んでいるのです。普通の珈琲を飲むには「ネスカフェ」と言わねばなりません。変わった経験でした。

昔のマクドナルドの珈琲は不味くて飲めませんでしたね・・・そういえば。高校生の頃通ってた喫茶店(死語ですな、これ)では、珈琲を頼むと、作り置きしてある珈琲を鍋に入れて温めて出してたな。今から考えれば、よくあんなの飲んでたと思うわ。それにマスターもよくそんなの客に出してたと思う。高校卒業してからも、何度か飲みにも連れて行ってもらったけど、もう20年以上会ってない。元気かなぁ。

今日はこれまで。

2011年2月2日水曜日

小沢一郎を巡る騒動

久々に政治にからめた話を・・・。

小沢一郎が強制起訴されて、刑事被告人となりました。前に同氏を巡る騒動を「まるで魔女狩りだ」とここでも書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

強制起訴というのは、昨年からの規定路線だったのですよね。それがいよいよということだと思いますが、僕はどうもわからない。あの「捏造」もする検察が、2度も起訴可能かどうか調べて、2度ともそれが不可能(つまりは不起訴)だと認めざるを得なかったことに対し、検察審査会なるものの要請によって強制起訴したからといって、有罪にできる確証などないでしょう。かなりの確率で「無罪」になるのではないでしょうか。そうなったら、国民は納得するのかな?まずしないでしょうね。なぜなら、皆彼の有罪を信じているというか、願っているからです。僕自身、彼がその資金の記載について一切知らぬ間に秘書が勝手にやった等ということは信じていません。その通りだと信じることが不自然ですからね。ただし、それを「嘘」だとするためには、それを暴く「確証」がいるわけで、その確証がないから2度も不起訴になった・・・。

僕には、鬱憤晴らしとしか思えない。権力者として裏で悪いことをしているに違いない小沢一郎を、とにかく「やっつけてほしい」と、その鬱憤を晴らそうとしているのだと思います。そして新聞やテレビはその極めて低俗な感情を煽りたてている。そんなものは「低俗」ですよ。確かに、鬱憤を晴らすという感情が「法」の裏にはあるのでしょう。しかし、確証がなければそれは「法」の俎上に載らないのですよ。

また厄介なことにですねぇ、この国の法感覚とは西欧とは異なっており、「法」はあくまでも「法」であって、そこに「正義」があるとは考えないということがあります。じゃあ、どこに「正義」があるのかというと、「世間」なのですよ。この国では法に叛くより、「世間」に叛くことの方が大問題なのですね。だから、仮に小沢一郎が有罪になったとしても、彼の「世間」ではおそらく永遠に「無罪」。というより、「たかだか法律違反」という認識だと思います。

繰り返して言います。小沢一郎が無罪となってもこの国の世論は、決して彼を許しませんね。なぜなら、道徳的に彼を責め立てているからです。そして、道義的な責任をとれと!

そう責め立てる人はさぞかし立派な、道徳的に優れた人間ばかりなのでしょうね・・・。

今日はこれまで。





2011年2月1日火曜日

僕と福沢諭吉

福沢諭吉の話です。

薩長と幕府の彰義隊が戦っていることに、塾生がそわそわとしている時、福沢諭吉は

「学問せよ!」

と塾生の動揺を沈めました。その話を20歳ごろに読み、「そんなことが出来るか!」と血気盛んな僕は福沢に反撥心を憶えました。しかも、「痩せ我慢の説」において僕の好きな勝海舟を批判したことを知るに及んでは、福沢は僕の好きではない人物になりました。それ以来、僕は福沢の本は読まなくなりました。「読まず嫌い」ですね。

ところが年を経て、維新の流れに立ち向かった勢力(会津にしろ、長岡にしろ、新撰組にしろ)の存在こそが、日本史を救ったと思えるようになってからは、福沢が勝海舟や榎本武揚を批判した「痩せても枯れても徳川武士ではないか」という批判が、至極真っ当なものとして感じられるようになったのです。

最近相知るに至り、その驚嘆すべき深き学識を尊敬する青年は、福沢諭吉を非常に高く評価し、事あるごとに、福沢の一節を引用して僕の蒙を啓いてくれます。

その影響もあって、最近は寝る前に「学問のすすめ」をよく読んでいます。福沢といえば同書がすぐに浮かぶほどの有名な書ですが、名前を知るのみで読んだことのある人はそうは多くないと思います。

有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる同書ですが、このポイントは「天」という言葉にあると思います。福沢は巷間「個」の重要性、「私」の独立を主張したと言われていますが、その「個」なり「私」は、「天」というものがあってのそれなのです。つまりは西欧の言う「個」では全くない。福沢は「門閥制度は親の仇」と言いましたが、彼が仇としたのは、封建主義の硬直した制度であって、それを支えた封建道徳、その背景にあった儒教道徳を仇としたわけではないのです。だから、旧幕臣でありながら、明治政府により栄達した勝と榎本を批判したわけです。


さて、今日は「学問のすすめ」の初編から、一節をご紹介しましょう。

人誰か苛政を好みて良政を悪(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。


 つい最近の尖閣諸島の騒ぎの時、澎湃として湧き起こった政府批判の声を思いだして下さい。これは「人たる者の常の情なり」だというのです。

今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。


続くこの文章は、太平の世になって「生き死に」が切迫しているわけではない当時の世の中を指しています。そうして次のように続けるのです。


ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易く、庶民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。


 簡単にいえば、人を批判する前にまずは自分自身を顧るべしということでしょう。先ずは「修身」だということでしょう。そしてそのための学問なのです。彼の言うのは「一身独立して一国独立す」ですからね。国の独立のために一身の独立があったわけです。至言ですな。

今日はこれまで。

2011年1月31日月曜日

祝アジアカップ優勝

いやあ、ハラハラしっぱなしの試合展開でしたが、勝てて良かった!

W-CUPから半年後に再び日本中を沸かしてくれるとはねぇ。

しかし、日本代表はこんなチームでしたか?W-CUPの時よりも進化してますね、確実に。やはり新監督の力なのか。特に決勝戦の後半から、長友を上にあげて攻撃的な高いポジションをとらせますが、あれで長友の切れ込みが一段と鋭くなって、結果的にゴールを生んだわけでしょう。見事な采配ですね、脱帽しました。

また、決勝ゴールを決めた李も、僕は全く知らない選手でしたが、これまでの日本代表の選手ならあそこはかなりの確率でふかしてたと思うのですが、よくぞ決めてくれましたよ。素晴らしかった。

本当に良いチームになったと思います。

「個々の技術では世界に負けるから、日本は組織力で戦わなければならない」

とは、日本代表について回る言葉ですが、今回も「チームの団結力」とか、「ベンチとの一体感」とか盛んに言われてます。北清事変の際の籠城指揮官柴五郎大佐や、彼を支えた数少ない日本軍、そして多くの義勇兵の姿は、「全く日本人の組織作りというのはすばらしい」と英国の青年をして感嘆せしめたのですから、これもある種の国民性といえるのでしょうね。

今日はこれまで。


2011年1月30日日曜日

正義の話をしよう その2

仏像の鑑賞が若い女性の間でブームだとか・・・。ちょっと前の話ですがね。

本尊を守るように配置された仏像がありますね。彼らは皆武器を持っているのをご存知ですか。そして足元は天邪鬼を踏みつけているのです。つまり、仏法を守るためには力の行使をも辞さない姿勢と、その姿を表しているわけです。例えば四天王というのがそうですね。持国天、増長天、広目天、多聞天です。あと、十二神将とか・・・。

東大寺南大門の金剛力士像の憤怒の表情を思いだして下さい。あれは仏敵が入り込むことを阻止しています。

僧が持つ法具も、もともとは武器でした。

「破邪顕正」の為には力が必要だという自明の事が、どうもこの国では通用しないような気がします。警官の発砲が新聞記事になるなど、世界広しといえどもこの国にしかないのではないでしょうか?戦後がもたらした「ヒューマニズム礼讃」の原理主義国家、それがこの国のような気がします。

今日はこれまで。

2011年1月29日土曜日

わが胸の燃ゆる思いに

霧島山新燃岳の噴煙の映像はすごいですね。

タイトルは、維新の志士平野国臣の詠んだもの。

「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山」

彼は福岡藩士だったと思いますが、薩摩の西郷らと親交がありました。薩摩を訪れたさいに詠んだものでしょう。噴煙よりも濃い「思い」というのは、一体どれほどのものだったのでしょうか・・・。

火山といえば、子どもの頃習った3つの分類があります。活火山、休火山、死火山。ところが、今はその分類ではないのだそうです。活火山の一つのみで、その活動度合いによってA~C、及び対象外の4種類なのです。Aというのは桜島や浅間山などの、頻繁に噴火活動をするものです。休火山として習った富士山はBランクに位置付けられています。

日本の活火山は全国で108あり、Aランクは13、BとCが36、対象外(データや記録が不足しているもの)は23だそうです。

まさしく火山列島ですね。ちなみに関東地方には19の活火山があります。

今日はこれまで。

2011年1月28日金曜日

正義の話をしよう

 検索ワードを意識したようなタイトルですが、昨日書いた「ヒーローものの主題歌」で述べた「正義の味方」ということについてです。

僕は昔のそれには「『型』があった」と書きました。正義の味方というのは、よく考えると不思議な言葉で、「正義」そのものではなく、その「味方」というのですから、つまり「正義」というのは外部に、厳としてあることを表します。「ない」ものの味方などできませんからね。

「正義」といえば、「これからの正義の話をしよう」でも取り上げられているジョン・ロールズですが、ここでいうそれは、「社会正義」とか「社会的公正」という意味ですので、ヒーローものの体現する「正義」とは異なりますね。ヒーローの正義とは「勧善懲悪」「破邪顕正」、その行動を意味します。これはアメリカの「スーパーマン」や「スパイダーマン」でも同じですね。

そう、今の時代のヒーローにはその四字熟語が欠けているような気がする。確かに「悪」を「懲」らしめるのだが、それを昇華させてこの世の理想を追い求めるような、そういう求道的(?)なもの「勧善」や「顕正」がないのだ。僕にはそう感じられる。だから、変身して悪をやっつけても、人間に戻ると普通の青年になったりして、「正義の味方」らしくないのだ。

おそらく「正義」というのが相対的になり、人の数だけその定義があるような風潮では、それは「ない」も同然で、したがってその「味方」などできようもない・・・。そんなところかな。

今日はこれまで



2011年1月27日木曜日

「ヒーロー」ものの主題歌

僕の世代にとって、「仮面ライダー」というのは絶対的なヒーローだった。

仮面ライダーは僕が2年生の頃に始まった。それからおそらく4年生くらいまではかかさず観ていたと思う。

そういう正義のヒーローが、地球やら世界の平和を守るために悪の組織と闘うストーリーは、間違いなく小学校時代に夢中だった。

今の子供たちは、それを小学校入学前に卒業するらしい。娘をみているとそうだし、娘の友達もそのようだ。僕なんか3年生の頃の写真をみると、「変身」ポーズをとっているのが多いが、今の小学生でそんなことをしている子はほとんどいないのではないか。つまり、昔は変身ベルトは小学生のものだったが、今は幼稚園児のものだということ。


昔は、「正義の味方」という「型」があった。その主題歌にもそのエッセンスが流れていたように思う。

「赤い太陽 それより赤い 胸に正義の血潮が燃える」

これは「紅三四郎」という漫画の主題歌だが、今でもこの歌を聴くと何かしら心が疼く。「正義の血潮」という歌詞にだ。仮面ライダーもショッカーと戦うのは「世界の平和を守るため」だと主題歌にある。

正義のヒーローとは異なるが、いわゆるスポ根ものの代表である「巨人の星」。その主題歌の歌詞は「思いこんだら試練の道を ゆくが男のど根性」。今流行りのタイガーマスクにいたっては「ルール無用の悪党に 正義のパンチをぶちかませ」だの「フェアープレイで切り抜けて 男の根性見せてやれ」だのだ。僕なんか「いい歌詞」だなあと今でも思う。ちなみに娘には幼稚園の頃にその歌を教えた。


今のヒーローものの歌には「正義」などという言葉は一切出てこない。なんか「正義の味方」でもないのだ。今の仮面ライダーは仮面ライダーオーズというのだが、その主題歌は大黒摩季が歌っている。とても正義の味方を讃えたり、鼓舞したりしている歌ではない。普通の歌である。そういえば、篠原涼子が歌った「いとしさとせつなさと心強さと」は、ゲーム「ストリートファイター」の為に作られた歌らしいが、あのような格闘ゲームの歌ならば、昔ならば必ず「根性」という歌詞が入ったはずである。

一体、いつからこのような歌に変わってしまったのかを仮面ライダーを例にさくっと調べてみた。

昭和の終りの仮面ライダーブラックの歌は、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲というもので、その中には「時を超えろ 空を駆けろ この星のため」とか「君はみたか 愛が真っ赤に燃えるのを」とかが入っていて、変身する主人公も「正義の味方」らしかった。

次いで昭和最後となる「仮面ライダーブラックRX」の主題歌も「光のオーロラ身にまとい 君は戦うひとになれ 傷つくことを恐れたら 地球は悪の手に沈む」と始まり、最後は「Wake Up Theヒーロー 太陽よ 愛に勇気を与えてくれ」となって「仮面ライダー」の連呼で終る、

歌詞が変わりつつはあっても、まだ「正義」とか「勇気」とかが讃えられている。これは正義の味方の歌である。

その後仮面ライダーは10年間ほど休止し、2000年に復活する。仮面ライダークウガとなって。そしてこの歌になると、かつての「正義の味方」の歌ではなくなるのだ。続く仮面ライダーアギトも同様で、完全に普通の歌となり、正義だの平和だのは一切出てこなくなる・・・。

とまあ、こういう次第です。子供対象の正義のヒーローものからも「正義」が消え、「正義の味方」という型も消えたことになります。

これは、間違いなく時代の空気を表していますね。よ~く調べたら面白いと思うな。

今日はこれまで。


2011年1月26日水曜日

100万通に3通

お年玉付年賀はがき。

今年は何と2等賞があたりました!その確率はタイトル通り100万通に3通しかないものだそうです。素晴らしい。とはいえ、商品はしけてます・・・。

1等のテレビが当たるはずだったのですが、残念です。

そういえば、よく宝くじ売り場で「この売り場から1等がでました!」という張り紙をよく見る。なんでも高額当選の出やすい売り場というのがあるらしいのだが、それは本当か?ただ単に売れた枚数が多いだけのことではないのかな・・・。どうも意味がわからん。

宝くじはめったに買わないが、10年くらい前に5万円当選したことがある。それくらいだな、当選して喜んだのは。

アインシュタインは「神はサイコロをふらない」といった。量子的宇宙論の偶然が支配するということへの反論だった。でも、おそらく今はアインシュタインのそれは間違いらしいということが確かめられていると思ったが、僕のその記憶は確かではない。

今日はこれまで。

2011年1月25日火曜日

TPPについて4回目

前にも書きましたが、このトップ頁には週単位のアクセス数トップ3が並びます。ここのところ、「再び食糧安全保障 TPPを巡る日常」が上位にランクインされていて、間違ったことが書いてあるので非常に恥ずかしいのですが、そのままにしてあります。

そこで、僕は日本は「貿易立国である以上」云々という文章を書きました。これは食糧を含めた原材料の輸入が無ければ生きていけないということを表現したまでです。そうしてその背景には、海上交通路の安全を担保しうる海上兵力の保持と、そこに関係する地域の平和の実現に対して積極的に関与すべきであるという僕の考えがあります。


TPPについては、わが家の購読する日経も読売もみな「賛成派」になっている。「反対派は未来に目を向けなければならない」と。どうも新聞はミスリードしてるような気がしてならない。ならば農業関係者らの反対派は、未来に目を向けず、既得権益を守ることに汲々としているような守旧派のイメージとなる。これは正しい見方なのだろうか?

思えば僕等の明治の父祖たちは「関税自主権」を獲得するために、つまりは国の真の独立を勝ち取るために非情な苦労をしてきた。今その不肖の子孫たちがこぞってそれを開け渡そうとしている。何と歴史の不思議なことよ。

世界の食糧価格は高騰を続け、統計を開始してからの20年間で最も高い数値を記録しています。ロシアの干ばつによる小麦の輸出禁止措置を思い起こしてください。食糧供給は天候を相手にせざるを得ない以上、非常に不安定なものです。一方の需要の方は、世界人口は急速な伸びで拡大する一方です。食うや食わずの国が、一斉に普通に「食える」国となったら、需給バランスは崩れる事必定のことのように思います。そうしたら、「野菜は安い国から買えばいい」なんて言っていられなくなる。

と、これは「赤旗」の記事(1月19日 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-19/2011011901_02_1.html)の要約です。僕にはこれが間違った意見だとは思えない。

しかも、本日(25日)の日経1面にも、国連食糧農業機関の事務局長が「世界は新たな食糧危機に近づいている」と警鐘をならしたと出ている。とはいえ、この記事は、「補助金や関税障壁による先進国の自国農業保護策が『需要と供給の不均衡を増幅している』とも批判」と、その事務局長の言葉を紹介しているが・・・。

疑り深く言えば、日経は自身の論調の正しさ(TPP賛成)を、この事務局長の口によって言わせたただけで、もしかしたら発言のつまみ食いをしているのかも知れないとまで思ってしまう。本当にこの人の云う通り、先進国がその不均衡を増幅させているのか?仮にそうだとしたら、まず責められるべきはEU諸国であって日本ではない。EUは、域外との自由化についてはどのようなスタンスなのだろうか?もしも、挙げてそれに関与するようであるならば、まさしく日本を含め世界全体は「開国」しなければならなくなるが・・・。

TPPは安易に賛成だとか言っている場合ではないと思うんだけど、天下の大新聞はそうは思っていないことが不思議である。

これまでの経験から、大多数の意見の方が間違っていることの方が多いような気がするのは僕だけかな。かつての政治改革騒ぎでも、改革派は正しくてイメージ操作された守旧派は間違っているというムードの結果、「自民党はだめ、ここは民主党に一度政権とらせよう」というムードの結果・・・。それをもう一度考えてみたらいい。

変化だとか、改革という言葉に騙されてはいけない。

それによって失うものは明確だが、得られるものは不確かなのである。そんな「賭け」の果てがどれほどの惨禍をもたらすかは、大日本帝国の滅びによって身にしみてわかっているはずではないか。


今日はこれまで

2011年1月24日月曜日

エコノミストではない人の経済の本

小室直樹という人をご存じだろうか。

「誰?」という人に即答すべき回答に苦労するのだが、超一級の頭脳、アカデミズムの中でも比肩しうるものないずば抜けた頭脳を持った評論家、というのが僕のイメージ。

昭和7年生れで昨年(平成22年9月)に亡くなられた。京都大学で数学を学んだことを皮きりに、その後理論経済学、計量経済学を学び、MIT、ハーバードで世界的な経済学者から指導を受け、その学問領域は、広く社会科学一般に及ぶものであった。彼はまさしく「天才」と呼ぶにふさわしいと僕は思う。そのせいかどうか、彼は一般人が「眼を細める」ようなことも平気で書く(だけではなく、テレビ出演しても言ったらしく、それがもとで以後のテレビ出演はなくなったらしい)。例えば、「田中角栄を有罪にした裁判官、検察官は死ね」とか、「政治家は賄賂をもらってもいい」とか・・・。彼の理屈ではそれが正しいのだが、それをズケズケと言うのだ。

彼の経歴についてはWikiに詳しい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9


本棚にある彼の著作「日本経済破局の論理」。平成4年に出された本であるが、当時の流行語「複合不況」にあえぐ日本経済を理解するためのもの。彼の文体は独特である。漢籍からの言葉が多くちりばめられており、その該博な知識にも目を見張るものがある。とはいえ、あまりにも話ポンポンと飛び過ぎて、結局何をいいたいのかわからないという箇所にも出くわしてしまう。

この本では「GNPがわかれば経済がわかる」となっていて、当時はGDPではなくGNPが使われている。一体、いつからGNPがGDPに変わられたのだろう・・・。

この本の中にこんなフレーズが書いてある。

「日本の職業的経済学者が、いかにグータラで無能か。『日本の代表的エコノミスは誰ですか』。巷の人に聞いてみるとよい。長谷川慶太郎、大前研一、唐津一、牧野昇。多数の人の口に出てくるこの四人。一人として経済学部出身者はいない。みなエンジニアである。」


 これが書かれた約20年前を知る人は、まさにこの通りだと思うだろう。そしてそれは今でも変わっていないかもしれない。

彼は、極めて明快にこう言い切る「GNP=消費+投資」なのだから、消費が落ち込んだ時は投資を増やすしかない。消費が落ち込んだ時に投資を増やすことができるのは「政府」しかない。第一次大戦後のドイツが僅か数年でハイパーインフレを退治したのみならず、世界と戦争できるだけの軍備を持てたのはなぜか。それはケインズを知らなかったヒトラーが、ケインズの唱えたことと同じことをやってのけたからだ。そしてそれに国民が目がくらんだ、そしてナチスの独裁が生れた・・・。


さて、今日はこの本を紹介するのが本意ではなく、エコノミストではない人の経済の本をご紹介すること。「恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることできるのか」。



著者は中野剛志という42歳の人。この本が出た2009年には経産省の官僚でした(今は京都大学の先生かな)。東大で国際関係論を専攻し、その後エジンバラ大学大学院で政治思想史を学び、そこで社会科学の博士号を取得するという人物。 

彼は立てつづけに本を出していますが、そのほとんどがアマゾンでは在庫切れ状態です。ちなみに僕は図書館で彼の全著作を借りようと思いましたが、ほとんどが予約待ち状態です。

新聞の書評で取り上げられたのかな・・・。僕は知らなかった。

彼は、ここで経済思想を語っています。思想とはいえ、彼は「ヴィジョン」というシュンペーターという経済学者(不断のイノベーションこそが経済を発展させると説いた人)が好んだ言葉を使って、同書を書き始めます。

シュンペーターの言う「ヴィジョン」とは、科学的な理論や分析の暗黙の前提となっている先入観のことである。


ヴィジョンとは、知識の前提となる「前知識」であり、分析の前提である「前分析」である。科学者は、あらかじめヴィジョンをもっていなければ、観察することも分析することもできない。科学がヴィジョンの基礎になるのではなく、その反対に、ヴィジョンが科学の基礎になるのである。


ある種のヴィジョンあるいは思想に従う人々の行動様式の総体が、経済制度や経済現象を形作る。そう考えるのならば、経済システムとは、その根底に、何らかの世界観や思想があるとわかる。確かに「資本主義」といい「社会主義」といい、それはある特定の経済システムのことを指す言葉であると同時に、「資本『主義』」あるいは「社会『主義』」という、ある特定の主義主張や価値観のことでもある。
 二○○八年九月に勃発した金融危機以降、一般に「金融資本主義が破綻した」と言われている。その意味するところは、「金融資本主義」という経済システムが壊滅したのと同時に、それを支える「金融資本『主義』」という思想あるいはヴィジョンが崩壊したということだと言ってよい。
 要するに、現在、世界が直面しているのは、経済の問題であると同時に、思想の問題でもあるということだ。金融資本「主義」に代わる「主義」が問われているということだ。本書は、この「主義」すなわち「ヴィジョン」をめぐるものである。



著者は、80年代のバブル経済以降の日本の状況を、以下のように注記で述べています。

80年代のバブル経済は、アメリカの内需拡大要求などにより、好景気時にかかわらず積極財政や低金利政策を実施したことによる。いわば「インフレ時のデフレ退治」の結果であった。要するに、平成不況とは、80年代後半のマクロ経済政策のミスが引き起こしたものなのである。しかし、構造改革論は、平成不況の原因を、マクロ経済政策のミスではなく、日本の産業構造や社会システム、ひいては国民性にまで帰し、その変革を訴えるものであった。かくも貧困なヴィジョンの錯誤が、10年以上に圧倒的な支持を受けたというのは、恐るべき事態としか言いようがない。

まさしく、この通りでしょう。この頃からですよ、これまで日本的企業の美質とされていた「終身雇用」や「年功序列賃金」が叩かれはじめ、やれ「実力主義」だ、「評価制度」だとアメリカ企業のまねをしだしたのは。

著者は、崩壊した「金融資本主義」に代わる新たなモデルを構築するよすがとして、20世紀初頭の時点で、その崩壊を見通していた5人の経済学者の思想を紹介するのです。その五人とは
ハイマン・ミンスキー、ソースタイン・ヴェブレン、ルドルフ・ヒルファーディング、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョセフ・アロイス・シュンペーターです。

ここで取り上げられた5人は、必ずしもその経済思想は一致していません。しかし、「資本主義というものは本質的に不安定である」という点のみを共有していたといいます。

そして、いずれも、資本主義の不安定性を封じ込めるためには、長期的に持続する取引関係、組織、制度そして政府の積極的な役割が必要であると考えた。彼らは、立場や見解を異にしながら、資本主義の危機という同じ問題と格闘し、ほぼ同じ結論に達していたのである。

この5人が、いかなるヴィジョンを語っていたのかは、同書をお読みください。僕自身にとってみれば、この本は非常に面白かったというのが感想です。

そういえば、以前ここで紹介した「競争の作法」という本も、昨日の日経に「重版完了」と広告が出てました。売れているようですよ。日本の経営者はそれを読んで反省するといい。

今日はこれまで。



2011年1月23日日曜日

この人らを見よ!

米倉経団連会長のTPPを巡る「アホ」な発言に憤慨してましたら、またもう一つ「?」な発言を知ってしまいました。

法人税減税の話です。

要するに、彼は経済界を代表して企業活力を取り戻すために、国内の法人税の減税をしろと要望したわけですね。日本の法人税は海外に比べて高すぎると・・・。

背景は知りません。ただ、米倉会長は記者に囲まれた時にその持論を一席ぶって、記者にこう質問されたらしいのです。


「減税で企業活力が戻って、雇用はどのくらい増えますか?」

米倉会長答えて曰く

「資本主義社会なのだから、そんなことはわからない(答えられない)」

これが事実とすれば、この人はホントに「アホ」ですね。彼の言う「資本主義社会」とは、何を意味してのものかわかりませんが、そもそも「日本経済団体連合会」というのは、その「資本主義社会」に必要なものか?圧力団体でしょうが・・・ある種の。企業を代表して政府に陳情するというのは、彼のいう「資本主義社会」にあっていいのか・・・。

仮にも「公徳」というものに思いを致す人間ならば、「数字は言えないが、雇用を増やすよう努力する」とかなんとか、言うべきではなかったか?「資本主義社会」云々は関係ないだろう。記者を労働団体か何かと勘違いしたのかな。それにても、大方の人が企業の法人減税について興味があるのは、それによって雇用が守られたり、増えたりということを考えるからでしょう。企業の利益などにはステークホルダー以外はほとんど関心がない・・・。その件の新聞記者は、それを代弁して質問したのだと思うのですがね・・・。

この会長、老人は老人ですが、1937年生れといいますから、昭和12年生れですね。戦後教育を受けた人間ですので、そういう発想がないのかな・・・。ここに挙げた明治生れの経済人の爪の垢でも煎じて飲んだらよい。もう、まるで比較になりませんわ・・・。老人が老人で尊敬受けたのは、戦中派世代までかも知れませんね。もうほとんどこの国からは姿を消しました。

政治家だけがアホかと思ってたら、経済人にもこんなアホがいたとは驚きました。

日本企業の凋落の原因は、まちがいなくその経営者にあります。ここでも韓国のサムスンと日本の家電メーカーの利益の話をしましたが、一体日本家電メーカーの経営者は何をしていたのか。

18日火曜日の日経に、「時価総額世界の上位1000社」の記事がでてました。あらためて驚愕し、かつ悲しくなりました。

ソニーの時価総額は2.9兆円、純利益は637億円で、時価総額で世界で225位です。一方、サムスンの時価総額は9.9兆円で世界で37位、純利益は5,896億円ですよ!まったく比較になりません。何と云うことなのでしょう。

まあ、このことまで「競争の土台が同じではない」などと責任を外部に押しつける人はいないと思いますが、どうも「法人税減税」云々をいう人は、その心底に業績の悪化を他人のせいにしているような、そんな心性があるように思えてしまいます。

冒頭に挙げた本、その個々の代表的なエピソードを取り上げただけだとは思いますが、実に魅力的な人間が多いことに驚きます。今の経済界を代表する人で匹敵する人はいないのではないでしょうか?前にも書きましたね、日本の高度経済成長をけん引した企業の経営者は、ほとんどが創業者ではないか?と。これは不確実なことですが、ただ確かなことは、その名経営者のほとんどが明治生まれで、この国が大日本帝国だった時代にその人格形成を終えた人だということ。これだけは確かなことではないでしょうか。

そうであるとするなら、かつてあって、今は亡くしたものを真剣に考えるべき時ではないでしょうか。

今日はこれまで。



2011年1月22日土曜日

江戸の習俗(混浴)

江戸時代までの日本の風俗として、男女混浴であったことをご存じの方も多いと思います。これは事実で、多くの外国人がその驚きを書き記しています。

以前紹介した「逝きし世の面影」は、外国人の目から見たこの風俗を紹介しています。

それによると、日本での入浴が男女混浴であるということは、外国人同士の間ではかなり有名な好奇の(男からして当たり前)事象で、公衆浴場の場所がどこそこにあるという情報が伝わっていたらしい。

この風俗を目の当たりにしたある外国人の感想はというと、当初は皆驚きかつ当惑するのです。驚くのは、日本は自ら(西洋)と同じような文明を持った国であるのに、その風俗だけは未開の国のようなふるまいであるからです。これが、彼らからみて日本も未開の国であったら、何等驚く事はないでしょう。それが、日常のそれ以外のふるまい、礼儀正しさ等からはとても想像のつかない「野蛮」なことと感じられたからです。特に宣教師からみたそれは「日本ほどみだらな国はない」とまで憤激にも似た感情を日記に書かしめるほどです。

「老いも若きも男も女も、慎しみとか、道徳的に許されぬことだというはっきりした分別をそなえている様子をまるで示さず、恥もなくいっしょに混じりあって入浴している。人前で見境もなく入浴するこうした慣習を、原始的習慣の無邪気な素朴さとみなし、国によって道徳的によいことと悪いことには非情な差異があると説くことによって、弁護しようとする人がいる。こういった寛大な理屈に対する明白な答えは、日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ」


ピューリタン的な倫理観とは相容れない風俗だとは思いますが、この傲慢な言い方はどうでしょう。かといえば、ハリスのように

「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる

と、正直に戸惑いを記す人もいます。一方、次の様にそれを弁護する人もいます。

「風俗の退廃と羞恥心の欠如との間には大きな違いがある。子供は恥を知らない。だからといて恥知らずではない。羞恥心とはルソーが正当に言っているように『社会制度』なのである。・・・各々の人種はその道徳教育において、そしてその習慣において、自分達の礼儀に適っている、あるいはそうではないと思われることで、基準を作ってきているのである。率直に言って、自分の祖国において、自分がその中で育てられた社会的約束を何一つ犯していない個人を、恥知らず者呼ばわりすべきではなかろう。この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集るどんな年齢の男女も、恥ずかしい行為をしているとはいまだ思ったことがないのである。」


 僕らの文化的コードが完全に変わっていまった過程に興味が出てきました。

今日はこれまで。

2011年1月21日金曜日

またまた「アバター」の話

 再び「アバター」の話を・・・。

娘を車に乗せて2人だけの時、突然娘がこういい出しました。

「大人になったら、アバターに出て来たカッコイイお姉ちゃんみたいになりたい」

「?」

僕は、ナビ族のヒロインかと思い、びっくりしました。

ところが、よく聞いてみると、映画に出てくる海兵隊の女性パイロットで、ナビ族の味方をして海兵隊を敵に回して戦う女性なのです。撃墜されて死んでしまうのですがね・・・。

その女性兵士ををカッコイイというとは・・・。

僕は不思議な感慨にうたれました。まだサンタクロースを信じている子が、その兵士の行動に何ほどの思いを感じたのかわかりません。ただ、ただ僕は驚きました。

その理由を尋ねようと思いましたがやめました。

「ナビ族を助けたから」

という単純な理由だとは思いますが、その彼女の結末をも受け入れてそう言ったのならば、もう父親としての役目は終えたも同然ですね・・・僕はそう思いました。

今日はこれまで。

2011年1月20日木曜日

心は即ち理なり

本来ならば、昨日書こうと思ったこと。主観・客観の話の続きです。


「陽明学」というのは大方の人が知らない言葉でしょうね。学校の教科書にはおそらく出てこない・・・。
これは、中国明代の王陽明という人の唱えた学問体系です。それまでの正統、官学であった「朱子学」へのアンチテーゼとして生れた学問体系です。

朱子学といい、陽明学といい、その根本は「人は如何にしたら聖人となり得るか」ということに尽きると思います。ここでいう「聖人」というのは人格的に立派な人くらいに考えてもいいと思います。それぞれの身分によって、例えば国王がそれを修める必要があるのは立派な君子になるためであり、仁政を布くためというように、学問というのは身分差に拘らず、「聖人」になるための方法論ということです。

さて、陽明学の有名な言葉に「山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し」というのがありますが、陽明学とは自らの心の主体性に重きをおき、認識と行動の一致を求めます。人は生まれながらにして善なるものを持っており(天理)、それが行動に移せないのは、私欲がそれを邪魔するからだという見方をとるのです。したがって、「天理を存して人欲を去る」という心構えを通じて、認識と行動の一致を求めます。これが「知行合一(ちこうごういつ)」といわれるものです。即ち「知ったからには行わなければならぬ」という、行動を促すためのものと言っていいでしょう。なぜなら、それが人の心に備わってる善の心=天理の発露に他ならないからです。

日本では、17世紀の中江藤樹、熊沢番山が陽明学者として名高く、教科書で習うはずの「大塩平八郎の乱」の大塩平八郎は陽明学徒でありましたし、佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛、河井継之助もその学徒でした。松陰がアメリカ密航に失敗して捕えられた時に詠んだとされる「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」という句などは、陽明学の「知ったからには行わなければならぬ」という哲学を、まさに表しているといえるでしょうね。

前置きが長くなりました。今日は陽明学の紹介ではなく、王陽明とその弟子の問答を紹介したかったのです。

山深く人跡未踏の地において、弟子が岩間に咲く花を指さしながら、師である陽明にこう尋ねるのです。

「先生は天下には心の外に物はないと言われますが、この花木などは、深山の中で自然に咲き自然に散ってゆきます。われわれの心とどうしてそれが関係ありましょうか。」

陽明答えて曰く

「君がまだこの花を見ない間は、君にとってはこの花は存在しなかったし、この花も君の心と一緒に静寂に帰していた。しかし君がここに来て、この花を見たとき、この花の色はたちまち明るくはっきりとしだであろう。つまりこれでこの花が君の心の外に在るものではないということが分るではないか。」

これは、一昨日のボーアとアインシュタインの論争を彷彿とさせるではないですか。しかも、その前の主観と客観ということにもつながって来る。陽明は、「心を離れて事物は存在しない」と言い切っています。

驚くことには、陽明のその言葉が「科学」という実証世界の中にあっても確からしい事実としてあるということ。一体、この「世界」の存在とは何なのでしょうか・・・。

今日はこれまで。

2011年1月19日水曜日

もう一回TPPについて

「主観」と「客観」についての話を続けなければならない本日ですが、ちょっと別のことを書きます。 

以前、ここでTPPについて2回書きました。勉強していないので賛成、反対は留保すると書きました。





お恥ずかしい、大変お恥ずかしいことにひどい事を書いてしまいましたので、訂正したいと思います。こう書いたのです。↓

壊滅するかもしれない品目は「チーズ」が浮かびますね。自由化になったらフランス産のチーズが安く買えるわけですから、僕なんか飛びつきますね。先日のブログではないですが、生産技術の伝統が違いますからね。日本の乳業メーカーがつくるチーズとは比べ物にならない・・・。市場から駆逐されるでしょう。しかし、それが世のならいです。

アホみたいですね。TPP環太平洋云々にフランスなど入っていないです。大馬鹿な文章でした。だから、僕が望む安いチーズなど入ってこない。本当にごめんなさい。ご容赦ください。

と、その参加国、交渉国をあらためて調べたのですよ。

シンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージランド この4カ国で始められたものに、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加を表明したと・・・。これで9カ国になります。日本が入れば10カ国になります。韓国は不参加を表明し、アメリカとの二国間FTAで行くらしいですね。

韓国は世界の孤児になるつもりなのか?

それよりも、ちょっとこの参加国を見て下さい。ほとんどが農業国で経済規模も小さい。これらの国とそれを結んで、経産省や財界が声高に叫んでいる日本の輸出額は増えるのか?単純な疑問です。

ジェトロのWeb(http://www.jetro.go.jp/theme/wto-fta/basic/tpp/)にデータが出ています。TPP参加交渉国の世界貿易に占める割合です。以下、引用します。

TPP交渉参加9カ国は、世界人口(67.3億人、2009年)の7.4%、世界経済(57.8兆ドル、2009年)の27.7%、日本の往復貿易額(1兆1,323億ドル、2009年)の25.2%、日本の対外直接投資残高(7,404億ドル、2009年末)の40.6%を占める。

この数字をみると、無視できない数字であることがわかりますね。まさしく、参加せず国を閉ざしたら、「世界の孤児になる(米倉経団連会長の言葉)」ことが心配されます。

やはり、「開国」せねば!明治の開国に次いで、平成の開国だ!!

というのが巷の議論になっていますが、これ果たして本当でしょうか?

このデータですが、「参加交渉国」となっているのがトリックです。なぜなら交渉国の一つ「アメリカ」が入っているからです。その数字からアメリカを除いてごらんなさい。恐らく数%ですよ。そんな経済規模の国々と、関税を撤廃する様な協定を結んで得するのは、日本への農産物や鉱物資源の輸出を増やしたい国々だけです。日本の製造業はそんな国に輸出などできませんよ。そこを相手に今以上に日本の輸出が伸びるのでしょうか?たかだか、9カ国の協定に参加しないことが、「世界の孤児」?とんでもない嘘八百ですね。


ちなみに、参加9カ国のGDPを調べてみました。統計局HPからですがブルネイは載ってませんでしたので、別口で調べました。全て2008年データです。前述ジェトロの数字とは異なります。

・シンガポール:1,800億ドル
・ベトナム:900億ドル
・マレーシア:2,200億ドル
・チリ:1,700億ドル
・ペルー:1,300億ドル
・ニュージーランド:1,300億ドル
・オーストラリア:1兆ドル
ここまでの計:1兆9,200億ドル

・アメリカ:14兆ドル
・日本:5兆ドル

7カ国合計でも日本の40%のGDPしかない国と自由貿易になったとして、その日本のメリットは一体何なのか教えてほしいわ・・・。そんな国々に一体日本の何を輸出したら、日本の経済成長を促すもととなるのかな。

※ブルネイは統計局の同じ資料にはGDPが記載されていなかった。「世界経済のネタ帳」(http://ecodb.net/country/BN/imf_gdp.html)とかいうところで調べたところ、140億ドルでしたので、完全に無視できる数字です。

ここで、韓国の不参加の理由が明らかになるのです。この参加交渉国の中で韓国が今より輸出したいのは米国です。他の国ははっきりいってどうでもいい、今の貿易協定で十分なのでしょう。だから、米国だけとの2国間交渉なのです。他の国々は米国、日本、韓国に輸出したいと当然考えます。そうすると、米国だけと自由貿易をしたいだけなのに、TPPに参加したら必要のない国とまでそれをしなければならなくなる。それを避けたのです。極めて真っ当なことですね。ちなみに韓国のGDPは9,300億ドルです。

これらの国で日本と利害が一致しそうな工業製品の輸出国は皆無です。ということは、日本は自身に有利なルールを作るということが不可能ということです。だって、仲間がいなければ多数決で勝てない。

さて批判の矢面にたっている日本の農作物の高関税・・・。前にも書きましたね「コンニャクイモ」の1706%!しかしよく調べてみると、日本の農作物の平均関税率というのは11.2%でしかなく、EUの20%よりも低いのですよ。アルゼンチンやブラジルは30%を超えてますし。

このソースは「赤旗」なんですが、どうも、共産党は非常にまともな事を言っているなと感じてるのですよ、最近は。親米保守の新自由主義を振りかざす人よりは、日本という国家をよく考え、よほどまともな事を言っていると思います。赤旗はTPP参加は日本の農業と地方を滅ぼし、潤うのは自動車産業と電機産業だけだと言っているのですが、この後者は間違っているかも知れませんね。

しかし、どうですかこのTPPの実態・・・。

巷では長期的な「中国包囲網」とかいう意見もあるようですが、包囲網が完成する前に日本がなくなる・・・。

それにしても、米倉住経団連会長はきちんと物ごとをわかって言っているのでしょうかね。ご自身の住友化学のみに大きなメリットがあるからだとしか思えない。チリ、ブルネイ、ニュージーランドも鉱物資源が豊富だぞ・・・。なんて、痛くもない腹を探られますぞ。もう少し、まともな発言をしてもらいたい。

食糧安全保障だとか、自由貿易の拡大発展だとか、そういう背景は関係なく、こんな日本だけが狙い撃ちされるような協定に拙速で臨んでは国を滅ぼすことになる・・・。

今はこんな風に思っています。


今日はこれまで。

※参考は以下。必見です!
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101218

2011年1月18日火曜日

実在は実在ではない・・・

およそ20年前のこと。

不確定性原理というものを知りたくて、熱心に量子力学の解説本を読んでいました。こまかい内容までは理解できなかったことは言うまでもありません。ただ、一つだけ驚いたことは量子的な見方では「実在は実在はでない」ということ。観測者が「観察」という行為をすることによって実在するのであり、その行為がなければ「実在」しないということ。

昨日の「歴史とは何か」のからみでいえば、純粋なる「客観」「客体」は存在しないということになりますね。

これ、ニールス・ボーアとアインシュタインという、物理学者の論争にまでなったことです。


ボーア
「それは私の観測によって創造された実在体験なのだ。私がみるまではそれは存在しなかったのだ。」

アインシュタイン
「それは実在する粒子であって隠れた秩序にしたがっている。ただわれわれがその完全な秩序をしらないだけなのだ。」

と、こんな具合です。この論争の決着はついたのか未だつかずなのかわかりません。この論争はまるで「認識論」の世界です。哲学のようですが、正真正銘の量子物理学の範疇での論争です。ある実験結果を巡っての論争なのです。

学問の世界とは、実に面白い。そして恐ろしい。果てがないように思えるから。

この認識論についてのつながりはまた明日。


今日はこれまで。

2011年1月17日月曜日

歴史とは何か

8月の三と一の会「東京裁判」で、その内容は忘れましたが、関根さんに質問されました。その時の僕の回答が

「歴史とは現在と過去との対話ですから。視点が変われば歴史も変わり得ます。」

でした。例えていったのは「石田三成」の評価です。江戸時代、彼の評価は最低でした。「徳川」に弓を引いたわけですからね。それが明治になると、その再評価が行われ、あくまでも秀吉に忠義を貫いた忠臣として世に定着します。



非常にいい回答だと自分でも関心したのですが、これ大昔に読んだ本の記憶からの言葉でした。先日書棚からとった本に、そう書いてありました。

「歴史とは何か」という岩波新書。著者はE・H・カーという歴史学者です。この本は、1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講演の内容が全訳されたものです。訳者は清水幾太郎。余談ですが、高校生の頃同人の「日本よ国家たれ」という日本の核武装を説いた本を読んで大感激したのを今でも覚えています。世は、進歩的文化人なる人種の妄説、空語が蔓延している時代でした。

さて、この本はアマゾンでもかなりレビューが記録されてます。好評価です。僕もこの本は、非常にいい本だと思います。著者は次のように言います。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。」


歴史というのは単なる事実の羅列ではなく、歴史家の解釈を内包しているものということになります。つまり、「歴史的事実」として、何人の批判をも許さないというのは大いなる間違いということになります。その批判は、「事実」に対してではなくその「解釈」に向けられているからです。しかも、その「事実」そのものも、それを「事実」として受け入れるか受け入れないかは、歴史家自身の判断に他ならないからです。

そして、次のように言います。

「歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈―この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行っているわけですが―で出発するものでもあります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで『歴史とは何か』に対する私の最初のお答を申しあげることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」


 今日はこれまで。



今日はこれまで。


 

2011年1月16日日曜日

妻をめとらば才たけて

新しく財務大臣になった与謝野馨氏は、与謝野鉄幹の孫にあたります。

与謝野鉄幹といえば、タイトルの歌「人を恋いうる歌」ですね。

タイトル以下、次の様に続きます。

「見めうるわしく情けあり
友を選ばば書を読みて
六分の侠気四分の熱」

これは、このあともかなり続く長い歌なのですが、僕はここまでしか覚えていません。

その孫は批判の渦中にありますね。彼は彼なりに「憂国の至情止み難く、世上何と言われようと今の状況を救いたかった」と言うのでしょう。「侠気」かどうかはわかりませんが、「熱」であることは間違いない。まさか「大臣病」という熱病ではないことを信じていますが。

それが凶とでるか吉とでるか。

今日はこれまで。

2011年1月15日土曜日

今更ながら

映画「アバター」を観た。正月にWOWOWでやっていたからだ。

全編、ほとんどがCGで作成されたとのことであるが、その映像には驚愕の一言。いや、驚いた。字幕版だったので、娘に横で「今何て言った?」攻撃を受けた。先日、Luckyなことに吹き替え版をやっており、録画して娘に見せたら、「やはりよくわかる」と言っていた。幼い娘には「海兵隊」という言葉が悪魔の代名詞になったと思う。

そういえば、映画に出てくる海兵隊兵士が操縦するロボットは、「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーが操っていたものによく似ていた。どちらもジェームズ・キヤメロン監督だし・・・。

「ターミネーター2」も同監督だったが、「エイリアン2」と出演俳優がかなりダブっていた。好みの俳優というのはあるのだなと思ったことを憶えている。

映画館で映画を観たのは、娘とみたのを除けば思いだせないくらい昔のことだ・・・。何を観たかすら思い出せない。最近は、レンタルビデオすら借りないし、3時間も座って「アバター」を観たのすら久しぶりのこと・・・。どうも、映画を観るという時間に拘束されることに対する「もったいなさ」がある。

今日はこれまで。