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2011年7月9日土曜日

知の深淵に逃げ込もう

以前「歴史とは何か」というE・H・カーの本をご紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/blog-post_17.html

今日はその続きかも知れません。

ただそれについて語らせるのは小林秀雄です。前に書いた田中美知太郎との対談からで、その筆記ですので、小林の怒りがそのまま伝わってくるようです。
ぼくはよく考えるんだ。現代の唯物史観的な歴史家の傾向というものは、進歩したつもりで、じつは退歩している。徳川時代の古学者とか国学者の考え方のほうがずっと正しい処があると言えます。彼らにとって歴史的対象とは、ある時代の事実ではなくて、事実がその時代に経験された、その経験の意味だったのです。これは正当なことです。客観的事実自体には歴史的意味はない。その事実がどういうふうに感じられ、どういうふうに考えられていたかということが、歴史的事実である。そして、それは事実をあらわした文章にあらわれているというわけです。文章のあやにあらわれているんで、文章が記している事実には、さしたる意味はない。そう考えた。そういう事実がどういうふうに生きられたかということは、歌か物語になっているわけでしょう。だから歌を味わわなければ歴史は絶対にわからんという考えに達した。今の歴史家は歌なんて趣味の問題だと言っている。客観的事実があればいいでしょう。だから貝殻も万葉も同じことなんだ。それが科学的なんだ。物質の科学と精神の科学との間にじつに不思議な、ばかげた混同があるんじゃないですかな、考えられないような混同が。ぼくはあるように思うんですよ。

この小林を受けて、田中は客観的事実のみに拘泥することの愚を、「物的証拠というのは完全犯罪の場合と同じように、うっかりするとだまされることがある」と表現して、その時代を知るにはその時代に生きた宗教家とか、芸術家とか、そういう人の書いた書物を理解しなければならないと返し、次のように続けます。

そこらの犯罪事件の白黒を決めるだけなら、自白をあまり重んじないで、物的証拠を重んじるというやり方でもいいかもしれないが、歴史の把握はそれとはちがうと思う。文学作品や哲学の著作は誠実な一種の自己告白というものに当たるわけで、それがその時代をいちばん写しているかもしれないし、いちばん嘘のない証拠なんでしょうな。あまりそういうものの使い方を知らないですね。

ついで、小林はこんなふうに言います。
昔の歴史家は博覧強記ということをたいへん重んじたが、それにはやはり深い仔細があったのですね。それは、やはり実証的精神のあらわれなので、歴史は資料を読めば読むほど、矛盾した、容易に解釈できない相を呈して来る、そのことに堪えねばならぬという精神だな、それを単に学問的方法を欠いたことと誤解したのだ。

さて、最後にひいた「博覧強記」といえば司馬遼太郎でしょうね。かれの歴史知識の泉は底がしれない。かれはあくまでも小説家であって、歴史学者ではありませんが、歴史学者は司馬の前では平身低頭しなければならない人が多くいるのではないでしょうか。

「古事記」「日本書紀」の解釈をめぐっては、新井白石は「あれは事実ではなく、比喩である」とし、本居宣長は、「あれは事実そのものである」「神の世界のことだから人智では測れない」という態度でした。

その時に書かれた歌や文学こそが、その時代を凝縮したものであるということについては、津田左右吉が「文学にあらわれたる我が国民思想の研究」という本があります。文庫で全8巻。先日ようやくその第1巻をぱらぱらとめくり始めました。

俗世の喧騒や愚劣な政治家のことなど考えるより、こういったことをあれやこれやと考えている方がよほど健康的ですな・・・。違うかな?

今日はこれまで。またこの続きを書きます。

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2011年7月8日金曜日

本の始末

日曜日に本を少し処分しました。

コンサル時代に買った本がメインでした。女房からは「読みたくなったらまた買えばいい」と言われて、もっと捨てるようには言われますが、中にはもう手に入りにくい本もあるのでそうは簡単に処分はできません。以前「千」の単位で本を捨てた末、今の蔵書になったわけで・・・その時の基準をクリアして残っているのが今の蔵書というわけですので、捨てるにはまた新たな基準を設ける必要があります

経営本は、その意味で仕事以外では読む必要性も興味もないので、惜しみなくすてることはできましたが、問題は大きなスーツケースの中にぎっしり詰まっている文庫本。もう僕の力でそれを持ち上げることは不可能ですので、何百冊という単位だと思いますが、その扱いをどうすべきか悩んでいます。もう数年もあけないままですので、そのま
ま捨ててしまえばいいとは思いますが、そういうわけにもいかないので、一度は開けてみなければなりません。

となると、あれもこれもと結局は捨てられないものが多く出てきて、スーツケースは処分するとし
て中から出した文庫本の置き場に困ってしまうという・・・。

中に何が入っているかは正確にはわからないのです。司馬遼太郎の小説が全部入っていることはわかるのですが、それ以外のものはわかりません。

僕の中古本でよければ誰かもらってくれないかな・・・。それなら捨てるよりはいい。

今日はこれまで。



2011年7月7日木曜日

世にはびこるもの・・・

松本龍なる人物類型は、世の中に多いですね。

昨日も年下の友人と話したところ、彼の大学院の教授もとんでもない人間だそうで、研究室の学生の前で、ある学生を名指しし、こう言い放ったそうです。

「こいつは○○学部出身だから、みんなより偏差値が10低い!」

僕の友人も憤慨してましたけどね。これが最高学府の教授職なのですからなんとも言葉が出ないほど寂しい気持ちになるのは僕だけではないでしょう・・・。

僕の中では「学問」をする目的は、中国古典にいわく「聖人」に近づくためという、いわゆる修養だとか、人格の陶冶だとかというものがあるのですが、教授という職につく人はそういった素養がないのでしょうね・・・。

アカデミズムの世界は、ホントにひどい連中が多いらしい。社会の不適合者の集まりだと・・・そういうのは、僕の年下の日本思想史の碩学です。

今日はこれまで。

2011年7月6日水曜日

憫笑

「びんしょう」と読みます。

憐れみをもって笑うことですね。昨日、散々僕が毒づいた傲岸不遜な大臣が辞任しました。最後まで「言葉が足りない」「言葉がきつい」と詫びてましたが、まだこの人はおわかりではない・・・。問題は言葉ではなく、態度そのものです。椅子にふんぞり返り、人を見下すような態度そのものに多くの人が憤慨したことをわかっていない・・・。

で、タイトルの言葉は今の政権そのもの、その中心にいる菅直人氏その人に向けたもの。

この政権はどこまで落ちればとまるのでしょうか?僕はその果てがみえない・・・。

今日はこれまで。


2011年7月5日火曜日

傲慢無礼

別に大して気にも留めていなかったのですが、松本龍なる復興大臣・・・。またマスコミが言葉尻を捕らえてあ~だこ~だ言っているだけだと思っていたのですよ。

ところが、テレビで彼と宮城県知事との会談冒頭の模様をニュースでみてびっくり仰天!そしてすぐに怒りに変わりました。彼は一体何様?

県知事と国の大臣との間には主従関係はないにもかかわらず、あの傲慢な口の利き方は一体なんだ!ニュースで見た限りでは、大臣の入室に僅か1分程度遅れて入室した宮城県知事に向かって

「客を待つときは入って迎えろ。自衛隊なら長幼の区別はできるだろ」

というようなことを、まさにこの口調で言ってのけるんですから、びっくりしました。宮城県知事は防大出身ですから、ことさら自衛隊という言葉を持ち出したのでしょうが、まったく人を、それも宮城県知事をここまで見下した態度はないでしょう・・・。

何でも、言葉が過ぎたことを謝罪したらしいですが、これは言葉尻の問題ではなく人間の品格の問題ですな・・・。自らが上の立場にいると勘違いする輩は、自分が下になった時には上の人間に対してペコペコするもの。「親分肌」だかなんだか知りませんが、そんなものは上っ面だけのことでしょう。

こんな奴が大臣とはねぇ・・・。皆さんも目にしたことありませんか?お店の店員や駅員やらに、ぞんざいで横柄な言葉遣いをする輩。それと同じ低俗な人間ですよ、この大臣。

あほか!

怒り収まらず、今日はこれまで。

2011年7月4日月曜日

不確かなので・・・

最近ふとしたことから次の一節を思い出した。

何かが絶たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ。

これは、三島由紀夫の有名な「文化防衛論」の中の一節。これは以下の書き出しをもって始まる。

昭和元禄などというけれども、文化的成果については甚だ心もとない元禄時代である。
近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄には、華美な風俗だけが跋扈している。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。

確たることとはいえないが、僕はこういった現象(文化の退廃、衰弱)はこの国のみに見られることではなく、西欧諸国にまで見られるものだと思っている。「近代」のある種の「病い」とでも言おうか・・・。

これもまた不確かであるが、ジョン・ラスキンという19世紀英国の評論家が、「智識が支配する社会になるとその社会は薄っぺらくなる」というような言葉を残していたような気がする。どこで読んだか思い出せない。

僕が言わんとして、三島の言葉で語らせたことの裏打ちをラスキンがしてくれたようなもの・・・。残念なことに、後者の種本がわからんので中途半端・・・。しかも書きあげようとする気力もあまりなし。申し訳なし。

諸君、このこと少し考えてみてください。

今日はこれまで。

2011年7月3日日曜日

どうでもよくなる・・・

最近、よく見るYouTubeの動画があります。



Let's talk about Sizeというもので、宇宙の星の大きさを比較したものです。実に面白い。

今知られている星の中で一番大きい星は、レッドハイパージャイアントと名づけられたもので、この星は時速900kmの飛行機で1周するのに1,100年かかるんだとか・・・。なんちゅう大きさ!


そんで、この星やら国やら人やら、そのすべてがどうでもよくなる・・・。

今日はこれまで。

2011年7月2日土曜日

不気味な中国

中国共産党は結党90周年だとか・・・。日本をぬいて 界第2位の経済大国となり、今なお高い経済成長率を誇ると同時に、軍事費も増加し続けている唯一の国です。
でしょう。

かつては、膨大な人口をバックに総兵力でアメリカやロシアを圧倒しつつも、その兵器の前近代性が弱点であり、米ソとは比較にならないとされてきた人民解放軍ですが、今はそれも過去のことになりつつあるのではないでしょうか。


日本一国では到底太刀打ちできる相手ではない。そもそも、中国は核保有国だしね。いわば無軌道で何をしでかすかわからない国といったイメージがあることが怖い。

日本はいつも中国にぺこぺこしっ放し・・・。昔の負い目(侵略したという)があるからでしょうが、いつまでそんなことにこだわっているのだか。

ちなみに、対中国戦争(対支那)は侵略戦争ではないと張する人がいますが、僕はそうは思っていません。ただ、僕は「侵略戦争でなにが悪い」いう立場にたちますので、そのことをもって中国に対して負い目を感じる必要はまったくないと思っています。

ところが、世の中の多くの人は「侵略戦争」をやったのだから、中国には謝らなければならないと思っているようですね。大体、ムードでそんなことを言う人間は、当時の中国政府と今の共産党政府に連続性がないことすら知らないのでは?とかんぐってしまいます。

とにかく、この21世紀の現代において、19世紀的な覇権主義を公然と唱えるかのような行動をする中国には気をつけなければなりません。

今日はこれまで。

2011年7月1日金曜日

ドナルド・キーン

以前、「現代の小泉八雲」として彼のことを書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/blog-post_28.html

先日、NHKで彼が取り上げられていて、一体日本の何が彼をして「日本という女性と結婚した」と言わしめたのかの一端がわかりました。

彼は戦後、高見順の日記のあるくだりを読み非常に感銘を受けたそうです。その内容は、高見が大空襲の直後に、東京から逃げ出そうとする人でごった返す駅でみた光景を描いた日記でした。おおむね、高見が描いた大意は以下のようになります。

家を焼かれ、肉親を殺されたにもかかわらず、駅のホームで列車を待つ人礼儀正しく順番を待ち、整然と落ち着いていた。私(高見)は、その姿をみて思わず涙が出てきた。私は、この日本人たちとともに生き、そして共に死のうと思った。

おそらく、キーンが最終的に日本への帰化を決定した大きな理由は、今に蘇った高見に描かれた光景であったと想像します。大震災後に、世界から驚嘆の目をもって迎えられた日本人の姿であったのでしょう。

そして、彼は高見と同じように「この日本人と共に生き、共に死のう」と思ったに違いありません。テレビを見ながら僕はそう感じました。

今日はこれまで。

2011年6月30日木曜日

9ヶ月

昨年の9月から毎日記事を更新し続け、本日で9ヶ月が終了しました。よくもここまで続いたものだと思いますが、さすがに最近は書くことがなくなってきた。政治ネタが多いしね。人の批判だけしていればいいわけですから、これは楽チンです。

昨日の暑さはたまらなかった・・・。まだ梅雨明けもしていないのに、朝から猛暑でじりじりした。ほんとにこれまでの日本列島の「夏」というものが完全に様変わりしたと思いますね。僕が子供のころはこんなに暑くなかった。いや、ほんの10年くらいまでもこれほどではなかったと思います。

なのに、社会の服装コードは昔のまんま。今年は節電の影響でスーパークールビズなんて言ってますが、もう夏のそれを完全に変えるべきだと思いますね。NHKは未だにネクタイ締めてるし・・・。

考えると腹がたってくるのですが、なぜあれだけの偏向報道をしている放送局に受信料なるものを払わねばならぬか、どうにも納得できない・・・。



早いもので明日から7月。

今日はこれまで。

2011年6月29日水曜日

怪物

書きたくとはないと重いつつも、どうにも書かずにはおられない・・・。

菅直人首相に対してです。いやはや、もう四面楚歌とかいう状態ではないですね。全くの袋小路に自ら入り込んだとしかいいようがない。でも、本人はけろっとしているようで、相当に面の皮が厚いんですね。

日本では、権力と金銭に淡白なことが尊ばれてきました。権力を誇示したり、その地位に綿々としがみついたりすることは、「潔くない」とされていたのではなかったか・・・。しかるに、今の首相たるや一体何という有様だ。

自らの任期中に、これだけは成し遂げねばならないというその決意のみは推量するにやぶさかではありませんが、その中身には断じて否といわねばなりません。

奇しくも、経団連会長がエネルギー問題という国の重要な施策を拙速で決めてはいかんと、首相を批判していますが、まさにその通りですね。「再生エネルギー法案」なるものにご執心らしいですが、そんな大事なものを、僅か1~2ヶ月の論議で決めてしまっていいわけがない。

もうそんなことでさえ、正常な常識ある判断ができなくなっているのでしょうか?

最近は、新聞であの人の顔を見るたびに嫌悪感がしてたまりません。まさに権力の亡者と化した怪物のような気がしています。人智では測れない・・・。だから、その怪物のなすことですから、原発を争点とした解散もありえますよきっと。怪物には人間界の常識など通じないのですからね。

今日はこれまで。



2011年6月28日火曜日

誄詞

誄詞。

「るいし」と読みます。

死者の生前の功徳を讃えてその死を悲しむといった意味です。かつて、三島由紀夫は「尊敬する歴史上の人物は?」と尋ねられると、「二二六事件の将校たちと特攻隊員」と答えていました。

その顰に倣っていえば、僕は日本人の、民族としてと日本の国家としてそれ(誄詞)を手向けるべきは、まさしく特攻隊員たちもその中の一群だろうと思っています。

6月23日。沖縄戦終結の日として慰霊祭が毎年行われています。そこでいわれることは、「戦争の惨禍を繰り返さない」「戦争は絶対反対」ということのみで、さらにいえば慰霊の相手も「沖縄県民」が主であり、沖縄を守備した軍人たちは従のような気がしています。僕の勝手な思い込みかもしれませんが、もしかしたら、「軍人」たちは慰霊の対象になっていないのかも・・・。

陸海軍併せてのいわゆる「特別攻撃隊」は、沖縄を守るための戦いがそのピークでした。鹿屋、知覧などを代表とするの九各地の飛行行場から沖縄周辺海域にいた米海軍機動部隊を撃滅するための捨て身の策だったのです。

沖縄では「ひめゆり部隊」の献身があります。まだ15歳前後の彼女たちの命がけの献身も、日本人が語り継ぐ歴史であり、誄詞を手向けるものでもあると思います。

しかしながら、その勇気と義務と献身を讃える言葉は皆無といえます。語られる彼女たちは決まって「戦争の犠牲者」でしかないのです。

こんなおかしなことがあっていいのか!

確かに悲劇は悲劇である。しかし、悲劇は何も彼女たちだけを襲ったものではない。当時の日本人全員を等しく襲った悲劇であり、もっというなら日本の国家こそがそれに見舞われたのです。

そこで、繰り広げられた様々な人間模様。卑怯卑劣な振る舞いも多くあったでしょう。それとは逆に文字通り命がけの勇気と義務と献身が多くの人を救おうとしたことも多くあったのです。

僕は思います。そういった人間の美徳を教えずに、「道徳」教育など可能なことなのかと。

そんな題材は五万とあるにもかかわらず、「戦争」というと「不戦の誓い」だとか「平和」だとか、それしか言うべき言葉がないというのも、「思考停止」そのもの・・・。

今日はこれまで。


2011年6月27日月曜日

四面楚歌

「四面に楚歌の声を聞く」

この故事(十八史略)から採られた言葉は、まさしく今の菅総理の境遇といえるでしょう。ただし、本人はそれをわかっているのかどうか・・・。

党執行部だけでなく、政府中枢からも早期退陣を求める声が挙がってはもうおしまいなのに、どこまで居座るつもりなのでしょう。

前原前外務大臣は、彼の「脱原発」を「急激な振り子の振れにあわせた政治ををやってはいけない」とポピリュズムを批判され、ほんとに立つ瀬がないとはまさにこのこと。所詮、市民運動家あがりの人間に一国の総理など務まるわけもなく、第一菅直人には何のビジョンも、明確な国家観もないわけで、ただ人の批判だけを、舌鋒するどくやってのけるのに長けていただけの人。しかも、その鋭い舌鋒を部下にまで向けているというのだから、どうしようもない・・・。

彼を総理にした人は責任を感じてほしいよ・・・。

今日はこれまで。

きょうは

2011年6月26日日曜日

国民が主人なら・・・

福沢諭吉は「学問のすすめ」で「政府は国民の名代である」として、そのための「学問」を説いた。

それにならって言えば、政府はあくまでも国民の「名代」であるのだから、主人は国民ということになり、ならばその主人としての責任をいかにかすべきというのが、僕が今日書こうと思っていることだ。

最近よくここでも書いているが、「選ぶ側の責任」ということ。これは「主人としての責任」と言い換えることが可能だ。民主党政権になって、1年と9カ月。民主党はいかなる政策効果を発揮したのだろうか?震災前のことだけでもいい。彼らは一体何をしたのだろう。真っ先に挙げねばならないのは、沖縄の米軍基地をほぼ固定化させてしまったこと。これは未だに解決の道筋すらつけることができない。その責任は非常に思い。彼らが金科玉条のように言い募るマニフェストなるものにしても、完全な形で実現できているのは、高校の無料化くらいではないかしら・・・。不完全な形で施行されているこども手当も、国民からは「ばらまき」として反対する声も多い。


選ばれた側、つまりは「名代」は失策が続けば次の選挙で落選という憂き目にあう。問題は主人の側の責任だ。

先の衆院選での比例代表。民主党の得票総数は約3,000万票だそうだ。小選挙区での得票数は目をつむる。党ではなく、個人に期待した人も多いと思うからだ。なので、比例で「民主党」と投票した人全員が、今のこの政権の体たらくに対する反省、責任として1人100円の罰金を支払ったらどうだろう。あっという間に30億円が集まる。

もちろん、集まったお金は義援金として被災地に寄付するのだ。1000円なら300億円だぞ。

なんてことはできないのかなぁ・・・。

今日はこれまで。


2011年6月25日土曜日

Lady GAGA

うちの娘も知っているくらい彼女は日本で有名になりましたね。今回の来日で行われた記者会見で日本の復興のことに触れ、感極まって涙を流したんだとか・・・。写真が出てました。

震災直後の彼女の「チャリティブレスレット」には驚きました。僅か1日か2日後でしたからね。彼女は偉いなぁ・・・。どうせなら被災地でコンサートをやってくれたらもっとよかったのに。

昨日(24日)の読売新聞の朝刊に世界のセレブから寄せられた日本への応援メッセージがTシャツになったものがでてました。全面広告です。ユニクロが販売するらしい。収益は寄付するとのことです。

中でもベッカムの奥さんの寄せたメッセージにはジーンときた。

As a family we send our thorghts and prayers to the people of Japan.
Your dignity in the face of such tragedy has been truly inspirational.
Love and hope..

(日本の皆様へ、私たち家族よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。このような悲しい出来事に直面しても礼を保つ皆様の品格に、感動を覚えます。愛と希望を。)

というものでした。すばらしいメッセージではありませんか。

今日はこれまで。



2011年6月24日金曜日

しぶとい

居座る総理大臣。

もうなんというか、文字にするにも気分悪くなる。ただ一人意気軒昂なんだとか・・・。その理由も、彼を激励にきた市民団体幹部との会談の後で、余計に「再生エネルギー法案を絶対成立させる」とボルテージが挙がったというのですから、僕にとっては非常に恐ろしい。

マスコミが名づけるところの「市民団体」なるものは、ほとんどが「愚民団体」だと僕は思っているのですが、基本的に彼らはシングルイシューで争うだけのもので、それを通して何もかもを判断する。二項対立の幼児の世界観で物事をみる。特定のイデオロギーでものをみる。僕からみれば、とても良識ある庶民とは思えないのです。

仮にも一国の総理が、そんな連中とまだ付き合いがあるとは・・・。僕にとっては全く理解不能です。
いや、むべなるかな・・・。自身の来歴もそこにあったわけですからね。

深い学識と教養にあふれ、歴史に深い愛着を持ち、正しい言葉遣いでもって、万人を感化する。そんな理想の「哲人」政治家の出現を望むのは、まさしく幼児のないものねだりでしかないのだろう。

前総理といい、現総理といいほんとに僕を不快にさせてくれる。

今日はこれまで。

2011年6月23日木曜日

山ガール

19日の日曜日に高尾山へ行ってきた。僕は初めてのこと。曇り空であまり気温も高くなく、山登りにはよい気候でした。

頂上の混雑には驚きました。まるで縁日・・・。

僕は結婚したての頃、突然山歩きに目覚め、一通りの道具を揃えました。山登りではなく「山歩き」。日帰りで行ける近郊の山を女房と歩いていたわけです。いつか、3000m級の槍ヶ岳とかへ行きたいと思いつつも、いつの間にかその熱も覚めてしまった。ということで、山歩きは実に14年振りのこと。

かつて、山は中高年だらけでした。

今は山ガールが闊歩してます。「ほんとにいるんだぁ」と思いました。昔と比べておしゃれなスタイルになってるし・・・。

頂上で飲んだビールは最高で、つまみに持っていった「いかくん」もうまかったよ・・・。

今日はこれまで。

2011年6月22日水曜日

「脱原発」で思うこと

自民党の石原のぶてる(漢字変換も面倒くさいと思うほど価値のない政治家だとぼくには思える)が、「ヒステリー」と呼んだところの「脱原発」についてちょっと考えてみたい。

原発は確かに一旦事故がおきれば、非常に大きな影響を空間的にも時間的にも社会に引き起こす。だから、地震国日本には不要であり、自然エネルギーに転換すべきであるというのが、最近の「脱原発」の論調であると思う。

まさしくそのとおりであると思う。危険度が高いのは間違いない。ただ、だからといって金輪際使うのはやめようという結論はどうもおかしい。危険を抑え込む知恵は当然持ちえているはずだからだ。これまで以上に安全対策を講じた上で稼動させたらよいではないか。

「絶対安全といえるか!」

と、色をなして怒る人には「世の中に絶対などという言葉はない」という至極当然のことを返したい。

僕は脱原発に対しては反対も賛成も留保する。ここで言いたいのはその考え方のいかがわしさだけである。

ちょっと前まで交通事故では年間1万人を超す死者がいた。そのとき、誰一人として「自動車は危険だから『脱車社会』だ」とは言わなかった。なのになぜ、原発は危険だから『脱原発』というのだろう。

「時間的にも空間的もその影響は大きいからだ」

危険度、事故の大きさからいって交通事故の死者数とは比べものにならないからそう言うのか?ならば、目をつむっていられる数はどれほどか教えてくれ。1万人の死者ならリスクとして受け入れ、3万人なら受け入れられないのか?そういう人は「人命が何より大事だ」言ってはいけない。大事なのはその「命」ではなくその「数」だからだ。

再生エネルギーの実用化に向けて不断の努力を続けることは当然だ。問題は、それで必要な電力をまかなうのにはまだまだ時間がかかるということで、それまでの間が問題なのだ。原発を廃止して、火力に頼ってよしとするのか?それまで地球温暖化が大問題で、化石燃料によるCO2の排出が大問題なのではなかったのか?

根拠のない放射線量におびえ、将来の不確実な発ガンリスクを恐れて、確実に増加するCO2の排出に目をつぶるその正当な理由を教えてくれ。

自分の命が大事で地球温暖化などはどうでもいい

というのならわかるぞ。僕はそれを義しいとは思わないが理由のひとつになりえるからだ。

ドイツの「脱原発」に惑わされてはいけない。陸続きの欧州は電力の売り買いは普通にできるし、ドイツがそういうのなら、フランスからは「電力をかいません」というべきだ。フランスは電力の7割が原子力だし、自分の国は脱原発といいながら、他の国の原発による電力を買うのは「脱原発」といえるのか?

つらつら書きなぐってきた・・・。


かつてこの国は東亜戦争に負け、もう戦争はこりごりと思った。そして日本人は「戦争」を考えないように思考停止した。今回の騒動もどうも同じに思える。原発はもうこりごり。だから脱原発だと・・・。どちらも同じ思考停止のように思えるのは僕だけか?

今日はこれまで。

2011年6月21日火曜日

植物の不思議

以前、「アボガド発芽」と題した記事を書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/08/ryo.html

昨年の8月のことです。発芽させようと意図して2本の芽が出たのですが、少し前にほったからしにしてあったアボガドの種からも芽が出てきたのです。それは、部屋の中の大きな観葉植物の鉢の中に入れておいたもので、いつそこに入れたのかも定かではありません。

ですが、発芽したのです。それも他の2つとは全くことなった形でひょろひょろと長~いのです。子葉が開くのもとても遅かった。

これには、理由があります。その観葉植物の鉢は直射日光が当たらないのです。ですから、ひょろひょろと背が高くなり、より日光を受けられるような高さになったところで、日光の方へ向けてようやくその葉を開かせたというわけです。

前に発芽したものと比べると、その高さは3倍くらい違いますのでとても同じ植物には見えないほどです。

植物の生命力というのは実に不思議で、たくましいものです。

今日はこれまで。

2011年6月20日月曜日

「ギリシャ」で思うこと その2

大雑把にいうと、「哲学」を学ぼうとする人は、フランスやドイツ、最近はアメリカへ行くのが王道らしいです。「ギリシャ哲学」を学ぼうとする人が、その発祥の地へ行くことはまずありません。

ギリシャ。

その文化・文明が世界を席捲していた時期は僅か300年ほどです。しかし、その後の西洋文明、ひいては近代というものまでもその萌芽はそこにあったと考えることができます。しかしながら、現代ギリシャには、かつての面影は全くなくなってしまっています。

ギリシャを負かした新興国ローマを考えてみましょう。ギリシャ人は国家としてはローマに敗れましたが、逆にその文化によってはローマを打ち負かしているのです。有名なシーザーにしても、アウレリウスにしても、彼らはラテン語をしゃべりながらも、同時に第二外国語としてギリシャ語をしゃべり、読み書きをしていました。

ローマ人はこう告白しています。

戦には勝ったけれど、結局ギリシャに征服されたのは我々だ・・・。

ギリシャは、哲学発祥の地としてだけでなく、世界で最も早く民主主義の功罪を味わった国でもあります。その文化・文明はギリシャが死してなおいき続け、そしてそれは今も西洋文明の地下水脈にとうとうと流れています。

おそらく、文化・文明というのは、その担い手が滅んだ後にも生き残り、伝播していくか否かでそれが真のものか否かがわかるような気がします。ギリシャがよい例です。

西洋人というのは、帰るべき精神的・思想的な故郷としてギリシャ・ローマ文明がありますが、翻って僕らの国はどうなのでしょう?


なんていうことを、新聞でギリシャの記事を読むたびにつらつらと考えています。

今日はこれまで。

2011年6月19日日曜日

「ギリシャ」で思うこと その1

今日は年が明けて170日目です。

どのくらい前でしょうか、ギリシャが債務危機に陥ってEUの支援だとかいろいろと新聞を賑わしましたね。その危機は未だ収束せずのようですが、直接的に日本にあまり影響を与えるわけではなさそうなので、僕にとってはそのこと自体に興味の対象がいくわけではない。

イギリス滞在中にギリシャへ行ったことがある。2週間ばかりの一人旅。往復の飛行機代は確か
4万円くらいだったような気がするが、正確には覚えていない。とにかく「安い」というのは覚えている。25歳のとき。

この一人旅は実にいろいろな経験ができた。面白かった。

まずは往路の飛行機の機中。機内食で「kiddny pie」が出た。あれは今まで食べた料理の中のまずいものの五指に間違いなく入る。一口食べただけでそれ以上は口にできなかった。すると、突然隣の席のおじさんが、「お前が食べないのなら俺にくれ」といって、それを食べてしまった。

これには驚きました。まず第一に赤の他人が口をつけた料理をもらって食べてしまうということ。第二にそのまずい料理をうまそうに食べていること。実にいろいろな人種がいるものです。

そうそう、その前にこんなことがありました。

イギリスにはThomas cookという旅行社があります。日本でいえばかつてのJTBみたいなものかな。チケットを買いにそこへ行き、「ギリシャ」(英語ではGreece)へ行きたいというと、「ギリシャのどこ?」と尋ねられ、「アテネ」というと全く通じず、いろいろアクセントを変えたりしても全くだめ。最後には地図をもちだされて指を指せという始末。そして初めて意思疎通ができ、「アテネ」は「Athen」。カタカナで書くと「アセン」だった・・・。(恥)

そういえば、父親の時代は「ゲーテ」を「ギョエテ」と呼んでいたらしい・・・。

ちなみに、その「Thomas cook」。関東大震災の復興に多額の義捐金を日本に送りました。それを知った日本の政府だったか、宮中のひとだったかは「イギリスはコック(COOK)でもこんなに金持ちなのか」と驚いたそうです。当時の日本はそんなレベルの国際認識だったのです。今から思えばかわいらしい・・・。


早朝の「アテネ」に着き、まだ柔らかく、それでいて棘のようにとがった朝日に映し出されるパルテノン神殿を見たときの感動は何と表現したらいいのだろう。ソクラテスやプラトンがここにいたのだという、その場に立ったことの時間的な感動と、建築様式の美しさと、それらがごっちゃになって襲ってきたようなものでした。

アテネ市内の雑踏は、アメ横みたいなものです。無秩序で雑多でごちゃごちゃしていて・・・。人々はいたるところで立ち話をしている。日本でいえばお母さん連中の井戸端会議みたいなもの。でもそれがおじさん連中なのです。僕は「きっと政治や哲学の話をしているに違いない」と勝手に思ってましたが、どうなんでしょうか。

無秩序といえば、ギリシャから帰国後(イギリスに)、すぐに今度はスイスへったとき、非常にほっとしたことを覚えている。ただ、そこも長く滞在していると今度はその「秩序」と「整然さ」が病院のような、薬品くさいものに感じられて、息がつまった。

閑話休題。

さて、そのギリシャ。アテネ市内を拠点に、オリンポス宮殿やら、デルフォイの神殿やら、いろいろな観光スポットへ出かけた。その多くはバスでだ。車中から眺める風景は、まさに地中海。丘陵に広がるオリーブ畑、ブドウ畑。一切の緑が消えた荒ぶれた地形など。日本とは全く異なるし、イギリスとも異なる。その乾いた土地でなぜ世界に冠たるギリシャ文化が生まれたのだろうか、ということを当時も不思議に思っていました。

続きはまた明日書きましょう。決して旅行記を書くわけではないのです。

今日はこれまで。

2011年6月18日土曜日

言葉選び

昨日(17日)の日「春秋」で、小林秀雄の言葉がとりあげられていました。批評の極意として彼が言う「その人の身になって言葉を見つける」というものです。これは「小林秀雄の言葉」として、ここで紹介しました。http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/12/blog-post_03.html

石原伸晃が反原発の動きを「ヒステリーといったこと、そして管直人首相の「菅の顔をみたくなければ法案を通したほうがいい」とかいったことに対して、この小林秀雄の言葉を持ってきたのですが、どうにもそのきっかけが情けない・・・。

石原氏の場合は、単なる言葉選びの間違い。言いたいことは「感情的」ということだと思いますが、「ヒステリー」ではちょっと酷い。首相の場合は、他人を小馬鹿にしたような言葉ですね。まあこの両者とも同じ穴の狢ですな。言葉は、それを発する人によって重くもなるし、軽くもなる。だから、言葉の力によって人を動かそうとする政治家は、言葉選びに慎重になるより前に、「修身」が必要になる
のですよ。

「修身平家治国平天下」。これを忘れて政治家たる資格なし。「春秋」子も、こんな低レベルな人間をあげつらうのに、この小林の言葉はピントはずれだと思う。

今日はこれまで。

2011年6月17日金曜日

PC新調!

絶不調のPCをついにあきらめ、新しいのを買いました。今回はDELLです。薄型モバイルノートに20インチの外付けディスプレイをつけたので、すばらしい環境になりました。デュアルディスプレイというやつですね。

OSはWindows7の64ビットですが、その恩恵はいまだ実感できずです。とにかくこれで突然の休止という作業のストップから解放されるだけで、今は喜びです。

データなどの移行も割りと簡単でした。

というわけで今日はこれまで。

2011年6月16日木曜日

1枚の写真

読売新聞の社会面最終欄では、「3.11の記録-家族」という記事が連載されている。毎回かわいそうな話で、涙なしでは読めないのだが、昨日(15日)も

火葬「泣くかも・・・けど行く」

と見出しにあった。9歳の兄が遺体で見つかった5歳の弟の火葬に行くときにこういったらしい。その家族はお父さんと息子だけが生き残ったのだそうだ。

おそらくこのような話は多くあるのだろう。何とも心が痛む。

「火葬」で思いだしたののが、米国人の従軍カメラマンが撮影した「焼き場に立つ少年」という写真。ご存じだろうか。かなり有名になった写真だとおもうのだが、この写真を初めてみたとき涙が止まらなかったことを覚えている。

僕等の国の今どこに、いや古今東西の世界のいかなる国に、このように凛々しい立ち姿をみせることのできる少年がいるのだろうか。それほどまでに美しい、そしてその裏の哀しみまでもが神々しいようだ。

戦後のこの国が、いかに大切なものを失ってしまったかを考えるとき、そのよすがとしてこの写真があればいいように思う。

これは、

「トランクの中の日本」

という本に収められている。ぜひともご覧あれ。

今日はこれまで。

2011年6月15日水曜日

田中美知太郎

「五郎さん」の愛称で親しまれる橋本五郎氏
かつて「ズームイン朝」に出ていた読売新聞の論説委員の人。僕は神田の古本屋で見かけたことがある。彼は秋田の出身だそうで、自民党から衆院選?だったかの候補に取りざたされることもあった。郷里には、彼が寄贈した2万冊にもおよぶコーナーが図書館に設けられていると聞いた。

たまに読売新聞で記事を書いている。

その彼の記事の中で「田中美知太郎」という名前が出てきて、懐かしく思えて蔵書を引っ張り出してきた。

田中美知太郎。西洋古典研究の第一人者である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%8E%E7%9F%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

彼が多くの碩学たちと対話したものをまとめた「プラトンに学ぶ」は、一行一行がゆるがせにできないほど、深いものに満ち溢れている。圧巻である。特に、その中で小林秀雄と対談した章では、すべての行に線が引いてあるほど僕にとっては印象深いものだ。いずれそれは紹介するとして、今日は、田中美知太郎とググって出てきた姫路市市長のブログをご紹介したい。

政治家から田中美知太郎という名前が出てきたのは驚きであったし、しかもその内容がとてもよかった。全文は以下から市長(石見利勝)のブログに飛んでもらいたい。

http://hmayor.exblog.jp/13050528/

簡単にそこで描かれた田中美知太郎を紹介する。

私が学生時代(昭和35年~40年)に、通学で市電に乗っていると、銀閣寺か錦林車庫駅から顔に大変なやけどをされた恐ろしい形相の人が、よく乗って来ら れました。正視するのも失礼な気がして、お気の毒な気がして、私はじっと下を向いていました。

この姫路市長は、京都大学理学部出身であり、後に東京工業大学大学院へ進むが、大学院在学中に「真善美」という本を読み、大きな感銘を受けたと書いていあります。そして、その著者が田中美知太郎でした。

そして、次のように続く。


ところが、その後間もなく、ある機会に田中美知太郎先生の写真を見ることがあり、田中美知太郎先生が、学生時代に市電に乗り合わせていた大やけどの、あの方であると分かりました。大変驚きました。

田中美知太郎は、昭和20年の東京の大空襲で全身に大やけどを負い、瀕死の重傷から辛うじて一命を取り留めた。そのため、顔は火傷のあとでひきつれたようになっていた。この市長が言う「恐ろしい形相」、その通り。

この市長は以下のように文章を締めくくる。

そしてしみじみ思いました。「あれだけのひどいやけどを顔に負っていながら、偏りも、こだわりもなく、ごく自然に、そして堂々と、やさしく、我が道を生きておられる、そして自然体で我々に説いておられる、なんてすばらしい先生だろう」と涙が出るほど感動しました。
おそらく自分なら、やけどを負った不運をなげき、世の中を呪い、恨み言を云い、人の不幸を喜び、幸せに対して、けちをつけるというような偏狭な人間になっただろうと思うにつけ、田中先生の堂々たる自然体の人生、真実をやさしく、分かり易く説かれる包容力、心の豊かさ、自分の人生に関する構えなど、(直接お会いしてお話をしたことはありませんが)心から尊敬しています。


この市長の感受性に僕は大きな共感を覚える。そして、田中美知太郎。学問を成す一流の人はやはり違うのだなとつくづく思う。いや、そうならなければ一流とは言えないとも思う。

今日は、学問が作り上げた人間というものをご紹介したくて、とはいえきっかけは「五郎さん」でしたが、これを書きました。

今日はこれまで。

2011年6月14日火曜日

戦前の日本人

今日も、司馬遼太郎の風塵抄から・・・。

彼は、こういう。

日本人は、むかしもいまも礼儀正しい民族だとされている。
が、電気ジャーのように、知っている人がボタンを押すと、礼儀という温かいお湯を出してくれる。
そうでなければ、”閉”のままで、仏頂面をして、バス停やプラットフォームに立っている。

日本人のこうした二面性、自らの世間内では非常に親切で思いやりがあるのに、世間外では逆に非常に冷たくなるというのは大いに心あたる。

司馬は2年の軍隊経験の中で、当時部下になってくれた下士官兵を、皆若いながらも古風で
以て六尺の孤を託すべし
といった人柄が多かったと表現している。昔は、そうした日本人がたくさんいたと、別のところで書いてもいる。

翻って今はどうか?

ニューヨークで同じホテルに十数泊した。
毎晩、『ホテルのメインバーで、酒をのんだ。
遠見でみると、極東の紳士たちはバーの従業員に対して横柄であるようにみえた。
「運チャン、新宿まで行ってくれ」
という、東京でもしばしば見かけるのと同質の横柄さである。

と、自身の体験を語ったあとでこう続ける。

右のホテルのバーは、ウェイトレスが一人だけできりもりしていた。
彼女はニューヨークの大学の修士課程の女子学生で、最後の夜、家内に対し、涙をうかべて別れを惜しんでくれた。
「しかし、日本のビジネスマンは、大きらいです」
と、彼女がつけ加えたことが、こたえた。

以上は、私どもが、以前の日本人でなくなっていることを考えたいために書いた。この調子なら、いずれ大がかりな仕返しをうけて(戦前のABCD包囲陣のように)日本は衰亡の道をたどるかもしれない。

司馬はここで人としてのありようを言い、政治だの国家だのは語っていない。ただ僕がいつもここで書いているように、人としてのありよう、人としての生き方こそが政治を左右し、ひいてはこの国を形づくるのだ。

司馬の文章を読んで、あらためて実に惜しい人を亡くしたと感じた。

今日はこれまで。

出所:風塵抄二 中央公論社

注)
「以て六尺の孤を託すべし」とは、論語にある言葉。「幼いみなしごを託しても大丈夫な人間」という意味。




2011年6月13日月曜日

日本国に明日はない

風塵抄(ふうじんしょう)。

司馬遼太郎が、産経新聞に毎月1回連載していたコラムの名前である。その名を冠した本も出ている。先日、何とはなしにそれをめくってみた。

タイトルの言葉が司馬の絶筆となった。平成8年2月12日とある。それは土地問題、いわゆる不良債権により経営が行き詰った住専を取り上げたものである。司馬は、土地を投機の対象とすることの愚を他でもかなり書いていると思う。よほど腹に据えかねたろうだろう。その文章は以下のように締めくくられる。

日本国の国土は、国民が拠って立ってきた地面なのである。その地面を投機の対象にして物狂いするなどは、経済であるよりも、倫理の課題であるに相違ない。ただ、歯噛みするほど口惜しいのは、
「日本国の地面は、精神の上において、公有という感情の上に立ったものだ」
という倫理書が、書物としてこの間、たれによってでも書かれなかったことである。
たとえば、マックス・ウェーバーが1905年に書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のような本が、土地論として日本の土地投機時代に書かれていたとすれば、いかに兇悍なひとたちもすこしは自省したにちがいなく、すくなくともそれが終息したいま、過去を検断するよすがになったにちがいない。
出所:風塵抄二(中央公論社)
 とあり、続けて次のようにいう。

住専の問題がおこっている。日本国にもはや明日がないようなこの事態に、せめて公的資金でそれを始末するのは当然のことである。その始末の痛みを通じて、土地を無用にさわることがいかに悪であったかを―思想書を持たぬままながら―国民の一人一人が感じねばならない。でなければ、日本国に明日はない。
 出所:同上

司馬の文章特有、決して悲憤慷慨調ではないのだが、静かな彼の怒りが伝わってくるようではないか。そういえば、この時には住専への公的資金投入額が6,850億円であったことに「ろうやにごー」とかいって公的資金投入を反対する人間がいた。まったくこういう人間と、この司馬の静かな怒り、深い哀しみとは言いようもない断絶があり、もっと悲しいのは、前者の方が声が大きいということだ。


司馬がここで書いたことは、実に面白い。明日もご紹介します。

今日はこれまで。


2011年6月12日日曜日

懐かしい名前「むつ」

本日(12日)の日経に原子力船「むつ」の名が出ていた。

昭和40年代生まれの人はおそらく知らぬ名だと思う。僕が小学校5年生の時に世間を賑わした名だからだ。10歳の時。

日本史上、「むつ」という名前はこれで2つ目だった。一つ目は帝国海軍の戦艦「陸奥」。2つ目がこの原子力船「むつ」である。

最初の「陸奥」は終戦間際、港に停泊中謎の大爆発を起こして湾内に沈んだ。水兵による故意の爆破だったと何かで読んだことがある。ちなみに、そのようなことがいわれるのは帝国海軍の戦艦では2隻目。その最初は日露戦争時の連合艦隊旗艦「三笠」である。

さて、2隻目の原子力船「むつ」。これはヒロシマ・ナガサキの核アレルギーをもつ日本が、「原子力を制した」と宣言するような実験船だった。動力が「原子力」なのである。ところが、処女航海時だったかに船内で微量の放射線が放出するという事故を起こしてしまい、世の中は大騒ぎになった。母港に帰るにも、どこかへ寄港するにも、地域住民から猛烈な反対運動が起こってどこにも帰れなくなる事態に陥った。

10歳の僕が当時の覚えているのは、その世の中の騒動のみ。最終的にどう決着したのかは分からない。

おそらく、その7、8年後に「むつ」から漏れ出した放射能は、テレビのブラウン管からでる放射線量と大差がなかったと知って愕然とした。要するに、「原子力」で日本の自立を望まないアメリカの陰謀に日本のマスコミやらはまんまと乗ってしまい、それに国民も騙されたということ・・・。まったくと取るに足らない事故だったらしいのだ、本当は。

田中角栄を失脚させたのと同じようなもの。


この「むつ」が福島第一原発の事故を受け、汚染監視の海水を採取する役目を担っているというのだ。ただし、名前は「みらい」だそうだ。この記事「春秋によると、

74年、太平洋上での初の出力試験で微量の放射線漏れを起こし、改修工事を終えて再び出力試験にこぎつけたのが事故から16年後の90年。その翌年に念願だった「原子力船」の認定を受けたが、92年には原子炉を停止し、あえなく廃船・・・。いまはディーゼルエンジンで動く船だとのこと。

とある。

戦艦「陸奥」といい、この「むつ」といい、まるで名前が呪われているのかようである。

この記事。少々引っ掛かるのが「微量の放射線漏れ事故」という表現。僕の幼き印象では、どうもそんな風には世の中はみていなかったと思うのだが・・・。自らの責任には目をふさぎ、他人の責任だけを糺すというのはマスコミの常套手段だからな・・・。

今日はこれまで。

2011年6月11日土曜日

文華堂

九段下で働いていた頃、よく通った本屋があった。神田にある古本屋でその名を「文華堂」という。

昨日(10日)の読売新聞夕刊で、浅田次郎もそこへよく通ったということを読んで、久々にそこを思い出し、その店の醸し出す一種独特な匂い(古本の匂いだろう)までも眼前に広がってきた。

その本屋、「戦記・戦史」と「軍事」専門の古本屋なのである。 おそらくそこで買った古本は100冊を優に超えると思う。今から15年くらい前には1週間のうち何度も足を運び、そのたびに何かしらの本を買っていたように思う。

いわゆる「戦記」「戦史」を買わなくなってから久しい。

集英社が「戦争×文学」という全20巻+別巻1という全集を刊行したらしい。僕にとっては非常に興味をそそられる全集である。

震災後、学者やら政治家やらジャーナリストやら文学者やらの文章が多く読売新聞に載せられた。そのすべてを読んだわけではないのだが、僕が心を動かされた文章は、文学者の著した文章のみだった。他の人たちの文章は僕に何の感想も残さなかった・・・。

「文学者」に対して、そんな思いを抱き始めて読み始めたのが、川端康成だった。GW前のことだ。それ以来、まだ川端にはまっている。

今日はこれまで。




2011年6月10日金曜日

何と空疎な言葉だろう

頑張ろう日本

この言葉を目にしない日はないといっていい。震災からもうすぐ3カ月が経過するのに、被災地では未だ瓦礫の撤去も進まず、避難所に暮らしている人が多くいる。「復興」とは程遠い現状である。肉親を失い、住む家も職も失い、将来のことなど微塵も考えられない多くの被災した人びとに、はたしてそんな言葉が通じるのだろうかと考えてしまう。

もはや「頑張ろう」などという言葉は非常に空疎なものと感じられてしまうのだ。

僕は、震災直後にこのブログで「頑張れ」とは書いた。でも「頑張ろう」とはとても書けなかった。そう書くことにある種の恥ずかしさを感じたからだ。

震災1週間後、「東北関東で大地震その7」http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/7.html
で「挽歌」を書いた。死者の魂と生者の哀しみを鎮めるためだ。

その翌日の「その8」http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/8.html
では「祈り」を書いた。僕らにできることは、それしかないだろうと思ったからだ。

そして、今もその思いは変わらない。だから「頑張ろう」という言葉は書けない。大体何を「頑張れ」というのだろうか。いや、「頑張ろう」というのだから「頑張れ」とも違う。そしてそこに「日本」という言葉が入るに及んでは、一体何のことかわからなくなる。

思いもかけぬ犯罪、不慮の事故にまき込まれて哀しみに暮れるひと、茫然自失のひとに向かって「頑張ろう」などという言葉は決して書けないのに、ある意味同じような境遇に置かれた被災地の人にむかって、なぜそんな言葉使いをするのだろう。

もう少し、文明人らしいというか、宗教的感情をもったような言葉を使えないのだろうか、とつくづく思う。

誤解なきよう言っておくが、僕は多くの企業が売り上げの数%を寄付したりする、そういう取り組みを否定、反対しているわけではない。そういう行動は素晴らしいと思うし、各個人がそういった取り組みに賛同するのも当然だとは思う。ただ、その善意というか、「私」を棄て「公」に報いようという価値ある取り組みが、そんな空疎な言葉で表現されるのがおかしいと思うだけだ。

僕はひねくれているのだろうか。

今日はこれまで。

2011年6月9日木曜日

ダイヤモンドオンラインの記事から

この国の政治はなぜかくも劣化したのか――
被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった
「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労

と題した記事をダイヤモンドオンラインで読んだ。 

http://diamond.jp/articles/-/12568

「なぜかくも劣化したのか」という問いには僕ならこう答えたい。それは日本人の質、ひいては社会のありようが劣化したからだと。

この記事を書いた人は、その政治家を選んだ有権者の問題を等閑視している。 劣化した社会だからこそ、劣化した政治しかなせないのだし、「厚顔無恥」な「選良」しか選べないのだ。極めて当然なことではないか。そこを問わずして今さら何を言おうが、そんなものは一切無意味だ。読者を失うのがこわいのか?現首相がいかに無能であるかをいちいち挙げつらったって、この著者の疑問は解けない。

この著者、最後にこんなことを書いている。

方法としては、大統領型に近い首相公選制、あるいは各党の代表を首相候補として選挙を戦う(与党首が変わる場合は選挙を行う)といった仕組みが考えられる。

もう、何をかいわんや・・・情けなくて悲しくなる。 というか、選ぶ側の責任を考えない以上、こういう結論になるのは目に見えている。アホか!

一昨年、政権交代した直後の目の虚ろな御仁の支持率の高さををお忘れか?あれは国民が望んだ結果が実現したからではないのか。僕には「異常」な高さとしか思えなかったが、それを手放しに喜んだ多くの国民がいて、その結果があの支持率になったのではないか。首相公選制?そんなものを導入したって、結末は同じことになる。制度ばかりいじくりまわすのはある種の「病」だ。

ところが、その結末はどうなった?もう書くのもおぞましい・・・。

民主主義なんてのは、要するに多数決で物事を決めるだけであって、そんなものは「価値」でもなんでもなく単なる手段だろう。 それは大多数の意見ならばおおよそ正しいと仮定するから成り立つ仕組みに他ならない。これまでに明らかになったことは、明瞭である。

 それは、大多数の意見は間違うことが多いということ。

今日はこれまで。 

2011年6月8日水曜日

PC絶不調

ここんとこ、PCの調子が悪くて困っています。どう不調かというと、使っていると突然休止状態になってしまう症状が頻発するのです。一度その事態に陥ると、何度か起動後すぐに休止となってしまい、その間全く作業ができなくなります。

かなり前からその症状はたまにあったのですが、最近は1日に数回はその症状に見舞われます。ホントに困る・・・。PCの買い換えを検討してます。

そういえば、以前この症状を製造元とか、Microsoftとかにメールして対処方法を尋ねた時、いくつかの解決策を提示され、最終的に改善がみられない場合には、初期化してくださいといわれた。まあ当然の処置なんだろうけど、初期化に多くの時間がかかり、その後にもどれほどの面倒な作業があるかを知っているくせに、簡単に初期化しろとかいわれてムッとした記憶がある。

PCの不具合はホントに困る・・・。

今日はこれまで。

2011年6月7日火曜日

人物相関図をみて

民主党の人物相関図で今さらながら驚いたことがあります。

岡田幹事長はただの一人も子分がいないこと。おいおい、仮にもかつては民主党の代表を務めた男だろ。一人も子分がいないとは一体どういうこっちゃ。

様々な記事をみても、彼は「原理主義者」「政策バカ」とかの単語だらけで、人望がまったくないことがわかります。そういう人間は政治家なんか志してはいけませんよ。確か、彼は通産官僚あがりでしょ。前例ばかりを気にする官僚が丁度いい器ですね。

上に頂く人間がどうしようもない人間だから、その陰に隠れてあまり目立ちませんが、かれは党の幹事長として、統一選の大敗北の責任はとらなくていいんですかね?今回の首相の退陣云々の問題でも彼の不手際は目にあまる。

岡田なる人の選挙区がどこかは知りませんが、もう二度と彼を議員にしないように・・・。あと、目の虚ろな、ペテン師のくせに他人をペテン師と罵る人の選挙区の皆さんにも、同様のお願いをします。

借りた側だけでなく、貸した側の責任も問われて当然なケースもあるのだから、選ばれた人間だけに責任をおしつけるだけでなく、選んだ人間の責任も問われてしかるべきだと思います。

今日はこれまで。


2011年6月6日月曜日

この国をどうする気ですか

本日の日経5面。論説委員長なる人がタイトルの言葉を冠して書いています。

民主党に票を入れた多くの人も、政権運営についてのごたごたはここまで酷いとは思わなかったとは思いますが、まあ甘言に弄されたのでしょう。記事には幹部クラスに組織運営の経験のないメンバーが多いことをその失敗の原因に挙げています。確かにそうなのかもしれません。大体、今の首相からして20代の意気盛んな時期に担いだのが市川房江という当時高齢の女性運動家ですからね。僕からすれば、「なんだかなぁ・・・」と思いますが。

この論説委員長、筆の終わりを以下の言葉で締めくくっています。管直人首相と前首相との3項目の覚書の最後にこう付け加えてくれと・・・。

この国を壊さないこと

今日はこれまで。

2011年6月5日日曜日

親の役割

梅雨の晴れ間というのでしょうか。昨日は久々に空は晴れ渡って気持ちのよい晴天でした。さわやかな日でしたね。

娘の運動会でした。

例年9月に行われていたのが、なんか「倒れる」児童が多いということで6月に持ってきたらしいです。昨日も日向はかなり暑かったですが、残暑とは異なり湿度が低かったので日陰にはいればひんやりと感じられました。子どもたちも9月の時よりは過ごしやすかったと思います。

子どもの学校行事は僕等の時代と比べてホントに大きく様変わりしました。運動会に大勢の父母が来るなんて、僕等の時代には一切なかったこと。それに「父親」なんて、どこの家でも学校の行事には来なかった。今はホントにすごいですね。かくいう僕も子どもの行事はほとんど観に行きますが・・・。

父親が家庭教育やら学校教育にかかわるようになって、少しは家庭やら学校は、そしてこどもは「よく」なったのだろうか?ちっとも変ってないと思うのだが・・・。

今日はこれまで。

2011年6月4日土曜日

底の浅さ

昔、僕は映画観賞をも趣味として憚らなかった。本数は大したことないが、ハリウッドの大作映画ではなく、どちらかといえば誰も知らないようなマイナーな映画を観ることを趣味としていた。だから僕は映画の話になると、一押しの映画として「グッドモーニング・バビロン」という映画を挙げる。これまでその映画を「あ~知ってる知ってる」と相槌を打ってくれた人は、自身が映画評論の文章を書いている人たった1人のみだった。

僕は日本映画はまず観ない。観ようという気すら起こらない。描かれているものがあまりにも皮相で、日本の社会の「浅さ」が透けてみえるような気がして悲しくなるからだ。僕はそれを「セント・オブ・ウーマン~夢の香り」という映画で思い知らされた。この映画は割と有名だと思うが、アル・パチーノ演じる盲目の退役軍人と、彼の世話をする大学生の物語。

僕はそれを観て、日本は絶対にこのような映画を作ることをできないと思った。「社会」の格が違いすぎ、それに相応する「文化」の層の厚さもアメリカと比べてでさえ日本は比較にならないと感じた。

多くの人は社会という枠の中から飛び出すことはできない。社会というより、「時代」という時間だろう。日本もかつてはこんなに薄っぺらい社会ではなかったからだ。


 三木武吉。

三木 武吉(みき ぶきち、1884年8月15日 - 1956年7月4日)は、日本政治家鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った。
(出所:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%90%89


Wikiにも詳しく彼のエピソードが出ているが、僕は有名なエピソードだけを覚えていて、それが果たして誰のことだったかその名前を思い出せなかった。その名前をつきとめようと検索したワードは「妾3人 政治家」で、それに引っ掛かったのが彼であり、Wikiを読んでまさしくこの人だとわかった。詳しくは上記を参照してもらうとして、紹介したかったのは、僕がググった「妾3人」というエピソード。

彼は、日本独立回復後の初めての総選挙の立会演説会で、対立候補から「ある有力候補は妾を4人も抱えている。こんな破廉恥、不道徳な人間に政治家が務まるか!」と名指しはされないものの批判され、彼は自ら答えて曰く

「ある人が妾4人を囲っている有力候補がいると批判されていましたが、その有力候補というのは私であります。」と自ら公言し、次いで「正確を期すためにお話ししますと、4人ではなく5人です」と言い放ったのだ。そして今ではを年老いた妾を老馬にたとえ、

「役に立たなくなったからといって棄てるような不人情は私にはできません。だから今でもかこっております。

といい、会場から拍手喝采を浴びたのだ。

何と剛毅な人物だろう。そしてそれを受け入れた当時の社会にも関心してしまう。今の社会なら当然のごとくマスコミに叩かれ、当選することなどおぼつかないだろう。「女性蔑視」だとして、総スカンをくらうのは目に見えている。そんなことを目くじらたてて言う人間の世界と、「雪国」で描かれた世界では絶望したくなるほどの断絶がある。

おそらく、その断絶がこの国をかくも平板な薄っぺらいものに仕立て上げている。人間はそんなに偉いものでもないし、ましてや男女の愛情など徳義だけで割り切れるものではないことは皆分かっているはず。わかっていても口にせず、あたかも「知らない」「存在しない」とすることが社会の、大人の知恵でもあるのに・・・。まえに大相撲の八百長問題でもここで書いたことだ。

いつもマスコミは政治家を貶める。それが読者の意に添うことだとわかっているからだ。そして決まって「強力なリーダーシップが求められている」と主張するのだが、いざそれを発揮する政治家が出ようものなら、「民の声を聞け」とその足を引っ張る・・・。アホか。「今太閤」「庶民宰相」と、その誕生時にはさんざんにおだてあげた田中角栄を、その最後には「金権体質」とこき下ろしたのは一体誰だ?

幼児のような「いいか悪いか」という二項対立の世界観など、現実の社会では全く意味をなさないことは普通の大人なら当然わきまえていよう。それがなぜマスコミの風潮はそれを無視したようなことをまき散らすのか。そしてワイドショー番組でまじめぶってコメントする芸人。芸人ならたとえば「妾くらいもって何がわるい」くらいはいうべきだろう。なぜ急に良識ある風を装うのだろう?社会のコードをひっくり返して笑いをとるのが芸人だろうが。

何故、こんな薄っぺらい社会になってしまったのだろうか。


政治家の質は、とどのつまりその政治家を生む社会の質に他ならない。冒頭の映画の話と同様、日本の今の社会からは、歴史に名を成す名政治家など生まれっこない。「最低最悪の総理大臣」には多くの人が名を連ねるのだろうが・・・。

最後に書いておく。菅直人をうそつきペテン師と読んだ件の人も、りっぱな嘘つきでありペテン師であるということ。もっというなら、予算の組み替えだけでばらまき予算を確保できるといった民主党こそがその元締めである大ウソつきであるということ。

今日はこれまで。








2011年6月3日金曜日

茶番というのも憚られる

あっけなく何の面白味もないままに不信任案は否決されてしまいましたね。

昨日のお昼に管直人首相が

原発の処理と震災の復興が一区切りついたら辞任する

と述べ、それを大方の人間は「諒」としたらしいですね。でも、そもそも「お前が首相では原発も片付かず、震災の復興もできない」として、反旗を翻したのではなかったのでしょうか?ならば、彼の辞任の前提となる「一区切り」までという時間に反対しなければならんでしょ。その「時間」をともにすることができないということだったから・・・。

でもやはり「嘘」だったわけですね。もう「?」だらけです。意味がわからん。

ホントに菅直人というのはある意味すごい人間ですね。野党や与党の中からも大きな声が上がっていた国会の会期末延長を頑なに拒んでいたのは、サミット前ですよ。僅か1週間くらいのこと。それが、先日の国会では延長どころか、「通年国会」とまで言い切ってましたよ。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと・・・。

こうして文章にするだけで気分が悪くなるわ。

でも、菅直人首相は、退陣とはいいつつもその時期を明確にしておらず、目の虚ろな人は「6月中と認識」し、岡田フランケン幹事長はそれを否定している。このそれぞれの言い分は、同日のことですからね。まだまだゴタゴタすることは必至。


今日はこれまで。

2011年6月2日木曜日

ショーとしては面白い

昨日(1日)、ついに内閣不信任決議案が提出され、本日中に採決されるんだとか・・・。

与党民主党からどの程度の造反者が出るのか非常に興味深い。報道によれば小沢系の議員はほぼ不信任案に賛成する模様らしい。その騒ぎの中で目の虚ろな御仁までしゃしゃり出てきて、不愉快極まりない。

確かに、今の総理は行き当たりばったりで、何のグランドデザインも示さず口当たりのいいことばかり撒き散らすとんでもない人間ですが、サミットで放言した「1000万戸に太陽光発電」も、帰国後「聞いていない」と不満を漏らした閣僚に陳謝したらしいですな。もうアホかと・・・。

でもですねぇ、仮に総理が変わったとして他に誰か適当な人間がいるのでしょうか?それに自民党も可決された場合、その後いかなる政権とするのかの明確なビジョンがないらしいし、一体どうするつもりなのか。中には小沢一郎らと連携すべきだとの声もあるらしいですが、もしそんなことになったら、自民党は終わりだな・・・。

あくまでも「ショー」としてなら面白いけど、この騒動を真剣に考えると非常に奥が深く、根源的な問題につき当らざるを得ない。それは現総理を支持し、彼に投票した人がいること、そして民主党に票を入れた多くの人の存在だ。彼らの責任は一体どうなるというのでしょう。首だけすげ変えても結局はまた同じことの繰り返しになるだけでしょう。選ばれた人間が能力がないと責められるのなら、その選んだ人間の責任はどうなるのか、物事の筋道から考えても一方の責任だけを問題とし、もう一方を不問に付すことはできないと思いますが、いかがでしょう。

もういい加減に民主主義などやめたらどうか、とでもいいたくなるような思いです。

明日、ここでどんな事を書くことになるのか・・・。

今日はこれまで。




2011年6月1日水曜日

功利主義


「伊豆の踊子」を初めて読んだ。

小学生の時三浦友一・山口百恵主演の同名映画を観に行ったことがあるが、よくわからなかった。湯船から上半身を出して手を振る百恵ちゃんのシーンだけを覚えているだけで、それ以外は何にも覚えていない。5月のGWから「雪国」を読み、そのまま川端康成にハマった延長である。

驚いたことに、それは僅か40ページ前後の短編小説であった。

川端康成の文体は、非常に美しい。ただ、それは太陽の下で輝く文体ではなく、どちらかといえば闇夜を照らす、ろうそくのか細い炎のような美しさである。そのか細さが、かつての僕はどうも好きではなかった。

「微熱のあるような文章」と彼の文体を表現したのは誰だったか・・・思い出す事ができない。もしかしたらそう表現したのも彼の文章ではなかったかもしれない。でも、少なくとも僕は、彼の文章に対してそう表現することに違和感はない。


「処世」。

おそらく、川端康成だの夏目漱石だの、純文学というものははその言葉とは正反対にある。読んで「ため」になるものではないし、流行りの「自己実現」に資するものでもない。ただ、よく考えてほしいのは、そう考えることが功利主義的であり、「功利主義」というのは「近代」というものが生んだ「病」の一つかもしれないということ・・・。

そして「近代」とは、「自然」の前にもろくも崩れ去るということ・・・。

今日はこれまで。

2011年5月31日火曜日

Tシャツ・Jeans

考えてみたら、僕は22歳からこれまでの間、ネクタイ・スーツ姿で仕事というのは合わせても4年ほどしかない。ずっとTシャツにJeansで通してきた。何もスティーブ・ジョブズのようにと思ってたわけではない。ただ、ホリエモンが騒がれた頃にはちょっと閉口した。彼のスタイル・センスと比べられるのはちょっとねぇ・・・。

僕も最初からそういうスタイルだったわけではなく、最初はずっと襟付きの長袖シャツで通していたのだが、そのうちTシャツでもクライアント先へ行くようになっただけ。まあ、プランナーという肩書もあったので、ある程度は自分のセンスも売っていたわけであるが、クライアントはおそらくそんなセンスなどちっとも理解していなかったと思う。どうでもいいことなんだ、そんなもの。

スーパークールビズとかいうものの浸透が図れるか否か・・・。そんな言葉はどうでもいいですが、「ポロシャツで商談できない」とかいってますが、頭が固いな。思い込みに過ぎないでしょ。服装規定なんてあるのが僕には考えられない。

今日はこれまで。
 

2011年5月30日月曜日

亡くしたもの

グアム島はリゾート地として多くの日本人が訪れる島、かつてそこは玉砕を禁じられた島であった。

米軍上陸1週間後の7月27日(昭和19年)、大本営から重要電が届く。
貴官ハ万策ヲ尽クシテタトヘグアム島ノ一角ナリトモ可及的長期ニコレヲ確保サレタシ
米軍は7月29日に星条旗を掲げて以降掃討戦にはいる。この時、日本軍の兵力約5千人。遊撃戦に奮闘するも8月12日に

ここに内地との連絡を絶つ

という決別電を送ることになる。組織的戦闘の終焉である。敗残の兵1千人は、二手に分かれて更に戦い続けた。一方は、昭和20年9月4日に停戦に肯んじたが、残る一方にはその時でさえ300名を超す人間が投降を拒否し続けた。

昭和35年5月に、最後の日本兵二人が投降した。

しかし、最後ではなかった。昭和47年、横井庄一氏が生還したのである。

恥ずかしながら帰って参りました

これが帰国後の第一声であり、当時の流行語にもなった。
当時の社会に与えた衝撃は相当のものだった。

さて、その横井氏が帰国後初めて靖国神社へ参拝した時に発した言葉が

天勾践(こうせん)を空(むな)しゅうすることなかれ
時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず

であったという。「天は勾践を見放すようなことはしない、必ず范蠡のような忠臣が現れて助けてくれる」といった意味か。児島高徳がひそかに桜の幹に書き記して、後醍醐天皇に奉った詩の句とされる。

横井氏がどんな心境でこの詩を読んだのかわからない。天皇陛下を勾践となぞらえたのだろうか。だとしたら、まこともって絶妙なものであると言わざるを得ない。幼き日に学んだ児島高徳の事を思い出したのだろう。彼は高等教育は受けていない当時の大多数の日本の庶民である。

これを諳んじている人間が今どれほどいるだろう。
僕らの国は、ホントに実に多くの言葉を亡くしてしまった。

今日はこれまで。

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2011年5月29日日曜日

憧憬

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとめるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に来り石投げて遊びくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしを思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそなくべかりけれ 
萩原朔太郎

僕の好きな詩なんですが、文語というものの持つリズムや言い回しが、到底今の僕には使いこなせないものなのであこがれみたいなものを感じてしまいます。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

これは、当時の広い世界に対するあこがれが 胸にスーッと入ってくる。最早、当時の人々のその気持ちは僕らは持ち得ません。

今の世が幸福なのか不幸なのか。
どっちなのか・・・。

本日(28日)の日経最終面に歌人佐々木幸綱が「詩歌に賞味期限はあるか」ということを書いていました。中村草田男の

降る雪や明治は遠くなりにけり

が、高校の教科書から「遠くなりすぎた」という理由で削除されたらしいのですが、それについての違和感を記しています。前にもここで書いたかもしれません。この句は昭和6年に詠まれたものなので、ちょうど今(平成23年)になって「昭和」を偲ぶような、そんな時間間隔です。その時間間隔への草田男の哀しみは、「20世紀少年」をみて昭和を懐かしんだ世代と共通しているかもしれません。懐かしさは、時に胸を締め付けるような哀しみになりますからね。

さて、とするならば詩歌に賞味期限なんぞあるわけではなく、 その削除に賛成した検定委員の人びとの判断には疑問符をつけざるをえません。


今日はこれまで。

2011年5月28日土曜日

原発 日本不信ぬぐえず

本日(28日)の日経1面。

「原発日本不信がぬぐえず」 が記事タイトルに踊ります。正鵠を得た内容で溜飲を下げました。サミット開幕前の25日の日仏首脳会談の様子を次のように伝えています。

「原子力か、原子力なしか、という議論は適切ではない」。25日の日仏首脳会談。太陽光などを柱に育てると意気込む首相を、サルコジ仏大統領は突き放した。「フクシマ」を脱原発につなげたくないというのがフランスや米国の思い。それが伝わらない。

以前、ここでも書きましたね。福島原発の事故処理に対するもたつきは、同じく原発を抱える各国の国益を損なうことになる。日本に対する支援の申し出は必ずしも日本を心配してだけのことではないと・・・。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/4.html

こんな当たり前のことすら認識していたとは思えないですな、この国の総理は・・・。記事によると、サミット開幕の冒頭でその人は、自然エネルギーの割合について、「俺は2030年に30%といいたい」と官僚に注文を付けていたらしいですよ。官僚には「数値の根拠がない」、「国会答弁に耐えられない」とたしなめられて、予定通り「20%」となったらしいです。

僕がその官僚だったならば、たぶん怒気を含んでこう言ったと思います。

世界が今日本に望んでいるのは、 そんな将来のことではなく、今この原発の問題をどう処理していくかがである。そして原子力の信頼、安全を日本の技術力がどう担保していくかということのはず。将来の20%が30%になろうと、今は大した問題でない。それにこだわることは脱原子力というイメージを世界各国に与えてしまう。それでは各国が黙ってませんぞ。日本の国益だけでなく、世界の国益を損なうことになる。

とまあ、こんなことを言えなかったのでしょうかねぇ。近視眼も極まれりですな。記事にはこうもあります。

ほかの先進国が歴史的な近く変動とも言える中東・北アフリカの民主化や、政府債務の信認危機といった新たな変化とリスクに向き合うなか、日本は取り残された。

自国だけのことにかまけて世界全体に目を向けずに、それについての何の発信もできない。これは今の政権だけのことでなく、古くは第一次世界大戦後のパリ講和条約時にもみられたことなので、どうも日本という国の限界かもしれませんね。この話はいずれ書きましょう。

今日はこれまで。



2011年5月27日金曜日

海軍記念日 空気

5月27日、本日は海軍記念日です。これは「日本海海戦」大勝利をおさめた日を記念したというわけで、同じように陸軍記念日というのもあって、こちらは「奉天会戦」が行われた3月10日です。どちらも日露戦争での出来事で、あれにより日本が世界列強の中に入って行ったわけですので、それを記念顕彰しようというのはよくわかります。

しかし、その後の歴史をみると日露戦争での日本の勝利は多くの弊害を残したように思います。たとえば、「精神力偏重」ということでしょう。勝利の原因を日本軍人の艱難辛苦によく耐える精神力としたわけですからね。

日本海海戦で一躍国民のヒーローとなった東郷平八郎もは、彼我の物理的戦力量を正確に認識していたからでしょう、その不足を補うために猛烈な訓練を施します。そのこと自体はいいのですが、後に

百発百中の砲一門、能く百発一中の砲百門に勝る

という事を言い、「月月火水木金金」といわれるもう訓練を海軍に遺しました。極めて精神的なもので、戦力というもののもつ物理的・精神的要素のうち、物理的なものを捨象したようなものですね。砲は1門より100門の砲がいいに決まっている・・・。

日露戦後は、陸海軍だけでなく政府、一般国民のうちにもこういった「空気」を蔓延させました。誰も言葉で言ったわけでないのに、いや言葉でないからこそ否定できないもの、それが「空気」です。

もう言葉にしたくないですが、原発注水の中断問題。今になって注水中断はなかったとか新聞報道にありますが、そこで目にした記事に「官邸はそんな空気ではない」ということが、東電に伝えられて東電はそれにあたふたしたと・・・。

またもや「空気」か・・・。

この国は何にも変わっていない。何にも変わっていないこの国が、なぜかつてのこの国の歴史を否定したりできるのか・・・。目くそ鼻くそを笑うと同じようなものです。

今日はこれまで。

追伸)山本七平に「空気の研究」という本があります。名著だと思います。日本人の集団の中で、それがいかに大きなものなのかがわかると思いますよ。












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2011年5月26日木曜日

戦艦大和ノ最後 初出テクスト

昨日、ちょこっと書いた吉田満の「戦艦大和ノ最後」は、格調高い文語体で綴られた鎮魂の賦だが、現在世に出ているその本(初版)の最後の文章は

「徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米 今ナオ埋没スル三千ノ骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」

で終っている。

「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日を以て書かれた」と。著者は初版あとがきで述べている。これは日本が独立した直後昭和27年に出版 されたもの。実はこれの公刊が試みられたのは昭和21年12月に発行された雑誌「創元」であり、占領軍の検閲にひっかかり、日の目を見ないで葬られた。

その後、昭和23年には吉田健一(吉田茂の息子で英文学者)→吉田茂首相→白洲次郎経由で、占領軍の検閲解除を諮ったがこれも叶わなかった経緯もある。

二度の公刊を妨げられた著者は、それでも諦めず、昭和24年文語体を口語体に改めて書き直し、「小説戦艦大和」として初めて世に問うた。内心忸怩 たるものがあったことが容易に想像できるが、これを著者は「約三年前、或る特殊事情のために、本篇は極めて不本意な形で世に出ることを余儀なくされた」と 前出初版あとがきで述べている。何故「特殊事情」を「検閲」と書かなかったのだろうか。

昭和21年、彼が公刊を試みたその作品は、初版本とはかなり異なっており、最後の数行は以下のようになっている。

サハレ徳之島西方二十浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四百三○米 乗員三千餘名ヲ數ヘ、還レルモノ僅カニ二百數十名 至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ」

作品の掉尾、僅か数行だけでさえ作者のメッセージは大きく変わっている。これに比べると、現行流布版の初版と題されたものでさえ、通俗的な「戦争 は嫌だ」「戦死者は可哀想」的なものになってしまっていると僕は感じる。著者の胸中にいかなる変化があったのか、今となっては知る術もない。

この初出テクストを米国メリーランド大学付属図書館から発掘した江藤淳は、それを「敗北」とみている。何にか。「戦後思想」にである。

「(前略)このような敗北が吉田氏のみならず、いかに多くの人々の内部で起ったか。それをわれわれは、敗北とは名づけず、”平和”と”民主主義” の獲得と呼んだ。もしそうであるとすれば、この場合、”平和”と”民主主義”は作品の決定的な価値を犠牲にすることによって、はじめて「獲得」されたのである」
出所:「1946年憲法その拘束/江藤淳/文春文庫」

今日はこれまで。

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2011年5月25日水曜日

平安

僕と同い年の友人。

彼は一人っ子で、確か中学生の事に父親を亡くし、母親一人に育てられた。その母親も3年前に亡くなり、彼の新築の家の仏壇に今はお二人ともおさまっている。

先日、仏壇にまいっているときに、彼の若い父親は、年をとってから亡くなった彼の妻(友人の母親)をどんな顔で迎えるのかなと考えたりして、なかなかその前から立つことができなくなった。死者は永遠に若いままだ。


故人老いず生者老いゆく恨みかな

という菊池寛の歌を以下のようにもじった人がいた。

故人老いず生者老いゆく痛みかな


吉田満。「戦艦大和の最後」の著者といえばわかってくれるだろうか。吉田にとって故人とは、亡くなった戦友であり、自らは生き残ったことへの負い目を「恨み」より「痛み」というもっと強い言葉で表現したのだ。

ホーキング博士が「死後の世界などない」と断言して、宗教界から抗議の声があがっているらしい。博士は、宇宙の誕生もすべて物理法則で説明できるため、神はいらないと言っているが、僕は死後の世界はあるかないかで考えるべき問題ではないだろうと思っている。そうではなくて信じるか信じないかの問題なのだ。この僕は、死後の世界というより、魂の不滅を信じているので、その魂の出会う場所が「死後の世界」というところならば、それはきっとあるのだろうと信じている。 そして、なによりもそれによって心の平安が保てるなら、そう思ったほうがいいだろうとも思っている。

死者に向かって「また逢いましょう」と声をかけるのは、いずれ自分もそこへ行く身だからということを確認する大事な儀式のような気がする。

というようなことを仏壇の前であれやこれやと考えていた。

今日はこれまで。

2011年5月24日火曜日

領域

今年四歳になる娘には「ちちうえ」と呼ばせている。特に理由はないが、「パパ」より「おとうさん」より、僕にはその方がいいと思ったまで。

世にたったひとりの僕を呼ぶ声が、昔読んだ寺田寅彦の随筆を突然思い出させた。
大学の構内を歩いていた。病院の方から、子供をおぶった男が出てきた。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄くらいの大きさの疣が一面に簇生していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
(大正十二年三月)

余計な講釈はいるまい。



2005年の僕の年賀状の文章からとりました。

この時4歳だった娘は早10歳になろうとしつつあり、幼女から少女へと成長しています。男親だからなのか、その成長が少々複雑です。ずっと幼女のままでいればいいのにと思ってしまう気持ちがあるからです。その気持ちは何ともいえぬものです・・・。

さて、寺田寅彦。
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年明治11年)11月28日 - 1935年昭和10年)12月31日)は、戦前日本物理学者随筆家俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京市)。(出典:Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6)

物理学者でありながら、彼の随筆は非常に豊かな文才が溢れています。「柿の種」という随筆集が出ており、僕はそれを読んだわけですが、「寺田寅彦全集」も出ていることから考えても、彼の本職が物理学だとは到底思えないほどです。


天災は忘れたころにやってくる

と言ったのは、確か彼だったと思います。記憶が不確かですけど・・・。

かつての帝国に住んだ日本人は、学者とはいえ専門バカになることなく、実に深い教養というか、文学的素養を身に着けていたのですね。領域が非常に広くかつ深い・・・。そして、その感性もこの短い文章を読むだけで素晴らしいものだとお分かりになるはず。
それと比べると今の時代の人たちは実に狭量な知識の上でしか物事を書いていないことがよくわかります。もちろん僕自身も含めてです。

今日はこれまで。 



2011年5月23日月曜日

いい加減にしろ!その2

あきれ果てて心底厭になる・・・。

海水注水を中断した事を巡っての記事です。名指しで挙げられた斑目とかいう人が「名誉棄損だ!
私の原子力専門家としての生命にかかわる」とか言って激怒したらしいですが、心底激怒し、許しがたいと思っているのなら、その事を表明したうえでさっさと政府の専門委員を辞職したらいい。それをしないで、あ~だこ~だ文句をつけても所詮は、政府の御用学者としての報酬か名誉か、どちらかしりませんが、それについて執着しているのでしょう。往生際が悪いわ・・・。政府の対応を批判して先日辞職した政府委員がいましたが、そちらの方がよほど立派・・・。

一方、政府の方はといえば「危険性」を「可能性」に訂正したりしてその委員の激怒をなだめすかしているようですが、問題は政府の指示で注水を中断させたかどうかということでしょ。政府はそれを認めておらず、すべて東電がやったこととしたいようですね。何とまあ情けない。責任のなすりつけ合いは見苦しいの一語につきる。

このような政権に、ホントに日本を任せられるのか?

今日はこれまで。

2011年5月22日日曜日

いい加減にしろ!

本日(22日)の日経の社説。

またもやTPPのこと・・・。参加決定を先送りにした菅総理を「平成の開国が泣く」とかいっています。 いや、ホントにいい加減にしてほしいよ。

僕の意見が間違っていて、日経の記事が正しいのかもしれません。正誤の問題ではないのです。意見の対立はあって当然です。とやかくは言いますまい。何度も言っているのは、「平成の開国」などという中身のない嘘の言葉を使うなということ。社会の木鐸が聞いてあきれる。

そういう二項対立の幼児の世界観を持って国策を論じる愚かさを知れ!


今日はこれまで。

2011年5月21日土曜日

今さらそんなことを言われても

東電格付け、7段階以上引き下げの可能性も

格付け会社ムーディーズ・ジャパンは19日、記者説明会を開き、金融機関が東京電力向けの融資の債権放棄をした場合、現在「Baa3」となっている東電の長期格付けを7段階以上引き下げる可能性があることを明らかにした。(読売新聞)

5月19日のYahooニュースの記事です。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/credit_ratings/?1305810341

社会主義者の枝野官房長官は、東電には「無限の責任がある」と公言しました。その「無限の責任」を負っている会社に、投資する人間などどこにもいないと考えることが極めて自然なことです。格付けが下がろうが今さら何の関係もないですよ。社債や株式の発行など当面は不可能でしょうからね。

と僕は思ってしまうのですが、違うのかな。

今東電は叩かれまくってますが、震災前は超優良会社として生保やら、国の基金やらが運用先として重宝していた会社でしょ?超安全株として。東電株を持っている多くの会社も、かなり決算時には評価損を出しますね。もう売っちゃったのかなとも考えますが、どうでしょう。

しかし、国が完全に後ろ盾についているのに、純粋な民間会社という定義は何でしょうね?国は厄介な原子力発電所というものを、すべて民間会社を矢面に立てて自らは頬かむりしていたわけですよね、これまでは。考えてみたらずるいことです。これからはそうはいかなくなる・・・。

今日はこれまで。



2011年5月20日金曜日

管直人内閣総理大臣殿

という書き出しで始まる一文を、西岡武夫参院議長が読売新聞に寄稿しました。

菅首相、貴方は即刻、首相を辞任すべきです。

とストレートな物言いで始まり、彼にはこの国難を乗り越えるにに必要な「必死さも、決意も、術もなく」と一刀両断に斬って捨て、最後は以下のように締めくくられています。

私は、いま、己の長い政治経験と、菅政権を誕生させた責任を感じ、断腸の思いです。
読売新聞によれば、三権の長である参院議長が、行政府の長たる首相の退陣を求めるのは極めて異例とのことらしいですが、ホントにそうですね。よほど腹にすえかねたのでしょう。

しかしながら、この西岡なる人も本当に責任を感じているのなら、せめて自ら職を辞すくらいは必要ではないか?「責任を感じ、断腸の思い」であるなら、その責任は一体どう果たすつもりなのか?

その決意もないくせに、ただその言葉を口に出されても「口先だけ」と思われる。そしてますます「言葉」の重みが喪われていく・・・。そのことの弊害も、菅総理が辞職しない以上に大きいことを忘れてはいけません。

もっと言うなら、教養のかけらも、彼の断腸の思いも、そんなものはみじん感じられぬ文章なのには驚いた・・・

今日はこれまで。

2011年5月19日木曜日

佐倉惣五郎

4年生の娘には毎日「音読」という宿題がでます。昨日テンポよく読んでいたのは

一番はじめは 一のみや
二は 日光の東照宮
三は 佐倉の惣五郎・・・と十まで続くもの。


さて、佐倉惣五郎。

江戸時代、4代将軍家綱の時代1650年前後の人です。戦前に学校教育を受けた人ならほぼ間違いなく知っている名前だと思いますが、戦後教育の中では完全に抜け落ちた人の一人です。彼は「義民」として語られる人で、下総国印旛郡公津村の名主でした。今でいう千葉県佐倉市です。

領主の過酷な圧政に苦しんでいる村の人びとのために、その窮状を藩に訴え、それが功を奏さないとみるや、将軍に直訴までした人物です。将軍に直訴した罪で彼は磔の刑に処され、その妻子までも同様に処刑されてしまいます。しかしながら、彼の命をかけた訴えによりその領内での藩主の圧政はやんだと言われます。

何ともすさまじいほどの「義」を貫いたわけですが、後に福沢諭吉は彼をこのようにいっています。

人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉惣五郎あるのみ。
「学問のすすめ」第七編にある文章です。この第七編は「国民の職分を論ず」と題されたもので、政府がその分限を越えて暴政を行うとき、人民の分として為すべき挙は3つのみとして以下を挙げています。

節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守りて身を棄つるか

そして、次のように言います。
以上三策のうち、この第三策をもって上策の上とすべし。
この第三の策は、
正理を守りて身を棄つるとは、天の道理を信じて疑わず、いかなる暴政の下に居ていかなる過酷の法に苦しめらるるも、その苦痛を忍びてわが志を挫くことなく、一寸の兵器を携えず片手の力を用いず、ただ正理を唱えて政府に迫ることなり。
ということなのです。ですから、福沢は佐倉惣五郎を前述のようにいうわけですね。

ちなみに佐倉惣五郎は、その実在が疑われた人物でもあり、当然のことながらその義挙も本当にあったことなのか否かに疑問符が付いているようです(実在は確からしいですが・・・)。それが事実が否かはあまり重要なことではなくて、この義挙がたとえ作り話であっても、江戸時代からずっと「人」の生き方として伝承されてきたということに大いに価値があると僕は思っています。

今日はこれまで。

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2011年5月18日水曜日

今日もいいたいこと2つ

福島原発では、既に3月11日の段階で炉心のメルトダウンが始まっていたことが今になって明らかにされました。すなわち、震災直後にです。

今でも明確に覚えていますが、枝野官房長官は会見でそれを否定していました。

ところが、アメリカGEの技術者たちはそれを見抜いていて、その危険性を助言していたんだとか!正確にいえば、その可能性が高いということを日本政府にも言っていたらしい。月曜日のTVタックルで知ったことです。なるほど、だから諸外国の大使館員たちは一斉に東京から逃げ出したのか・・・。今になってその理由がわかりました。

一体、日本政府は何をやっていたのか?とんでもないことです。なぜ、アメリカの意見を素直に聞かなかったのでしょう?言語道断です。

新聞にも盛んに書かれていますが、東電だけに責任を負わせて国の責任は一体どこにいったのでしょう?原発は国の政策にのっとって進められていることで、その安全基準なりなんなりはすべて国がお墨付きを与えているわけでしょ。そしたら、国の責任が免れうるわけがない。


さて、二つ目。大阪府の橋下知事が、「国家斉唱」で起立しない教職員を免職することを定めた条例を議会に提出するのだとか・・・。ソースは読売新聞。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110517-00000478-yom-pol

極めて当然のことですね。大体、思想信条の自由とかいって個人のわがままが許されてきたこと自体が問題だと思う。これまでは極めて軽い訓告といった処分でしかなかったことが不思議です。世界中、どこに「国歌」に対しての不敬が思想信条の自由として許される教師がいる国があるのか、この知事の提案に反対する人は示してほしい。そんな国は皆無ですよ。この国の極めて特殊な「戦後」の空間が作り出したアホな空気以外何ものでもない。

今日はこれまで。


2011年5月17日火曜日

季節

あまりタイムリーではありませんが、銀杏の葉も見事に復活してきてます。銀杏は12月までその葉を黄色くしながらも残していますから、春の息吹もかなり遅いのですね。なんかそんなことを初めて考えました。春から初夏への移り変わりを気にしているということです。

今年の4月は例年と比べて少し寒かったような気がします。5月になってからも急に気温のさがる日があったりと、どうも妙な感じです。そしてもうすぐ入梅だし・・・。

年が明け今日で137日目。時間の経つのは実に早い・・・。

月日は百代の過客にしてゆきかう人もまた旅人なり

今日はこれまで。


2011年5月16日月曜日

5・15事件

昭和7年(1932)の5月15日。

今から79年前の昨日は、ご存じのとおり5・15事件の起きた日でした。前に、同事件に関しては書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/blog-post_13.html


あの事件の処理は非常にめちゃくちゃで、国を覆うかのような事件実行犯に対する共感の嵐で法の執行が曲げられたような、そんな感じです。一国の首相を殺害した事件に関わらず、事件首謀者への懲役15年が最も重い量刑で、従犯である民間人のもっとも重い量刑が無期懲役というもの。

殺害された犬養毅の娘が「まるで殺害された方が加害者」であるかのようだったと当時のことを述べてもいます。

「気持ちはわかる」

が、一般国民だけでなく軍の上層部、あまっさえ裁判の判士までの共通の言葉で、被告の陳述に涙を流すといったふうでした。

この事件の裁判は、法律にのっとった公開の裁判でしたので、被告の陳述のすべてを国民は知ることができ、事件実行犯らの思いに涙を流して共感した国民は減刑嘆願書を送るようになります。その数何と100万通!被告らの思いは存分に披歴することができたからです。

後の2・26事件裁判は非公開でしたので一切が閉じ込められ、被告らの声は国民に届くことはありませんでした。

そんな彼らの弁護人。僕が2・26事件ついて書こうと思った理由の一つにはそれがあります。

今日はこれまで。

2011年5月15日日曜日

正気ではない・・・その2

以前、日経社説の「TPP参加を急げ」をここで批判しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html

TTPについては、朝日・毎日は知りませんが、日経・読売ともに「参加」を是とし、反対者をまるで頑迷固陋、もっといえば既得権益にしがみつく守旧派のような書きっぷりをしています。選挙制度改革の熱病の時と同じですね。冷静な議論とは思えません。

本日15日(日曜日)の読売社説はこう始まります。

自由貿易を拡大し、経済成長を実現することが東日本大震災の復興にも欠かせない。政府は、米国や豪州など9カ国が交渉中の「環太平洋経済連携協定(TPP)」への参加を速やかに決断すべきだ。

明らかな論理の飛躍があります。ここで言っているのはTPPへ参加すべき理由として、「自由貿易を拡大することが経済成長の実現と復興にも欠かせないから」ということですね。 ということは今現在の日本では、自由貿易ではない、もしくは自由貿易度合いが足りないということになります。これは真っ赤なウソですね。これがつっこみの第1点。

正確を期すなら、「自由貿易」という言葉の定義からすべきですが、おそらく社説のは、関税なき貿易ということをもって自由貿易としているのでしょう。ですが、そんな国は皆無ではないでしょうか?自由貿易に対立するものとして保護貿易というものを持ってきていると思いますが、もともとこの2つは対立するものではないですね。どこの国にでも自由貿易を掲げながら、関税をかける品目は必ずありますから。

読売に限らずマスコミは、こうやって意図的に対立の図式を作り出しているとしか思えない。言っておきますが、こんな風に簡単に図式できることなど幼児の世界観でしかない。

今の日本は世界に比しても堂々と自由貿易国家であると主張できると思います。

つっこみの第2点は、自由貿易を拡大すれば、それが「経済成長の実現」と「震災復興に欠かせない」としていることです。本当にそうなるのか? 自由貿易がバラ色の打ち出の小槌だと勘違いしているのではないか?その根拠を示してくれといいたくなります。


社説にはこうもあります。
(参加表明の)決断が遅れると交渉に参加できず、将来、日本に不利な貿易や投資のルールを押しつけられることになりかねない。

おいおい、それをいうなら、そもそも交渉国の中で日本と利害が一致するような国はあるのかないのかをよ~く考えるべき。それらの国のうち、日本のような製造品の輸出国は日本のみですよ。他はすべて農産品の輸出国。もともと日本とタッグを組んで有利なルールを作ろうとする国などないのです。ということは、そんな中に入って日本の言い分が認められることはまずないと考えるのが自然でしょう。多数決で決まるのでしょうからね。

これもおかしな主張で、つっこみどころ満載です。

さらに続けましょう。

社説は、被災した東北地方は農業が盛んな地域であることから、ここをモデルとした大胆な農業改革を実施したらどうかと投げかけ、それを全国規模に拡大して貿易自由化に耐えられる強い農業に転換させていくべきだろうと主張します。

おっしゃる通りだと思います。後継者問題や生産性の低さなど日本の農業を取り巻く課題は山積かつ深刻です。しかし、それと貿易自由化に耐えられるのかどうかはまた別の問題と思いますね。為替の問題、あるいは賃金格差の問題をどう考えているのでしょうか?日本の製造業がいかに合理化を進めてもコストの削減には限度があり、激しい価格競争にさらされる多くの製造業が海外に工場をシフトしていった事実を考えると、生産性云々で貿易自由化に耐えられるなどと考えるのはどうにも疑問符がつく。

TPPは、工業品の輸出を伸ばし、国内産業の空洞化を防ぐためにも極めて重要だ。

TPP参加賛成論者は、きまってこのようにいいます。ホントに教えてくれ、9カ国のうちどこが今以上に日本からの工業品の輸入を伸ばしてくれるのか。米国くらいのものでしょう。他の7カ国は農業国ですからね。7カ国合計で日本の40%しかないんですよ、GDPは。だったら、米国とだけ二国間の交渉をすればいいんですよ。韓国と同じように。

産業界は、震災の影響に加えて、円高や電力不足にも直面している。

社説はこう書いた後、トヨタ幹部の「一企業の努力の限界を超えている」という言葉を紹介したあと、

日本でのモノ作りが不利にならないよう、TPPを活用して競争力を強化しなければならない。


と記事を結んでいますが、円高や電力不足はTPPとは何の関係もないですね。もっといえば、円高の問題は、社説のいう産業品の輸出増大を危うくるするもの。そしてモノ作りとTPPの関係も記事を読んだだけではさっぱりわかりません。

オバマ政権は政策の柱として米国産品の輸出の拡大を謳っています。とすると、この円高は米国が狙って仕掛けたものとも考えることができるでしょう。米国にとっては好都合ですし、もっといえば、日本をTPPに参加させ、農産品にかけられている関税を0にできれば、米国産品の輸出は急激に拡大します。米国にとってTPPとこの円高は国益に沿うことなのです。日本にとっては大打撃ですね。とうより国を滅ぼすもとになる・・・。もっとましな議論をしてくれといいたい。

TPPについては、ここで何回か書いています。以下ご参考にまでに。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/tpp_25.html 

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/tpp.html 




大体世の中、声の大きい奴があげている声は間違っていることが多いもんだよ。これは僕の経験からだけど。


今日はこれまで。






2011年5月14日土曜日

言いたいこと2つ

昨日13日の読売新聞夕刊の記事によると、環境省では「スーパークールビズ」と称して、省内で執務する時に限りJeansとTシャツ、サンダルでも認めるんだとか。まあ、当然でしょうね。僕は常々日本の夏の気候にネクタイなんぞとんでもないと思っていましたし、ましてやこの夏の強制的な節電の中ではできるだけ涼しい格好を認めるのも当然でしょう。

で、気になるのがテレビ局のアナウンサーです。 照明で気温は相当に高いはずなのに、ネクタイ、ジャケット着用で涼しい顔をしているのは、よほど冷房が効いているからでしょう。彼らもネクタイを外すことをして、率先して「時代がかわった」ことを知らしめるべきだと思います。

2つ目。
国民の理解が得られない
というセリフを枝野官房長官が使いました。金融機関は東電向けの債権を放棄せよという発言ででてきたことです。金融機関にとっては「?」でしょうね。その根拠として国民みんなが我慢しているのに、金融機関だけは何もせずでは・・・といってそのセリフが出てきたのです。

彼はやはり仙石の子分だけあって、その心性は根っからの社会主義者なんですね。とにかく巨大な私企業の正当な経済活動までをも、ただ利益が巨額だからという理由で憎んでいるように思います。

彼ら=民主党は、国民の理解が得られていない「こども手当」だとか「高速道路無料化」だとかの政策を金科玉条のようにし、はっきりとはひっこめてこなかったではないですか。そのことと、自身の言ったセリフをどう整合させるのか。明らかな二枚舌です。アホ!

もっと言えばですよ、「国民の理解が得らない」とかいうセリフを使うのならば、世論調査で半数近いひとが「衆院解散」を望んでいるのは明らかなのに、それをしないのはまさしく「国民の理解がえられない」ことにならないか?

書いているうちに、心底腹が立ってきたので、今日はこれまで。

更新途切れる・・・トホホ

昨年の9月6日から毎日書き続けていたこのブログですが、昨日13日の金曜日はブログが更新できないのみならず、12日木曜日にアップした文章も途中で落ちてしまって、2日間空いてしまったことになりました。Google Bloggerのメンテナンスによりアクセスできなかったことによります。12日の分も落ちてしまったことが悔しいなぁ・・・。

何ともあっけない・・・。僕の努力と記録は一瞬にして途切れてしまいました。


今はこれまでにしておきます。

民尊官卑

官尊民卑だといって、官僚やら役所を責め立てる人がいますね。未だ公務員を税金ドロボーという人もいるのでびっくりします。この心性は怨望以外のなにものでもないと感じています。

しかしながら、この国ではタイトルのごとく民尊官卑なのではないかと思います。正確にいうならば、「私権を制限できない公権」の危うさを言っています。そもそもそれができない公の権力とはいついかなる時に発揮すべきなのかがわかりません。



話は直接的にはつながりません。

自衛隊のイージス艦と漁船の衝突事故で、事故当時当直士官だった2名が無罪となりました。僕は刑事告訴されているなどということく知りませんでした。既に海上自衛隊は非を認めていますね。海難審判とかで、護衛艦の過失を認定したわけです。

刑事告訴された2名の、この判決理由をみると、検察が決め手とした衝突事故直前の航跡図を、「信用ならない」としています。また検察がやってくれたと思いましたね・・・。全く酷い話だ。

それと、漁船で亡くなられた遺族の関係者が記者会見で言っていたセリフ

100%向こう(護衛艦)が悪いとは思わないけど、無罪はないだろう

これが気に障って仕方ありません。そしてこれをニュースとしてそのまま流すマスコミの姿勢・・・。

これは刑事裁判ですので、有罪か無罪かでしかありません。過失割合をとうものではないからです。疑わしきは罰せずの原則もあるし、挙げられた証拠の信憑性に疑問符がつけば無罪にせざるを得ないのです。遺族関係者としての感情はわかりますが筋がとおらない。 もっといえば間違っています。

これを流すマスコミは、公=権力はいつも悪で、民はいつも被害者であるといった図式なのでしょう。もういい加減にしろ、というのが僕の気持。さっさと「戦後」の思想から抜け出さないと、いつの間にか世の中に置いていかれるぞ・・・。

今日はこれまで。

2011年5月11日水曜日

恩返し

前に、「東北・関東で大地震 番外編」としてパプアニューギニアからも義援金が届けられたことをご紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/826.html

ソースは読売新聞なのですが、その記事を読んだ71歳の男性がその恩返しとして30万円を現地へ寄付したことが、パプアニューギニアで話題になっているとのこと。

10日の読売新聞に出てました。

この男性は、「日本国民からの感謝としたい」と、氏名の公表を拒んでいるらしいです。何とも清々しい話です。政治や社会の混乱も、この男性のこうした心根の前ではもうどうでもいいことのように思えてしまいます。

30万円は現地では児童100人以上の年間教育費に相当するのだとか。現地の学校では驚きと感謝の声が上がっていると記事は伝えています。

パプアニューギニアは、大東亜戦争中約20万人の日本人が斃れた地です。そのほとんどが餓死だったとされている痛ましい地なのですよ。パプアニューギニア東部に上陸した日本軍は、人跡未踏のジャングルで覆われた山岳地帯を抜けて西部の連合軍の拠点ポートモレスビーを攻略しようとしたわけですが、 何と彼らには詳細な地図がなかったのです。縮尺の大きな地図を渡され、ただそこに線が引かれて、その距離から作戦日数を決められるという、むちゃくちゃもここに極まれりといった命令で、多くの日本兵が敵と戦う前に餓死と熱帯特有のマラリヤなどの病気で死んでいったのです。

ちなみに山本五十六連合艦隊司令長官の乗機が撃墜されたブーゲンビル島はパプアニューギニアの領内にあります。

この国に国軍ができて以来、九州と東北の兵隊は強いというのが定説で、事実それに恥じないような強さを見せていました。

「剛毅朴訥仁に近し」とは論語の言葉ですが、定めし東北人はその典型かもしれませんね。

今日はこれまで。

2011年5月10日火曜日

英断なのか?

6日の金曜日の夜でしたか、菅総理は突然浜岡原発の運転休止を要請したとの記者会見を行いましたね。ニュース速報でながれ、一体何事かと思いました。

記者会見では、87%の確率で想定されるM8クラスの地震に伴う津波対策が不十分なので、当面の間原発をとめると・・・。まあこんな趣旨でしたかね。


僕の第一印象として、活断層の上だか何だかしらないが、そのリスクはそもそも建設する時に分かっていたはずで、それを承知の上で建設したのだから、今頃高確率の巨大地震に備えて云々では、今まで説明してきたことと矛盾するだろうということ。

さらに言うなら、福島原発の事故は津波による電源喪失で原子炉の緊急冷却機能がすべて失われたことによります。想定される東海沖地震よりも強いM9の地震による揺れで、福島の原発は見事に緊急停止したわけです。しかし、その後の対策がお粗末だった・・・。この責任はきつく問われるべきでしょう。

したがって、浜岡原発に限らず国内すべての原発での安全対策を点検するのなら、津波による電源喪失の危険性があるや否やで、もしある場合には、防潮堤をつくることではなく、緊急電源を津波から守るための建屋の補強だとか、そういうことになると思うのだけど。違うのかな?

原子力反対を唱える人びとは、これで完全に勢いづくし、もし彼らが日本国中の原子力発電の即時休止を裁判沙汰にしたら、浜岡原発だけは特別だという政府の言い分を、法律の専門家は認めることができるのだろうか。

新聞情報しか知らぬ素人の僕でさえ、パッとでてくるこんな素朴な疑問、それが出るような決断を果たして「英断」と言えるのだろうか?


2011年5月9日月曜日

カナヘビ再び

昨日は、2日遅れの立夏といった気候でしたね。
午前中、家の窓からアジサイの葉の上で日向ぼっこをしている2匹のカナヘビを見つけました。


娘に見つかってしまったのが運のつき・・・。

さっそく網で捕まえられてしまい、今は2匹とも土を敷き詰めた水槽のなかです。
2年ほど前に、写真つきでカナヘビのことを書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2009/06/blog-post_28.html

ここで、「恐竜の子孫」という言い方をしたのですが、これ間違いですね。
姿かたちは似ていますが、恐竜とトカゲは「種」としては全く別物でした。

さて、今年のカナヘビはどのくらい生きてくれるのやら・・・。

今日はこれまで。

2011年5月8日日曜日

公職選挙法

違反で、僕の選挙区でトップ当選した市議会議員が書類送検、その議員は既に市議会議長に辞表を提出したとか・・・。何でも選挙の告知前に選挙運動をした、具体的には投票をお願いしますという文書を有権者に郵送したことが違反になるとのこと。

何ともアホなことを。というのが僕の感想です。僕はその彼には投票しませんでしたが、彼の主張していることはすべて正しいと思っていました。主張というか、もっぱら市の政策の批判でしたけどね。そうそう、彼は現職議員として2期目の当選を目指していたのです。トップ当選したことから、彼の主張してきた批判に賛同する人が非常に多かったということでしょうね。

ただ、彼の欠点は人の政策の批判ばかりして、自らはどうしたいのかを一切語らなかったこと。政治家としては致命的ですね。誰もそれを助言するブレーンがいなかったのでしょうか?

さらに言うなら、彼は落選して捲土重来を期しながら、地元のタクシー運転手をやって庶民の暮らしがいかに大変かを身にしみて実感したと。その思いから当選後の歳費の何割かはすべて福祉関係に寄付していると自らの選挙公報に出していました。彼はその「市民目線」が売りの一つだった。これなども、どうもなぁ・・・と思わざるを得ませんね。その市民目線なるものが果たして正しいのか否かを疑うこともなく、それがまるで金科玉条のようになっている。彼のいう「市民」は群れをなせば「大衆」というものに堕することは明白なのにね。

もっと勉強してほしいわ、まだ若いんだから・・・。

今日はこれまで。

2011年5月7日土曜日

怨望の人間に害あるを論ず

福沢諭吉によれば、タイトルのごとく、
およそ人間に不徳の箇条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし
だそうで、
貪吝、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きに素質において不善なるあらず。
らしいです。なるほどそうかとうなづくことしきりですが、幸いにして僕はそれが「不徳」となるほど強いものではないことに救われていると思います。ことさら僕が特別だとは思いませんが、世の中の多くはこの「怨望」についてあまり考えることがないのではないかと思えます。
怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。
さらに、次のように続けます。
譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足の法を求めずして、かえって他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。

東電は、巨額の賠償金を支払うために役員報酬の半減を決めたそうですが、それでもなお役員報酬が多いとマスコミは言っています。したり顔で報酬は「0」でもいい等という人たちもいますが、僕にはどうもこういうことを言わしめる心性には、「怨望」が働いているのでは?と考えてしまいます。
他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。
と福沢が言っているようにです。あまり美しい振舞ではありませんね。

今日はこれまで。

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2011年5月6日金曜日

することもなく

ものさびしいので、日がな1日硯に向かって、心に浮かんでくる随想を、あれこれと書きしるしていると、妙に気持ちが高まってもの狂おしいことだ。


徒然草の序段の現代語訳です。


やはり、現代語で感じるものと、兼好が書いた文章そのままを読んだときに感じるものでは何か異なるような気がします。

それと、こんな拙文でも書き連ねていると、彼の心持がわかるような気がしています。

つれづれなるままに日暮らし硯に向かひて、心に映りゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ

今日はこれまで。

2011年5月5日木曜日

ドラマ三昧

肌寒いこどもの日になりました。


昨日は、家で一人で留守番してまして、8時間ほど撮りためてあったドラマをみました。ここでもご紹介したことがあったと思いますが、アメリカのテレビドラマ「CSI」と「クリミナルマインド」の2本です。

かけているお金のせいだけではないと思いますが、アメリカのテレビドラマは非常に完成度が高く、日本のドラマと比べるとその違いに悲しくなるほどです。

CSIは全米視聴率No1のドラマで、今ではスピンアウトした作品CSIマイアミとCSIニューヨークの2本があって3作品あり、現在はWOWOWでラスベガスとニューヨークが放映されています。とにかく面白いので、皆さんも機会があればレンタルビデオ屋で借りてみてください。

今日はこれまで。

2011年5月4日水曜日

雪国

4年ぶりに家にいるGWです。

5月の風薫る中、何と川端康成の「雪国」を読み進めています。有名な冒頭な書き出しだけは知っていますが、中身を読んだことがない。というわけでどんなものなのかを知りたくなったわけです。

いろいろ、興味は際限もなく広がり、そうして自らの知らぬことの多さにいつも恥じいる・・・。そんなことの繰り返しでここまで来たような気がします。

実はここ2カ月ほど、活字に食傷してまして久しぶりに読み進める本なのです。

つくづく思いますが、日本でも世界でも名作と称される文学は、いずれも『悲劇」であったり、人生、人間の不如意を扱っているものが多いと思うのですが、どうして生きている人間はそれを考えないようなふりをするのか・・・。僕にはそれが不思議です。すべてがバラ色の人生など、何の価値もないでしょう。

9.11の後、日本のアホな文学者たちが「テロに反対する」とかいう声明を出しました(と記憶があります)。僕はその意味がわからなかった。彼らは自ら文学者といっている以上、人間やら社会やらの実相、その深層、暗部までをも、筆の力で表現しなければならない。 人間は素晴らしい一面、どうしようもなく身勝手で、醜悪な面を持っていることを表現しなければならない。行為だけでみれば「テロ」を肯定する人間などあろうはずもない。しかし、貧者、貧国が超大国アメリカと戦うためにはああいった手段しか残されていないのは事実だ。これが国際社会の現実であり、それを「人命尊重」のみで一切を否定したら、どこに文学が生まれるのだろうか・・・。文学者と名乗りながらも実は政治主義者なのですね・・・。

かつて小林秀雄が、「支那事変に向かう文学者としての覚悟如何」と記者に尋ねられ、

「文学者としての覚悟なんてものはない。あるのは日本人としての覚悟だけだ」

というような事を返しました。もうおわかりかもしれませんが、 この小林と先のアホな文学者との間には絶望的な断絶があります。

今日はこれまで。




2011年5月3日火曜日

憲法記念日だと・・・

昨日5月2日、ビンラディンを殺害し、オバマ大統領は「正義がなされた」と高らかに宣言しましたね。

アメリカのいう「正義」は、特に中東諸国にとっての「悪魔」なんですね。双方にそれぞれの「正義」があるわけだから、テロ組織との戦いはこれをもって終わることはない。無限に続いていかざるを得ないものかもしれません。

オバマ大統領のいった「正義がなされた」という言葉。

仮にオウム真理教の麻原彰晃が、警察によって殺害されていたら、時の村山総理は同じようなことを言ったでしょうか?おそらく言えないでしょうね。そして今も、誰が総理であろうと間違いなく言える言葉ではないですね。石原慎太郎ならいえるかもしれません。

9.11にしろ、オウムのサリンにせよ、 あれは明確な市民社会秩序の破壊者であって、それをなしたものを排除した時でさえ、「正義」という言葉を使えなかったらその言葉を使うことができなくなるし、そもそも「正義」とは何かがわからなくなる・・・。

しかしながら、未だにこの国はおそらく使える状況ではない。その意味でやはり「敗戦」と「占領」の呪縛は続いていると言わざるを得ません。相変わらず「戦後」だと・・・。

いろんな人にいってますが、僕はこの国の思想的な混乱の源はすべて現憲法と、それを押し戴いて奉っている勢力にあると思っています。徐々にその勢力は頽勢になっていますが、テレビ・新聞のマスコミは未だにその勢力の旗振り役である始末・・・。

毎年、この憲法記念日になると、NHKは必ず「憲法を守れ」と標榜する「市民団体(僕は愚民だと思っている)」の僅か数百人クラスの集会の模様を伝えます。アホか・・・。

だいたい、この憲法はGHQが押し付けたものでしょう。それをなぜ「記念」する必要があるのか・・・。日本の歴史も文化も伝統も知らないGHQの職員が、僅か7日間ほどで作ったのがこの憲法なのですよ。しかもその中には法律の専門家は確か1人しかおらず、他は左翼かぶれの職員であった・・・。そんなふざけた憲法をなぜ後生大事に守っているのか。もういい加減に「記念」なんていう言葉を冠するのはやめよう。僕に言わせれば「国辱」の記念日なのに・・・。

今日はこれまで。





2011年5月2日月曜日

思想的な意味で考えるべきこと

阪神大震災の時のニュース映像で未だに鮮明に覚えていることがあります。多くの家屋が崩壊した中に立つ若い20代くらいの女性が「誰が責任とってく れるのやろ」とつぶやいた映像です。自然災害ですので、責任をとる主体なんぞいるわけがない。それなのに何でもかんでも人のせいにするというのは一体いか なる料簡なのでしょう・・・。僕にとってそれは非常に厭な記憶として残っています。その一方で、高齢の男性が崩壊家屋から助け出されて避難所に連れてこら れ、「こんなにしてもらってありがたい」とお礼を言っていた映像。この両者に当時の僕は非常に大きな世代間の断絶を感じました。

中国から支援に駆けつけた緊急援助隊が、テレビのインタビューにこたえて「自然災害は人類の敵」と言っていました。本当にそうでしょうか?それは人間の傲慢 にすぎず、もっといえば自然を征服できるという錯覚をもたらした「近代」というものの誤謬でしょう。少なくとも日本人にとってそれは「敵」ではなかったはずです。

「火事と喧嘩は江戸の華」

という言葉があります。「華」かどうかは別 として、江戸という都市にとって「火事」は日常茶飯の事でした。だから、すぐに焼けてしまうものに対して執着せず、家具や生活調度品も非常にシンプルで、 すぐに持ちだす事ができるような、外国人からみればまるで「おままごと」のような暮らしぶりだったのです。火事はその大本は「人災」かもしれませんが、一 端燃え広がればもはや「天災」ともいえるもの・・・。「地震・雷・火事・親父」という言葉がそれをよく表しています。だから、それに向き合ってきた江戸の 人びとは、それに適した暮らしをしてきたわけです。決して「敵」なんかではない。勝てるはずがない相手を「敵」としてしまったら、ただ空しいだけでしょ う。

人智は自然には決して勝てない

この自明の理を、たかだか150年を超えたくらいの「近代」というものが覆い隠してしまったわけです。いや、錯覚したのでしょうね、勝てるはずだと・・・。

こ れは、僕だけの思いかも知れませんが、多くの人が不慮の死を遂げるような事故やら災害があると、どうも「運命」とか「天命」とかいうことを考えてしまうの です。520名もの死者を出した日航機の事故の時も、僕はひそかにそれを感じていました。誰もがそんなことの起きるはずがないと、その飛行機に乗り込んだ わけで、その機を選んだのはほんの偶然でしかない。逆にいえば、本来その機に乗ることになっていた人が、たまたまその機に乗り遅れたということもあるかも しれない。 その個々の人生を考えるとき、そこに何かしらの人智を超えたものを考えてしまうのです。

個々の人生だけ はなく、その集合体としての「国家」を考えても同じことです。国家にも運命やら天命はあるはずです。今回の大震災の「災後」、その思想的な位置づけを考え るとき、この「天」というものを考えることは極めて重要のような気がしています。もっと言うなら、やみくもに突っ走ってきた明治維新以後のこの国の「近代 化」という歩みを、もう一度考えるべきだと思うのです。

今日はこれまで。

2011年5月1日日曜日

聞き捨てならん

昨日の新聞記事によると、3月16日に放射線安全学の専門家として内閣官房参与起用された小佐古敏荘氏が政府の原発対応を批判して辞職したとか・・・。

同氏の辞職理由に「小学校などの校庭の利用基準」があり、現在政府が決定した「年間20ミリシーベルト」が緩すぎるというもので、氏は「自分の子どもには安全とはいえない」とまで言ってます。そして、学者としての良心にしたがったのだとか・・・。

これが「聞き捨てならん」ことです。一体どちらを信じればいいのでしょう?

ちなみに、娘の小学校からも資料が配られました。その基準は当然のことながら20ミリシーベルトが上限となっており、まあ、さいたまですのでそこまでに届くことはないのでしょうけど、より原発に近いところは深刻な問題です。一体何を信じればいいのか?政府の決定した数値に拙速なものははなかったのか?その決定基準は?などなどいろいろと考える(疑う)ことが多いです。これは危機管理としては最悪でしょう。

一体何を信用すればいいのか?

今日はこれまで。



2011年4月30日土曜日

3.11 再び

本日(29日)の読売新聞に御厨貴が寄稿していました。冒頭以下の文章から始まります。
東日本大震災を境に、日本の長い「戦後」は終わり、今や「災後」時代にはいった。
これを呼んで僕はつくづくと考えました。ひとつの視点として、「戦後」は自衛隊が忌み嫌われた社会でした。阪神大震災の時の自衛隊の救助活動の遅れは忘れてはいないでしょう。あれは首長の判断が遅れたからです。遅れの原因は首長の反自衛隊というイデオロギーです。しかも、県の災害対策本部へ自衛隊が行くときには、「制服を着てこないでくれ」とかいう始末。米軍の支援も断ってもいますね。あの時は社会党の村山富一が総理でした。それまで一貫して「自衛隊は違憲」と主張してきた政党でした。

今回の震災ではどうですか。地震発生後1時間も経たないうちに各県の首長は自衛隊へ災害支援の要請を出し、政府は米軍支援はもちろんのこと、世界各国からの援助を受け入れています。そして、なによりも阪神大震災当時と異なることは、自衛隊が堂々と迷彩の戦闘服で会議に出席し、テレビのインタビューも受けていることです。

ようやく、この国が忌み嫌ってきた「自衛隊」が、普通の国家のように信頼される組織として認知されだしたということでしょう。「戦後」を「反」自衛隊の時代とするならば(あながちそれは極論とは思えない)、「災後」は「反」反自衛隊の時代となったとみることができます。極めて普通の国家の姿です。

思えば戦後教育は個人の尊重のみを重視し、その個人の来歴(つまりは伝統やら歴史ということ)と、その個人の集合体たる社会、つまりは「公」とうものをないがしろにし、平和教育だ人権教育だという空疎な言葉を乱用して公を守るためには個が犠牲になることもあるという当然のことから、一切目を塞いできました。しかしながら、今回の震災では、今なお懸命の作業を続ける東電職員や、消防、警察、自衛隊の人びとの「公」のために身を挺する使命感が、多くの人を感動させかつ勇気づけている。 これは「公」という観念に対する献身に、「個」を超えた価値を多くのひとが認めているからにほかなりません。

その人びとの心の奥底では、とっくに「戦後」は終わっていたのかも知れません。 それが今回の震災で始めて顕在化したのです。蓋に閉じ込められていた水蒸気が、蓋が開けられたのを機に拡散したようなものです。それに気付かぬは、三流、四流の政治家と、今なお「反権力」という意味のわからない観念に縛りつけられているマスコミのような気がします。

今日はこれまで

2011年4月29日金曜日

天皇陛下

天皇、皇后両陛下が被災地である宮城県へ行かれ、避難所でそこで暮らす罹災した方々にやさしくお声をおかけになっているとか・・・。宮城だけでなく、岩手、福島へもご訪問なさるそうで、何とも恐悦至極の極みです。

恐れ多くも天皇陛下ですので、この国の総理に向けられた怒号があるはずもなく、特に御年配の方々にとっては非常に大きな喜びであるとともに、これ以上はない励ましの意味もあると考えられます。

日本には、天皇という権力とは無縁の日本の象徴と権威の源としての存在があって本当に良かったと思います。

週刊誌の見出し記事によれば、これまでの被災地訪問で、被災者があぐらをかいたままだったとか、携帯で写真を撮っていただとか、不敬にあたるのではないかと思えるようなこともありますがね。また、帽子をかぶったまま陛下と会話する人もいて、さすがにいただけないと思いましたが、ああいうのは注意したほうがいいと思うけど。結構な年の人でしたよ。礼儀を知らないのは年齢に関係ないですね。

僕なんか、想像するにおそらくお顔をまともに見られないのではないかと思いますね。

今日はこれまで。










2011年4月28日木曜日

現代の小泉八雲・・・

読売オンラインの記事(4月27日)によれば、コロンビア大学名誉教授にして、著名な日本文学者ドナルド・キーンが、日本に帰化することを表明したそうです。御歳88歳のご老人。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000429-yom-soci

キーン氏は「災難を前に、『日本国民と共に何かをしたい』と思った。自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった」と決意へ至る思いを強 調。「日本は震災後、さらに立派な国になると信じる。明るい気持ちで日本へ移る」と語った。9月までに東京・北区の住まいに移るという。
現代によみがえる小泉八雲のようですね。彼は「日本という女性と結婚した 」と言っています。僕は単純に「うれしい」と思うばかりです。そして、人生の不思議さを考えざるを得ません。彼はアメリカの対日戦の戦略「Know your Enemy」の中で(下記参照)、日本語のできる語学将兵として養成されたわけですが、それが戦争終了後も、今度は日本の文学研究者として彼のその後の人生を決めることになるわけで、彼が人生の終の棲家を日本に求めるなど、まことに不思議な縁であったとしか言いようがありません。

「Know your Enemy(汝の敵を知れ)」
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/12/know-your-enemy.html

一体日本の何が、日本人の何が、彼をして人生の最後を日本人として迎えたいと決意せしめたのか、きっとそれはここで何度も述べてきたベルツ博士の感慨「日本人とは驚嘆すべき国民である」というものであったと思います。



今日はこれまで。


2011年4月27日水曜日

コンクリートが命を守った・・・

「コンクリートから人へ」

とかいう標語を民主党が使ってますね。正しくは「ました」かな。もうこんなことは言わないでしょう。津波で甚大な被害を出した岩手県沿岸ですが、普代村という村は高さ15mもの防潮堤が津波の被害から村を守ったのだとか・・・。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/284074.html

当時の村長の大英断ですな。40年に渡って村長を務めたらしいですよ。今その村長の墓前には多くの花が手向けられているとか。何でも相当な反対もあったらしいです。「そんな高さのものは無駄だ」とかね。ところが、その村長は過去の津波の経験から、何としても村を守りたいと考え、そのためには絶対に高さ15mが必要だと頑として譲らなかったといいます。対して、周辺の自治体は「景観を損ねる」とかいってその高さのものを作らなかったらしい。

100年に1度とか、1000年に1度とかいうことは、今から100年後、1000年後ではなく今この瞬間、明日にでも起こりえることです。 そのために備えた設備がその高さの防潮堤だったわけですね。

もう民主党もそんな冒頭のようなふざけた標語は使うのはよした方がいいよ。「人」を守るには「コンクリート」が必要なのです。















2011年4月26日火曜日

ゴーストタウン

その開設の頃から見ていた「DASH村」が実は福島県浪江町にあったらしく、計画避難区域に含まれているということを、昨日の鉄腕DASHで知りま した。あの村は福島のいわき近辺らしいということは知っていたのですが、原発の避難区域に含まれていたとは・・・。結構楽しみに見ていたシリーズでした し、地元の様々な「職人」がでてくるので、非常にためになった。娘もがっかりしてました。

避難区域に置き去りにされた家畜もいよいよ殺処分になるらしいですね。何とも言葉がありません。むごいことです。

津波ですべてが流され、今は瓦礫の山となった地域でも、そこには思い出を探そう、または新しい一歩を歩みだそうと、歩き回る人びとの姿がありますが、原発の避難区域ではまさしくゴーストタウンのごとく、一切の人影はみえない不気味な様相です。ほんとに恐ろしい・・・。

原発の影響で避難している人びとの1日も早い帰宅を願わずにはいられません。

今日はこれまで。







2011年4月25日月曜日

痩せ我慢

昨日(24日)の日経記事によれば、政府は第1次の補正予算案の中で、ODAを大幅に減額することを決定したらしいです。この震災の影響で、2011年度に、海外から受けた援助額は日本が世界第1位になるらしいです。驚くほかありません。日本への援助を申し出た国の中には、アフリカやアジアの発展途上国も含まれているとのこと。

「日本から受けた恩を今こそかえすべき」

という心持でしょうか。

今現在日本のODAの額は世界第5位らしいですが、それをさらに減額して国内の復興財源に充てようというのでしょう。この記事を書いた記者氏は、「今こそ痩せ我慢を」としてODAの額を減らすべきではないと主張しています。こんな時だからこそ、かわらず発展途上国への援助を行うべきだというのです。なるほど、いいことをいうなぁと感心しました。

この記者氏、返す刀で巨額の子ども手当をもらい続け、巨額の追徴課税金を即座に収めた鳩山前総理に対して、「義援金を送ったのだろうか」と文章を締めくくっていました。それも当然の思いでしょう。僕も前にここで書きました。

件の前総理は、この記事を読んでどう思うでしょうか?

今日はこれまで。





2011年4月24日日曜日

関東大震災後には・・・

以前、「昭和の終わり」と題して、永井荷風の詠んだ歌を紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/02/blog-post_10.html

彼は震災後に、 

江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ

と、こう詠んだのですが、彼の有名な「断腸亭日記」には次のような記述があります。

大正十二年十月三日。快晴。(中略)銀座に出で烏森を過ぎ愛宕下より江戸見阪を登る。阪上に立つて来路を顧みれば一望唯渺茫たる焦土にして房総の山影を遮るものなければ近く手に取るが如し。帝都荒廃の光景哀れといふも愚なり。されどつらつら明治以降大正現代の帝都を見れば所謂山師の玄関に異らず愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば灰燼となりしとて決して惜しむに及ばず。近年世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みればこの度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし

この日記を引用した元本である「昭和精神史」の著者桶谷秀昭によれば、「彼の日記にみられる、風俗や国家、社会の動向にたいする、しばしば激烈な憤懣や痛罵は、荷風の規範が発する声であって、思想的関心からのものではない」のだそうですが、関東大震災を「天罰」と言っていますね。この頃、同じ「天罰」という言葉を使ったのが渋沢栄一だったらしいです。

石原慎太郎が震災直後にその言葉を使い、猛烈な批判を浴びて直ちに撤回、謝罪をしましたが、僕は彼がその言葉を選択し、使用したという心持は何となくわかる気がします。おそらくここで紹介した荷風と同じようなものだったのではないでしょうか。あくまでも思想的な意味でです。

 世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし

ということに加え、石原をして「天罰」と使わしめたものは、国家意識やら規範の希薄、大衆迎合に堕した政治の状況等、国家社会への関心からでしょう。

荷風の美的関心とは次元が異なりますね。どちらがいいということではありません。ただその立脚点が異なるということを言いたいだけです。

今日はこれまで。

 

2011年4月23日土曜日

正気ではない・・・

日経19日の記事です。僕は、正直日経は気が狂ったと思いました。このデフレの経済状況下にあって、自由貿易の恩恵を述べ立ててTPPへの参加を急げとは、一体いかなる考えによるものなのか。

 

経済復興のためにもTPP参加を急げ


2011/4/19付

東日本大震災の影響で、日本にとって長期的に重要な経済政策への取り組みが先送りされている。その典型が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加問題だ。6月までに政府として判断を下す予定だったが、検討作業は止まったままだ。

日本は自由貿易の中で生きていく国である。その立場は、震災が起きても変わらない。むしろ経済復興のために、世界とのつながりを一段と深めなければならない局面だ。

僕は、正直日経は気が狂ったと思いました。このデフレの経済状況下にあって、自由貿易の恩恵を述べ立ててTPPへの参加を急げとは、一体いかなる考えによるものなのか。おそらくきちんと考えたわけではなく、ただ単に「自由貿易」という言葉だけで物事を考えているに過ぎないことがわかりました。続く記事にこうあるからです。
 

その韓国は、既に米国や欧州連合(EU)と自由貿易協定(FTA)交渉を終えている。米欧との協定がない日本より、関税などの面で有利な立場だ。世界の企業が部品の調達先の見直しを進める中で、日本の地位が奪われかねない。

FTAはTPPのように例外なき自由化を求めておらず、関税品目を設けることが可能です。その点で例外を一切認めない全くTPPとは異なります。どの国でも、国内産業保護のための保護貿易(関税)と自由貿易を節度をもって運用しているので、そのふたつは相反するものではありません。日経は、まるで対立するかのような書き方です。

それに、百歩譲って米欧とのFTAならいざ知らず、米国以外は日本への圧倒的な一次産品の輸出国だらけのTPP加盟交渉国との、自由貿易下でのメリットをぜひとも教えてくれ。


大津波に襲われた地域の農業を再建するうえで、農地の集約など生産性を高める仕組みが欠かせない。政策次第で、自由化に耐えられる強い農業を東北に築くことができる。菅政権が設立した復興構想会議は、そのための道筋を議論してほしい。 


日経は、

政策次第で、自由化に耐えられる強い農業を東北に築くことができる

いいます。本当でしょうか?ただ希望的な可能性を言っているだけにすぎないのではないかと僕などは思ってしまう。もしそうならなかったらどうするんだ?日本の農業は壊滅するぞ。
大体、このデフレ下で海外からさらに低価格の製品が入ってきたら、デフレ圧力はさらに増すのではないか?それでもなお「自由貿易」という言葉を使う意味は何だ?自由貿易がすべての恩恵を生む万能薬だと思っているとしか思えない。でも、それは真実なのか?

今日はこれまで。
 

2011年4月22日金曜日

言葉も出ない・・・

あきれ果てて言葉も出ない・・・。

何のことかと言いますと、菅総理が原発からの避難所を訪れて、そこで生活を余儀なくされている人から怒号を浴びせられたというニュースを見ての感想です。

全くアホかと思います。今、この時期にのこのこ避難所を訪問したら、住民から怒号を浴びるのは極めて当然のことです。最低最悪のパフォーマンスですね。訪問をやめさせることを進言する側近はいなかったのでしょうか。いや、おそらくは止める人がいても、自分の立ち位置がわからず、誠意をもって説明すればわかってくれるという、あまりにも子どもっぽい考えが、彼を縛っていたため、側近の声を聞く耳を持たなかったのかも知れません。もちろん、誠意を見せるのは大切です。ただ、それも時と場合と、「人」によりますね。もう数々の失政を騒ぎたてられる彼では、それを見せ、わかってもらえるには相当なことをしなければなりません。まあ、罵声を浴びせられなかったことだけを喜びなさい。

現地を訪問するよりもあなたにはもっとやるべきことがたくさんある!

ホントにこんなアホな人間を総理に頂くとは…。

あきれ果てて言葉も出ない。

今日はこれまで。






2011年4月21日木曜日

No Music No Life

毎日このブログを更新することを自らに課していたら、ひとつ気がつくことがありました。本日は年が明けてから111日目です。この右横、ブログアーカイブの数字で明らかです。もう111日も経過したのですね。ホントに早いわ・・・。

先日、深夜の運転中にラジオからユーミンの「春よ来い」が流れていました。ちょうどその数日前、「桜」で連想する歌を人に尋ねて、返ってきた答えにその歌が含まれていました。改めてその歌を聴き、実に心に染みました。歌詞、メロディともにです。あれは名曲ですな・・・。

そういえば、ここのところほとんど音楽を聴かなくなったことに気が付きました。口ずさんだりはしてますが、音楽を流しながら何かをするということすらしなくなったことに気が付いたのです。

ユーミンを聴いて、またしみじみと思いました。No Music No Life・・・。

音楽のある生活を再び!


今日はこれまで。









2011年4月20日水曜日

勿体ない話

またまた新聞記事の話。今日は日経最終面「文化」からです。

4月17日日曜日ですが、中野三敏という日本文学研究者、九州大名誉教授の書かれたものです。同氏は江戸時代の洒落本や戯作本の研究者者です

彼はこう言います。

「日本の夜明けだ」という坂本竜馬の決め台詞から透けて見えるのは、それまでの日本の社会は真っ暗闇であり、それはそのまま江戸時代が暗黒の時代だったということの裏返しともなる。明治以降、それが江戸時代のイメージとしてすっかり定着し、それは戦後いっそうに強固なものになってしまった。そのため、江戸研究の世界が近代社会から何がしかの要請を受けるなどろいう事態は、殆ど起こり得ないのが常態であった。

ところが、その風向きは平成になって徐々に変わってきたというのです。

いわば、”近代”という言葉の持つ値打ちが、あらゆる局面で極端に下がり始めた。それどころか近代の歪みやひずみの指摘こそが社会の急務となり、その正当な方法として、従来最も非近代的と烙印を押されてきた江戸時代にこそ、何かのヒントがある筈とされるようになったように思う。

そして、次のように続けます。

江戸三百年の平和は、間違いなくそれ以前から蓄積された日本文化の凡てを熟成させ、あらゆる領域で江戸モデルの文明を結実させたと言える。

彼がいうには、総数で百万点にも上る江戸時代の洒落本、戯作本の僅か1%程度しか活字化されておらず、しかもその1%も明治以後の「近代」という視点から評価されたものだとすれば、残りの99%にこそ大事なものが埋まっている筈だと。

僕は、彼の言う洒落本、戯作本がいかなるものなのか、そしてそれを読める能力もありませんが、彼は、草書体の漢字とくずし字の仮名を読める能力さえあれば、99%の残りはそのまま宝の山となるというのだ。今はその99%がごみ同然になっているので、題して「勿体ない」・・・。

僕にはとても興味深い、筆者のいう「和本リテラシー」ですが、僕が大なる賛辞を彼にささげたいと思うのは、江戸時代の見直し、それも「近代」からさかのぼった視点ではないそれにあります。

日本史の時代区分として、弥生時代から古代国家の形成に至る過程を「古代化」と称する人がいます(佐原真)。同様に、戦国時代から江戸時代の初めまでを「近代化」とし、それ以後を「近代」と区分する人もいます(尾藤正英)。大雑把にわけると、日本の歴史は戦国時代を挟んで古代と近代の2つに分けられるというのです。

内藤湖南という戦前を代表する歴史学者が、日本の歴史を「応仁の乱前と乱後では、まるで外国ほども様相が異なる」と述べてており、また日本語の言葉としての歴史でも古代語と近代語に分けられるのが戦国時代らしいので、その意味からも「古代」「近代」の2つの区分が妥当なような気がしています。

このように捉え直すならば、江戸時代は「近代」という枠組みに入るわけで、ただ「西洋化」していないそれのひとつのモデルとなりえるのではないかと思います。

今日はこれまで。

2011年4月19日火曜日

東北・関東で大地震 番外編その9(絆)

「今年の漢字はもう『絆』で決まりだね」

と、女房が突然言いました。うん、まさしくその通りになると思います。

日曜日(17日)のニュースですが、長渕剛が、被災地とともに救援活動にあたる自衛隊の松島基地へ慰問したとか・・・。

テレビの映像でみると、なんとも感動的なミニライブでした。彼は立ち並ぶ自衛隊員に向かってこう言ってましたよ。

「皆さんの中に日本がある。皆さんは日本の誇りだ。そして僕自身の誇りでもある。」

正直、驚きました。今から41年前にもこんなようなことを言った人間がいたのをご存じですか?

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢見た。

そう、三島由紀夫の檄文の一節です。この両者、言っていることはほぼ同じですね。三島の場合は、自らの観念の中に作り出した自衛隊への願望ではあるのでしょうが、長渕の場合は、観念の世界ではなく、実際に被災地で汗水流して献身する隊員の姿を見てのことです。

1,500人の隊員は、肩を組みながら「乾杯」を長渕とともに合唱し、中にはうっすらと涙ぐむ隊員の姿もありました。気持ちはわかります。傍からみる僕でさえうるうると来ましたからね・・・。

被災地へ炊き出しへいく著名人は多いですが、自衛隊へ慰問へ行くという長渕は実にエライ!もっと彼を見習って、どんどん行ってあげるべきでしょうね。原発処理に奮闘する人びとのところへも是非とも行ってほしい。健康被害におびえながらもほかの大多数のため、いや日本のために日夜奮闘する現場の人びとと、国やら東電やらのまずい対応は全く別のことですのでね。

今日はこれまで。


2011年4月18日月曜日

東北・関東で大地震 番外編その8(募金26万円)

昨日(17日)の読売新聞の記事です。

西太平洋の島国・パプアニューギニアでは、貧しい山あい村落で東日本大震災への募金運動が拡大し、これまでに2,000人以上から義援金約8,000キナ(約26万円)が集まった。児童100人分の年間教育費に相当する額だ

同記事によると、同地に住む日本人がラジオで被災状況を伝えたことがきっかけで始まったという。地元の住民は数百世帯に1台しかないテレビで震災のニュースを見て、その惨状に心を痛めているといいます。

そして、

被災した子どもを預かりたい
水を届けたい

という支援の声が、件の日本人のもとへ殺到したと記事にありました。

いやはや、何とも微笑ましいというか、ありがたいというか、ちょっとその記事を読んだ心象を表現する言葉が見つかりません。本当に善意で「こどもを預かる」と口にしたのでしょうね。でも、想像するに、現地の暮らしは避難所で「電気」も「水道」も不通となった中で暮らす人びとよりも原始的なはず。それを考えると、「人間」という種はどこまで環境に慣れ、それに適応していくものなのかについて考えてしまいます。

文明人が当然として受けとめている生活様式、それがもろくも失われてしまったことへの、喪失感やらなにやらの感傷は、パプアニューギニアで暮らす人びとにとっては、「?」でしかないと思います。

いや、とにかく今回の事態は、日本一国のみならず世界中の人びとからも注視されている世界史的な出来事なのだということをあらためて実感しました。

今日はこれまで。

2011年4月17日日曜日

米軍へARIGATO

本日(17日)の読売新聞に、被災者が宮城の海岸でマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表したという記事が出ていました。

仙台空港を復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が明らかにしたことです。

米軍は史上最大、空前絶後の支援作戦を発動し、規模を縮小したといはいえ、今なお自衛隊と共同で支援を行っています。とくに、当初のその作戦司令官は在日米軍トップであったのが、ほどなく格上げされ、太平洋艦隊の司令長官となったこと。米軍の本気度と、その支援規模の大きさがわかるとういうもの。福島原発では放射線事故の専門家集団である海兵隊の部隊も投入を控えているようです。

その司令が次のように話したらしい。

驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧の努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい。

しつこく繰り返すようですが、これなどほんとに「逝きし世の面影」で描かれたかつての日本の文明に驚いた外国人の言葉と同じです。

「東北」というのは、この国の歴史にとって特別な意味のある地域。そこで暮らす人びとが見せた、昔と変わらぬ姿を、その地域を「特別」なものにしてしまった「中央」とその「権力」の周縁に住む人びとは再現することができるのでしょうか。

今日はこれまで。





2011年4月16日土曜日

いつの間にか・・・

桜が散ってしまって、花吹雪の残骸のみが道に敷き詰められているようになってしまいました。
昨日、一昨日と気温がかなり高くなり、昨日は半そでで過ごしました。

もう20年近く前のことですが、GW前に会社へ半そでで出勤したところ、

「今から半そでで夏になったらどうすんだ」

と上司に言われたことを覚えています。今では、GW前に半そでは何の違和感もありません。つい先週までは暖房をつけていたのに、今は窓が開け放たれ、春のにおいを部屋の中にまで入れ込んでいます。日本の「四季」という明確な区別は既になくなりつつあることを感じます。

新聞は、未だに震災の大きな傷跡に紙面を割いていますが、最近頻発する余震には慣れっこになってしまっています。ただ、ひとつ異なることは原発を真っ先に考えるようになったことです。死者・行方不明者の総数は25,000人を超えました。阪神大震災の時とは違い、初動の救助体制が批判されることはなかったですが、原発問題にかかりっきりになり、生き残った人びとへの対応が後手に回ったことが批判されています。

そろそろ、政府のこれまでの対応が批判の俎上に上り始めたように思います。石原慎太郎は、民主党を「未熟」な集団と言いましたが、僕もまったくその通りだと思います。「政治主導」と言い募った挙句、官僚らをないがしろにした結果が今の混乱を招いたことも否定できません。

この国のトップである総理に必要なことは、現地視察へ何度も行くことではなく、様々な状況に対して決断して、進むべき方向性を指し示すことです。リーダーシップということの意味を履き違えているとしか思えません。読売新聞によると、政府は消防、警察、自衛隊に対し、「何人救助したか報告しろ」という指示を出していたとか・・・。政府の得点にしようとしたことは明らかです。そんな数字に何の意味があるというのか。官僚組織にとってみれば余計な事務作業でしょう。

僕は自民党政権だったら、もっとましな対応ができた、できているとも思えないです。所詮はこの国の「民意」なるものが選んだ政治家の集団ですので、政治家の体たらくはそのまま民意がそうだということになります。

買い占めに奔走し、根拠のない放射能汚染に神経質になる・・・。この、単に消費者であってそこに一片の「公徳心」のないような人びとが選んだ政治家に今以上の何を求めようとするのでしょうか。

そして、震災によってうやむやになっていますが、この国の総理が外国人から政治献金を受けていたということ、その追及をぜひともやってほしいと思います。前原氏はそれが原因で外務大臣を辞したわけですからね。もし総理へのそれが事実なら、当然のごとく辞めざるを得ません。

今日はこれまで



2011年4月15日金曜日

愚劣 醜悪 身勝手

最初にお詫びを。

昨日の記事「蓮舫」の字が間違ってましたね。「れんぼう」と入力したら「連坊」と出てきたので、その時点で何か違うなぁとは気づいていましたが・・・正しくは「蓮舫(れんほう)」でした。訂正しておきます。昨日こっそり修正しておきました。

さて、昨日のヤフーのニュース記事です。


「子供が心配」福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2千件超

川崎市の阿部孝夫市長が東日本大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていることが13日、明らかになった。(産経新聞)

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/2011sanrikuoki_eq_fukushima/


この記事を読んで、何ともすごい人間がいるものだと思いました。その数も何と2000人を超えているというのだから驚きです。タイトルにそれらの人びとを形容する言葉を書きましたが、他に形容する言葉が見つかりません。

今なお被災地で不便な暮らしをする人びと、原発の避難区域に指定され、住むところを失って移住する人びとの心痛・・・。さらにいえば、大震災後の世界から称賛された東北人の心性、振舞いと比べてみれば、そこには筆舌に尽くしがたい大きな差があります。

一体、このギャップは何なのでしょう?それに苦情を寄せる人びとは、今現在原発の処理にあたっている人びと、東電社員やその関係者、または警察、消防、自衛隊の決死の覚悟について何ほどかの「感謝」の気持ちすらもっていないのでしょうか。仮に持っているとして、それでもなおその苦情を寄せるのなら、「他人は危険な目に遭っても、自分だけはごめんだ」という、実に身勝手なことと同じことですね。

なんか、憤慨するとかではなくてたまらなく悲しくなるわ・・・。

今日はこれまで。